ふた昔前に人気の観光地、尾道のいま

 萩、津和野、倉敷。アンノン族やHANAKO族が闊歩していた時代、地方の観光地で人気があった場所だ。当時の若い女性たちにとって、尾道も憧れの一つだった。わたし自身は、広島の東にあるこの町に来る機会がなかった。林芙美子と志賀直哉が住んでいた町。街中には二人の記念館もある。

 

 尾道行きは、実は広島クロカンツアー(8月19日~21日)の訪問先リストには入っていなかった。偶然のなせる技で、今回たまたま行くことになった。旅はいつもこんなものだ。だから楽しい。
 トレールランを走り終えた夜、山下俊一郎くん(元院生、ムロオ社長)の紹介で、堀川町の割烹「ちま喜」で歓迎会を開いてもらった。完走祝いとカラオケ二次会を兼ねての懇親会だった。参加者は、わたしを入れて8名。

 広島の花屋さんが中心で、元院生の里村佳子さんは、介護施設の関係者にご不幸があり、残念ながら参加できなくなった。里村さんとは、今月末に新宿の末広亭に落語を聞きに行くことになっている。そのときまで、お楽しみは先送りになった。

 

 花屋さんチームと山下くんとの楽しい食事会の最中に、わたしは帰りのフライトを尋ねられた。帰路は、午後15時35分のJAL広島発便。その時間まで、わたしはなんの予定も立てていない。欧州ツアーでしばしばご一緒している宮本さんと坪原さんご夫妻が、わたしに代わって、翌日のスケジュールを考えてくださった。

 「宮島神社か、戦艦大和博物館あたりはどうでしょうかね」と坪原さんが推薦してくださった。あいにく去年、院生の田沢君をムロオに連行した時に、大和博物館は訪問してしまっていた。その瞬間、わたしはうっかり、「尾道には行ったことがないのです!」と宮本さんに向かって言ってしまった。

 なんと、お三方から、「明日は日曜日。わたしたち、お休みですよ」と。もしかして、わたしのために急きょ仕事を休みにしてくれたのかもしれない。そうだったら、本当に申し訳ない。二次会のカラオケの間に、なんとなくのノリで、四人で尾道に行くことが決まってしまった。

 よかったのかな。翌朝8時、ANAクラウンプラザのロビーに集合することに。

 

 翌日は、宮本さんがクラウンで、ホテルまで迎えにきてくださった。三人で尾道まで、半日観光の小旅行を敢行することになった。ツアーコンは、宮本さんと坪原さんご夫妻。聞けば、三人とも広島に住んでいながら、尾道などはめったに来ることがないらしい。

 ドライブの最中に、尾道の町について意外なことを聞かされた。坪原さんと奥さまの真理さんから、「シャッター通りがすごいんですよ」と。幾多の文化人を生み出し、観光客でにぎわっている町。そんな瀬戸内海を一望する、坂の多い街のイメージとはちがうらしかった。

 宮本さんが運転するクラウンは、カーナビの調子がおかしい。いつもとはちがうルートをナビから指示されたようで、千光寺へは細い裏道から上がっていった。観光ルートの真ん中にあるこの寺へは、ふつうはケーブルカーで昇るらしかった。

 ルートはちがっていても、お寺の展望台から町を見下ろす風景は絶景だった。尾道から四国の今治まで続くしまなみ街道が、眼下に広がっている。尾道は、やっぱりすごいじゃないか!

 

 しかし、お昼を食べようと地上に戻ってくると、商店街はシャッター通りになっていた。それも見事なシャッター通りだった。山陽本線と瀬戸内海の間に挟まれた細長い商店街が、延々と続いている。

 それでも、アーケードが残っているだけまだましだろう。今月はじめに、久しぶりで帰省した、わがまち能代市の畠町商店街では、アーケードが撤去されていた。雪の重みで看板やアーケードが壊れても、もはや補修する費用が捻出できない。「危険なので撤去した」とはわが母の説明だった。

