【シリーズ:農と食のイノベーション(第一回)】 「連載をはじめるにあたって:農場から食卓まで、フードチェーンの未来」『食品商業』(2018年8月号)

 月刊誌『食品商業』に、先月から「農と食のイノベーション」という連載を始めている。しばらくは、約一カ月遅れで連載のテキストをブログで紹介していくことにする。このシリーズは、文部科学省の研究費助成金(基盤研究(B))とNOAFを支援する会のセミナーとの連動企画である。

 

 第一回「連載をはじめるにあたって:農場から食卓まで、フードチェーンの未来」
 『食品商業』2018年8月号

 

 <未来の食卓>
 経営大学院で、現役の社会人を対象に「マーケティング論」を教えています。40人ほどのクラスですが、一週間ほど前にゲスト講師をお呼びすることがありました。講師のかたと相談をして、「未来の食卓」というテーマでグループ討議をしました。授業内で5つのグループに分かれて、つぎの二つの課題について、各チームが約10分のプレゼンを行うというものです。

 

(Q1)あなたたちの考える理想(あるべき姿)の食の未来はどのようなものですか? たとえば、10年後、20年後の家庭の食卓を妄想してみてくだい。何を作って、何を食べるか、誰とどのように食べるのか? 荒唐無稽と思われるアイデアでもよろしいです。そして、
(Q2)それ(課題=未来の食)を実現するための農と食に関わる商品やサービス、新しいビジネスモデルとして、どのようなものが必要だと考えますか? 現状にとらわれずに、自由に考えてみてください。 

 

 学生たちは、チームごとに特徴のあるアイデアを出していました。代表的な意見といえるものを紹介すると、未来の食卓の近くに、①情報技術(VR:仮想現実)を駆使したディスプレイ端末があること、②植物工場のような人工的な畑(栽培キット)と屋上の家庭菜園が共存していることが印象的でした。テーブルの上の食材ついては、③国産やナチュラル&オーガニックへのこだわり派が半分ほど存在しています。それとは逆に、④サプリメントや植物由来のミートのような人工的な食事が食卓の主役になると予想したチームもありました。
 学生の発表を受けて、わたしたちはコメントする立場に回りました。課題を提案してくださった講師の方は、農業の現場から担い手がいなくなってしまえば、日本の食卓から食物が消えてしまうことを懸念しています。わたしも、「第三次グリーン革命」と「フードロス削減努力」によって農業部門の生産性が高まらないと、日本はグローバルな農産物争奪戦争で敗者になってしまうと考えています。
 そのためにも、農産物の供給にボトルネックが生じないような革新を起こさなければなりません。歴史的な分岐点にわたしたち日本人は立たされているという見解が、ふたりの共通認識でした。ところ
が、発表を終えた学生たちには、そうした危機意識が欠けているように見えます。発表の中で、彼我の意識の差を感じた瞬間でした。

 

 <日本の農業の変革者>
 ところで、農業関係で8年前にベストセラーになった書籍があります。浅川芳裕『日本は世界第5位の農業大国』(講談社、2010年)です。浅川氏の著作は、農水省が推進してきた戦後農政に対する徹底的な批判の書でした。結論は、通説(=日本の農業は産業として劣位)とは異なるものでした。
 日本の農業は収益性の観点から捨てたものではない。農業先進国のオランダほどではないにしても、実態を見れば、専業農家はとても元気で、花や野菜・果樹を作っている農家(生産額4兆円+)は、自分たちの力で市場を開拓し、補助金なしでも生活が立派に成り立っている。それどころか、平均的な収入は、サラリーマン家計よりもかなり高い。
 浅川氏は、具体的なデータを示して、日本の農業(総生産額8兆円)を支えている2割の専業農家の生活ぶりを紹介していました。すなわち、ふだんはあまり注目されることがない農業の「輝ける未来」に光を当てたわけです。楽観的な見方と関連する政策的な主張は、第二次安倍内閣の農業政策(専業農家の優遇支援策)に反映されています。
 農業の持続的な成長に貢献している農業者はたくさんいます。新たな発想から、日本の農業を変革していこうとする人たちです。農業分野に新規参入してきた若者(代表例は、土浦市で有機農業を営む久松達央氏)や、異業種から農業分野に参入してきた企業の存在です(例えば、ローソンファーム、食品スーパーのエブリィ)。

