カリフォルニアから台風がやってきた。米国留学時代の友人、バークレイ在住のボーン・山本・ゆりさん。先週、急に日本に来ると電話とmailがあったらしく、一昨日、成田空港までかみさんと車で迎えにいった。直前まで、成田到着時間と便名がわからなかった。
前日になって、ソウル経由21時10分成田着のアシアナ航空だとわかった。むかしからのことで、いつもぎりぎり、薄氷を踏む思いでゆりさんを待つ。でも、なんとかなってしまう。わが家では、ゆりさんのことを「台風ゆり」と呼んでいる。ご自分もよく知っているが、だからといって行動を変えることをしない。
「こうすけさん、日本にいるとなんか管理されているみたいで、、、」
まあ、確かにそうかもしれない。カリフォルニアでのんびり過ごしていると、日本的なきっちりした時間管理には違和感を覚えるのだろう。29日は、夜中まで三人で、ゆりさんの「ウエルカムパーティ」を開いた。懐かしい時間がすぎていく。
昨日は、夕食をご一緒することにしていた。ゆりさんは、横浜の知り合いのところに、二か月ほど長期滞在するようだ。いったん荷物を移動して、その足でまた浅草まで戻ってきてもらうことにした。預けた荷物の鍵(実は、イコカ)がなくなったり、いろいろあったのだが、30分遅れて浅草で合流できた。
午前中にローソンの取材で一緒だったので、アシスタントの青木恭子さんも会食に合流。4人で目指すは、土手の伊勢屋に向かった。吉原大門のまえにある老舗の天ぷら屋さん。明治時代から続いているので、建物は東京都の文化遺産に指定されている。
ようやく捕まえたタクシーで10分ほど走った。ところが、伊勢屋に明かりが灯っていない。桜鍋の中江だけが明るく、伊勢屋の看板は暗闇の中に。この時間ならば、長い列ができているはずだったのに。
信号をわたって、店前に貼ってある「お知らせ」を読んだ。なんと、小さな白い紙には「営業時間は、11時から14時半まで」となっているではないか。いつのことから、夕方からの営業は休止になっていた。最後に来たのは、一年前だから知らなかった。
事前にチェックしたHPにも、そんなことは書いていなかったはず。
仕方がないので、浅草に戻って別の店で食事をした。ゆりさんと青木さんには、期待させて申し訳がなかった。チャンスがあれば、営業している昼間に来てみよう。でも、どんぶりからアナゴとエビがはみ出している大天丼(イ)が食べたかったな。
午後9時に「ゆりさん台風」は、浅草から横浜に去っていった。帰宅後、かみさんと、「そういえば、呑喜(のんき)はどうなってるのかな」と東大農学部前にある老舗のおでん屋さんの話になった。土手の伊勢屋は、実質的には閉店になったようなものだから。
わたしたちが最後に呑喜に行ったのが、2015年の11月だった。気になったので、ネットで検索してみた。やはり、のんきは閉店になっていた。常連さんのどなたかが、2015年12月25日のブログで、「ご主人が倒れて閉店になりました」と知らせてくれていた。
そういえば、最後の日(11月3日らしい)に行ったとき、ご主人が「足が痛くて立ってられないんですよ」と言っていた。倒れたのは、その直後だったのだろう。スペシャルの「ちくわぶ」と「茶飯」が食べたかった。
同じ日に、長年ひいきにしてきたふたつの店が閉店になったことを知った。やるせない気持ちになった。さみしいなあ。でも、これは、終わりの始まりかも。