昨夜は、9年ぶりで河合塾の金井啓志郎先生(英語担当)と村松玄晶さん(ワイズラボ)に再会した。場所は、ブログでもしばしば紹介しているお店。東京下町・門前仲町にある秋田料理の店「男鹿半島」。金井先生は、リクルートにお勤めの愛娘の愛理さんを連れてこられた。
前もって、ランナー仲間の小林典子さんと愛理さんには、京都から帰る乗換駅の品川エキュートで、花束を購入しておいた。男鹿半島の会食で、ふたりにプレゼントとして、花束をお渡しすることにしていた。
会食は6時のスタート。なんと!記念すべき5人の会食を、男鹿半島の大将(堀騰さん)が全店を貸し切りにしてくれた。実は、前日(7月14日)は小林典子さんの誕生日。その翌日ではあるが、彼女の誕生パーティをかねていたので、花束を贈ったわけである。
どうして四人が9年ぶりで再会を実現できたのか? なぜ4人が浅草で出会ったのか? 「浅草ばったり事件」を少し長めに説明してみる。
いまから9年前の7月中旬。昨夜のような蒸し暑い夜。場所は浅草のロック座から雷門にかけての飲み屋街。夏の間、浅草付近の道端に勝手に突き出ている屋台村の一画。一緒にレースを走って中華料理を食べた後、わたしと小林さんは、もう少しアルコールが飲みたいと思った。ふたりの意見が一致して、ふらりと屋台に吸い込まれることなった。
「そこ、座っていいですか?」。目の前に腰かけている二人の男性に、なにげなく声をかけてみた。「どうぞ、、、」と相席になったのが、金井先生と村松さんだった。冷やしトマトを頼んで、なんとなくお互いに瓶のビールを注ぎあった。下町だから、ビールはアサヒスーパードライに決まっている。
そこから何の話をしたのか。いまでもほとんど記憶に残っていない。しかし、不思議に話が盛り上がったことだけは確かである。だから、こうして門前仲町の秋田料理の店で、昨夜は高清水で杯を酌み交わしていた。
ハーフを走った後で、アルコールにたっぷり浸かっていたからだろう。ふだんは絶対にやらないことをやってしまった。わたしはうかつにも、金井先生と村松さんに大学教員の名刺を差し出してしまったのである。
「法政大学経営学部教授 小川孔輔」。当時は、経営大学院に移籍する前で、研究室もボアソナードタワーの18階にあった。名刺には、住所と電話番号が書いている。
その瞬間の村松さんの「目の形」をいまでも忘れることができない。もともと丸くてかなりギョロ目玉なのだが、そのときはギラリと光ってまん丸になった。瞳孔が目いっぱい縦横に全開している。
村松さんは、予備校の講師や学生を仲介する“オーガナイザー”である。わたしは親しくなってから、彼を「うかいの鵜匠」と呼ぶようになった。予備校に常勤講師を派遣したり、授業に穴が開いたときに緊急対応で講師を派遣するのが主たる仕事である。金井先生は、村松師匠に巧みに操られる「鵜」の役回りである。のちに知ったことだが、タレントさんの家庭教師的な仕事の手配もしているらしかった。
大学教員であるわたしは、彼のクライアントであるタレント高校生たちに便利な存在である。進学先の情報を提供したり、「一芸入試」で受け入れる大学の仲介者になりそうだったのだろう。そんな人物が目の前にいる。ばったり出会ったわたしに、えらく興味を示したわけである。
その後は、ひとつの案件(非公開)をふたりで片づけることになるのだが、そのあとはメールで細々とつながっていた程度だった。そこから7年が過ぎていた。ところが、わたしたちは昨年から、lineで頻繁に情報を交換するようになった。
わたしがスマホに買い替えて、アイフォンを手に入れたことがきっかけだった。もともと村松さんは、わたしのブログをときどき見ているらしかった。それならばと、サービス精神旺盛なわたしは、旅行先の風景や料理をlineで村松さんに送るようになった。ひとりものの村松さんからも、バルト海三国を旅したときの現地の風景や食事内容を送ってくるようになった。
そして、名古屋在住の金井先生が上京するという連絡が入った。7月の14日~16日。14日はわたしが京都で授業があるので、再会を15日に決めた。村松さんからは、「金井先生が、東京在住の娘さんを連れてきたいのですが」と。「せっかくの再会の場所が、また浅草の屋台では?」と小林さんが思いついたのが、下町らしい雰囲気のある門前仲町。秋田料理の男鹿半島は、わたしの選択だった。
長々と昨夜の会食が実現するまでの経緯を書いたが、夕方6時にはじまった「貸し切り宴席」は、わいわい、がやがやと、9時半まで続いた。大将と奥さんが、わたしたちに用意してくれた「じゅんさい鍋」のコース料理を紹介してみる。
先づけは、姫竹のみそ和え。いつものように、秋田の漁港から航空便で送られてきた地魚のお刺身。昨夜の圧巻は、マグロのホホ肉、筋入り。甘えびにブリが美味しかった。
高清水の冷樽が三個目のお代わりなったところで、陸のキャビア、とんぶりが登場。山芋の千切りが見えないくらい、贅沢にとんぶりがてんこ盛りになっている。これには、上からお醤油をすこしだけかけて食べる。
続いて、ミズ(湿潤な場所に生える野草、細いフキのような食感)と姫竹の煮物。そして、メインの「じゅんさい鍋」は用意ができたようだ。京都の料亭で食べたら、これだけでひとり1万円になるだろう。森岳の沼で朝採りしたばかり、ぬめりのあるじゅんさいを、豆腐を入れて煮立せた鍋に放り込む。
いつも面倒を見てくれる店の女性(東能代出身)が、鍋からじゅんさいを掬ってくれる。お代わり自由で、ひとりあたり三杯ほど。非常識なくらいに贅沢なおもてなしだ。締めの炭水化物は、うずらの卵が乗っかった夏の秋田名物「稲庭うどん」。囲炉裏の食卓に載った竹のざるが、これまた目に美しい。
デザートには、さくらんぼが出た。山形産の佐藤錦だろう。熱いお茶が出て、宴席はお開きになった。お値段は、5人で27,000円でした。
この間、三時間半。最初の一時間は、みなさんの自己紹介だったが、最後の2時間は、村松さんの縁談話から、金井先生の人生行路に展開が移った。金井先生は、かなりの変人だ。わたしも負けず劣らずそのようだが、、、
金井先生は、関西学院大学(在学中にテニスサークルを運営)を卒業してから英語教師になる。愛媛で教えているときに、元アナウンサーの奥さんに拾ってもらうことに。それが、英語の塾教師(東進衛星予備校)がつまらなくなって、小学生の息子と娘を連れてカナダに移住する。「自分探しの旅よね」と金井さん。
そのまま現地で日本語講師(土産物屋さん兼任)として終わると思いきや、「さみしくなって」(本人の言葉)日本に帰国することに。そこからは、名古屋に住んで予備校講師になる。「みんなでテキストを作る雰囲気がある河合塾が性に合っていた」と金井先生。東京だと、講師どうしが競争相手になるらしい。
もっといろいろ話したようだが、つぎに原稿がある。そろそろブログも終わりにしたい。とにかく、楽しいパーティだった。金井さん、村松さん、愛理さん、またお会いしましょう。