 本シリーズは、こうして農業者の活動や企業の取り組みを紹介していきます(図表1)。

 

 <伝統的な農業が抱える4つの壁>
 農業者が置かれている課題を、別の切り口から解決しようと起業した若者もいます。「プラネット・テーブル(株)」の菊池紳社長(39歳)です。実は、最初に名前を明らかにしなかった講師とは、菊池氏のことでした。菊池さんは、慶応大学法学部を出て外資系の金融会社で働いていましたが、あるとき三人の仲間と農業分野で起業を思い立ちます。
 最初に選んだのは、母方の実家が山形で営んでいた農業でした。ところが、28歳の時に試みた週末農業では、自らのモチベーションを維持することができないことに気がつきます。菊池さん自身が悩むことになったのは、従来の農家が抱えている4つの課題でした。これを菊池さんは、伝統的な日本の農家が抱えている「4つの欠落」と命名しています。

 

 ① 畑でおいしい(熟した、状態の良い)野菜が出荷できない。青いもの、硬いものしか出せない。消費者は美味しくないものを食べさせられる。
 ② 地域の出荷団体が採用している共撰共販だと、だれが作ったものなのかわからない(品質がちがうものが混じってしまう)。独自性が打ち出せない。
 ③ 小売店や飲食店からフィードバックがない。問題点が指摘されないと、改善すべきことがわからない。そして、
 ④ 作る側には、価格決定権がない。これでは、中長期の計画が立てられず、そもそも経営が安定しない。
 

 菊池さんたちは、上記の4つ壁を突破するため、自らが農業者になるのではなく、多品目少量生産の農家を支援するシステムを考案します。次回(連載第二回)で取り上げる「農産物取引プラットフォーム」(SEND)です。2015年8月26日にベータ版をリリースします。本シリーズでは、プラネット・テーブル社長の菊池さんのように、農畜水産物の流通システムやマーケティングの仕組みに変革を興そうとチャレンジしている経営者や事業体の事例を紹介していきます(図表1)。
 なお、本連載では、折に触れて、食分野で大きなヒットが生まれている5つの分野を取り上げていきます。その5つとは、①食材の加工技術の領域、②食事をする場所の変化、③GISなど位置情報を用いたプロモーション、④店舗や加工場での自動化技術の発展、⑤フードロス削減の仕組みをビジネス化する領域です(拙稿「ヒット生む食ビジネスの革新」『日経MJ』2017年9月25日号)。

  
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 図表1 事例で取り上げる企業(予定)
 ① 農業分野(金沢大地、柴海農園、NORAなどの有機農業生産者、
 イオンアグリ創造、ローソンファーム)
 ② 食品小売業(エブリイ、福島屋、ビオセボン、近大、ヤオコー、ナチュラルローソンなど)
 ③ 流通システムと食品加工業(プラネット・テーブル、坂ノ途中、相模屋食料、不二製油)
 ④ 地域の取り組み(鶴岡市、魚津市、海の京都など)
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 図表2 食ビジネスでヒットが生まれる分野
 ①  材料の加工技術(植物由来の人工肉、植物由来の牛乳)
 ②  食事をする場所の革新(食事サービスのシェリング事業)
 ③  プロモーション効率の改善(SNSを超えた位置情報の活用)
 ④  店舗作業の自動化(RFIDタグと音声対応接客)
 ⑤  フードロスの削減ビジネス(食材のリサイクル、流通加工の透明性向上)
 【出典】小川孔輔「ヒット生む食ビジネスの革新」『日経MJ』(2017年9月25日号)