 尾道の商店街でも、ところどころ青空に抜けた空間ができている。火事で焼けた跡があったり、店がつぶれて駐車場になった場所だ。駐車場からは、先ほどは街を見下ろしていたのは逆に、千光寺の境内や岩壁を見上げることができる。公園の森の先には、抜けるような青空が広がっている。

 後ろを振り返ると、そこは、潮の流れが速い瀬戸内海の分水道。静かな水面にさざ波を立てて、漁船や遊びのモーターボートが滑っていく。そこだけが、海からの涼しさを運んできているようでほっとする。しばしの時間、わがクルーはシャッター通りを散策することになった。

 食べ物屋さんは残っているが、衣料品や雑貨やさんなどは壊滅的な打撃を受けている。メインテナンスされていない看板の汚れからそれがわかる。いつもそうなのだが、この光景を見ると物悲しい気持ちになる。商店街をさびれさせたのは、モータリゼーションという時代の流れだ。断じて、商店主たちが仕事をさぼっていたからではない。

 

 アーケード街の入り口に、二軒だけ繁盛している店があった。尾道ラーメンの「朱華園」と、わたしたちが入った地魚料理の店「糸糸魚」(糸がふたつ)。朱華園のほうは、まだ11時だというのに、48人が並んでいた。ガイドブックやネットの口コミで有名になったのだろう。並んでいる人たちは、一様に若いが、なんとなく晴れやかな顔をしていない。

 最後尾の客はきっと、ラーメンを食べるのが12時過ぎになってしまうだろう。しかも気温34度。黒のキャリーを引いた女性が、道路にはみ出しながら、行列の先のほうを覗きこんでいる。そうなのだが、一向に列が先に動く気配はない。日も陰っていないから、みなさん、汗だくだくだ。

 老人4人は、この暑さのなかで、48人の後ろにつく気には到底ならなかった。予定通りに、坪原さんご夫妻御用達の地魚の店に入った。この店は、目の前の旅館が運営している。ウエイトレスさんのハッピが、「仕出し前川」となっていたからだ。

 

 尾道ラーメンの行列を眺めていたら、すでに12時半。お腹がすいてきていた。ドライバーの宮本さんには申し訳なかったが、三人は生ビールをいただくことにした。しばし待つこと10分。板前さんにお任せで、「地のものを中心に!」とお造りを頼んでおいてあった。

 目の前に出てきたのは、新鮮な生タコに生シャコ、ヒラメにへべら(カレイに似た底魚)。その他、数種類の地魚の切り身に、大きなワサビを添えて。生まれて初めて、生のシャコを食べた。こちらは、身が溶けるようにとろりとしている。生のタコのほうは、硬めでしこしこしている。

 歯に問題を抱えている坪原さんは、かわいそうなことに、生のタコが噛みきれない。代わりに奥様が、タコを楽しんでいた。実は、お造りは二人前だけを注文していた。これは、みんなでシェアした料理で、それぞれが別の料理を定食で頼んでいた。宮本さんは、いくら丼定食。坪原さんご夫妻はふたりとも、手巻きずし定食。わたし(小川)は、天ぷら寿司定食。わたしのがいちばんボリュームがあった。

 坪原さんは、前回頼んでおいしかったという、オコゼのお刺身と唐揚げが食べたそうだった。本日は、品切れか、あるいは入荷していないかなのだろう。メニュー表に掲載されていたのだが、お二人は注文をしそびれてしまった。

 

 一時間ほど。もぐもぐ食べて、けらけらしゃべって、瀬戸内海を水面の高さで眺めながら、贅沢なランチが終わった。前日の宴会もカラオケも、宮本さん、坪原さん、山下くんに全部支払ってもらっていた。ここはさすがに、わたしのおごりだろう。順番というものがある。

 そう思って財布を開いたら、4人分のお勘定は、税込みで一万二千円。なんという、コストパフォーマンスの高さだ。わたしたちが席を立とうとしたら、4人組の女性客が入ってきた。観光客みたいだ。店はすぐに満席になった。 

 シャッター閉じても、お腹は満腹。どこにでも繁盛している店はあるものだ。板さんの顔と寿司を握る態度が、自信に満ち満ちていた。