下町に移って初めての夏を、まったりと過ごしている。今朝も、隅田川テラスを清州橋まで下って、新大橋まで折り返した。そのまま浜町の中央区総合スポーツセンターまで橋を渡る。昨日は、ジムで筋トレを二日分こなしていたから、本日はトレッドミルだけの5KM。12KMを走った勘定になる。
朝方の雨で地面が湿っているが、気温は上昇気味。涼しげな川風も、お昼ごろには熱風に代わりそうだ。
新大橋を走って渡るときに、天高く伸びた橋梁の柱に、安藤広重作の版画絵が貼ってあるのを見つけた。銅板レプリカの前でしばし立ち止まり、スマホで写真を撮る。友人たちと広重の作品を共有するためだ。柱のちょうど反対側には、新大橋の由来が長々と説明書きされている。これもスマホで文面を写した。
隅田川テラスから見上げる鉄骨の新大橋は、昭和52年(1977年)3月に架けられたものだ。これはこれで絵になるが、安藤広重が描いた「大はしあたけの夕立」の中で雨に煙っている木造の橋は、安政4年(1857年)9月に描かれた版画絵だ。
安藤(歌川)広重は、1797年の生まれ。だから、「名所江戸百景」の第58景(大はしあたけの夕立)を刻印したのは、名人が50歳のときということになる。ゴッホが広重の絵を模写したというから、広重たち江戸絵師たちの版画の構図は、さぞかし印象派の画家たちを驚愕させたのだろう。
200年前の江戸の町、安宅(あたけ)に、日本が誇る絵師たちが住んでいたのだ。いまの清澄白河から森下(両国)あたりにかけて。江戸時代の後期に活躍した巨匠たちは、ほぼ時を同じくして欧州や米国で有名になる。そして、現代のアニメや漫画に、江戸の絵師たちの伝統は連綿と受け継がれている。大胆な遠近法と人物描写のデフォルメと。
隅田川テラスを走っていると、もうひとつ別の江戸に触れることになる。隅田川沿いに設置された遊歩道のあちこちに、芭蕉の碑文が立っているからだ。ところどころ、100~200メートルおきに、有名な芭蕉の俳句が一文ずつ。
どの碑にも、「大川端芭蕉句選」と銘文が添えられいる。新大橋から、両国橋にかけて、3句ばかり紹介しよう。
「あられ きくや この身はもとの ふる柏(がしわ)」(天和三年吟、1683)
「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」(貞亨三年吟、1686)
「郭公(ほととぎす) 声横たふや 水の上」(元禄六年吟、1693)
芭蕉は、300年前の人だった。広重は、200年前の人。江戸の文化が爛熟する前に、芭蕉は奥の細道を旅している。最上川まで下って行く旅の出発(はじめ)は、やはり隅田川だった。いまも隅田川テラスに、その碑文が残されている。
<参考>(解説)
(Great Bridge, Sudden Shower at Atake)
39cm×26cm | 大判錦絵・木版画 | 所蔵先多数