最近、ブログにアップした2つの記事が、物議をかもしている。
①「【ご提案】 40センチのバラを、花業界あげてみんなで売ってみませんか?」(5月9日)と
②「日本の花き産業はいま、史上最大の危機に > その緊急の解決策は」(5月4日)の二点である。
どちらのブログ記事も、この2週間で2000アクセスを超えている。いまだに毎日2桁のPVを下回らない“人気記事”になっている。
両方の記事に共通している点は、業界の常識と真逆の主張をしていることである。また、私の主張を実現しようとすると、従来の仕事のやり方を根本から変えてしまわなければならないことである。
人間は常識と異なる見解を見たときに、二つの反応を示す傾向がある。まずは、「なんとなく気持ちが悪い」(ありえない!)と感じることである。そして、次なる反応は、「自分の利害に反する」(それは困る!)と感情的に拒絶することである。私たちの身の回りで、ほとんどの人が正しいと信じている主張(常識が実は間違っている)の例を挙げてみよう。
例えば、「日本人は(むかしから)清潔な国民である」という主張である。
(株)花王の元調査部長だった陸正氏が著した『変わる消費者、変わる商品―消費財の開発とマーケティング』(中公新書、1994年)の中で、常識と思われているこの説が正しくないことが示されている。「清潔な国民は栄える」と考えたトイレタリーメーカーの花王やライオンが、第二次大戦後に、米国のP&G社に学んで、石鹸やシャンプー、洗剤などの普及に努力した結果、日本人は清潔な国民に変わったのである。
もう1つの例としては、「日本の農産物は安全である」という神話を挙げることができる。これも、「日本が先進国では世界最大の農薬消費国」であるというまぎれもない事実を考えると正しくないことがわかる。少なくとも、日本の農産物が「感覚的には安全である」と信じる根拠はどこにもない。
大きな発明やイノベーションは、後々に世の中の流れを大きく変えてしまうが、それは常識を疑うことが発端になっている。そうした例には事欠かない。
「40センチの輸入バラは品質的に劣っている。」「日本人の美的感覚にはそぐわない」と主張することは全くの間違いではないだろう。しかし、そもそも長さが40センチで10本一束の輸入バラの楽しみ方と、国産で70センチのバラ数本を見る楽しみ方は、飾り方やオケージョンがそもそも違うのである。「ベーシックなニーズが異なる」と発想を転換することで、新しい市場に打って出ることができる。だからといって、既存のプレイヤーの利害に触るわけではない。
先週、花業界最大の行事=「母の日」が終わったが、花業界が物日に依存する体質から抜け出すことも同じである。マーケティングの業界一般では、その逆が常識になっている。すなわち、「EDLP(Everyday Low Price)のほうが業務的な効率がよい。仕入れ、受発注作業、コミュニケーションが容易になる。物流・在庫管理の効率、労働者のシフトの問題のどれをみても、需要の波動が大きい物日は商売の効率が悪く、長時間労働で働く人たちの気持ちを疲弊させる」。
それだからではないが、そろそろ花業界の常識を疑ってかかるべきときなのではないだろうか? 花の品質基準、茎の長さ、物流の仕組み、出荷の方法、プロモーションの方法、労働時間や働き方などなど、見直すべき常識はたくさんありそうだ。