(その24)「偶然と必然:50年ぶりの再会」『北羽新報』(2018年7月25日号)

 今月号で、地元紙への連載が満二年になりました。今月は、母校の同窓会について紹介しています。来る8月11日、なつかしい同級生たちと50年ぶりに再会します。どきどきものです。連載は地元ではよく読まれているようです。卒業から50年目にして生徒会長が同窓会に初参加することが、事前告知されるわけです。

 

「偶然と必然:50年ぶりの再会」『北羽新報』2018年7月25日号
 文・小川孔輔(法政大学・教授)

 

 能代二中で同級生だった柿崎清貴君から、自宅に一通の封書が届きました。先月の6月15日のことです。封を切って中を開けてみると、案内文が入っていました。「能代第二中学校同期会開催のご連絡」という内容でした。
 5月の上旬に、二中で同窓だった友人の加藤祐悦君(能代市役所元職員)が上京することがありました。遊び仲間だった共通の友人、青山顕君と再会を果たすためです。三人で会うのは、わたしの結婚式以来で40年ぶりのことです。そのとき、「8月上旬に能代で七夕があるから、そのころ同期会を開くことになるかも」と加藤君が話していたのを思い出しました。
 青山君は、法政大学を卒業した後、「銀座ミキモト」(有名な宝飾店)に就職していました。二年前に退職して、船橋の自宅で病気療養中でした。ちなみに、同期の生徒会長はわたし(小川)で、副会長が青山君と武田幸子さん(故人)でした。

 加藤君としては、今回の同期会に、わたしと青山君にぜひとも出席してほしかったようです。6年前の還暦のときは、会長・副会長がひとりもいない同期会になったからのようです。健康上の理由から、今回も青山君は8月の同期会には参加できないようです。
柿崎君が送ってくれた同期会の案内文は、つぎのようになっていました。

  *  *  *

期日:平成30年8月11日(土)18:00~
場所:プラザ都
会費:6000円(当日持参)
*今回は帰省期間に設定しましたので県外の方も参加をご検討ください。
追伸:池田清一さんは参加します。梅田和彦さんが本年亡くなられました。

  *  *  *

 

 追伸には驚きました。梅田君は専門商社の蝶理に勤めていたはずです。中学時代はバレーボール部に所属していて、小柄ながら運動神経のよい活発な「少年」でした。大人になった本人を知らないので、わたしの中で梅田君はいつまでも元気のよい16歳の少年のままです。
 「最後の同期会になるかもしれないよ」という加藤君の言葉を思い出して、わたしは同期会への参加を即決しました。後日、加藤君に「切符がとれたよ」と電話を入れると、「空港まで迎えに行くからね」と返事が戻ってきました。地元に加藤君のような「つなぎ手」になる友人がいないと、わたしたち同期はバラバラのままなのです。
 今回、わたしが同期会に参加する気持ちになったのは、いくつかの偶然が重なっています。4月のある日のことです。なぜか突然、青山君のことを思い出しました。これも偶然ですが、その日は机の上に年賀状の束が積んでありました。しかも450枚ほどある大量の年賀状の山の一番上に、加藤君のハガキが置いてあったのです。「謹賀新年 平成30年元旦」のあとに、手書きで短く添え書きがしてありました。

 「『毎月の東京下町発』を楽しみにしています。何回まで続くのかは分かりませんが、そのうち高校時代の話も頼みます。今年は旧交(キャンプ仲間)も深める宴を考えています。皆さん、そろそろ危うい年代に達していますので」
 

 加藤君から青山の自宅の連絡先を教えてもらいました。しばらくの間、わたしたちの間で、青山君は音信不通の状態だったのです。その日に青山君のことを思い出さなければ、そして加藤に電話をしなければ、案内状に「出席」の返事を出すことはなかったもしれないのです。
 きっかけは一枚の年賀状でした。それは偶然であると同時に、必然の出来事でした。しかし、いま不安に思うのは、50年ぶりに会う友人の名前と顔が一致するかどうかです。半世紀を経て、人の心も容貌も変わっているはずです。友人たちと何を話したらいいのか。
 わたしは、3年C組の級長だったらしいのですが、そんなことはすっかり忘れていました。それから、所属していた吹奏楽部の仲間が誰と誰だったのか。そんな昔の「思い出しゲーム」で、きっと同期会の半日は過ぎていくのでしょうね。