『日本経済新聞』のコラムに、「大機小機」というコーナーがある。各コラムは、400字詰め原稿用紙で2枚程度の短文で、匿名の記事である。複数の寄稿者の中で筆致が素晴らしくさえている書き手がいる。ペンネームは盤側。会社法の専門家らしく、隔月のペースで寄稿している。
盤側氏の最近のコラムの中でも、ひときわ冴えていたのが、セブン&アイの取締役会が終わった直後の「セブン&アイ人事と社外取締役」というコメントである。日本経済新聞社やその他メディアは、鈴木敏文氏の”横車”を社外取締役が阻止した「ガバナンスが効いた事例」として取り上げている。
ところが、盤側氏(囲碁の”岡目八目”を連想させるペンネーム)の解釈は、一般的な報道とは明らかに見解を異にしていた。株主の利害を代表した指名報酬委員会の力により、ガバナンスが効力を発揮した事例ではない。セブン&アイのケースは、むしろ会社の意思決定プロセスへの社外の過剰な介入ではないか?わたしも、ほとんど同じ意見である。
3つの観点は、個人的にまったく合意である。その他の報道機関は、ほとんどこの点に関して明言を避けている。
1 指名報酬委員会の設置は、「現社長の交替提案を否決した」わずか1カ月前である。中立的な立場にいるはずの2人の社外取締役には、社内の状況を調査する時間が十分にあったとは思えない(盤側氏の表現はもっとマイルドだが、言いたいことは同じだ)。
2 指名委員会には固有の決定権があるが、独立社外取締役の機能からすると今回の役割は過剰である。海外ファンドからの圧力が疑われてもおかしくない。その他、創業家も含めた社内のごたごたが反映しているので、それを裁く役割が社外の取締役にあるとも思えない。
3 取締役会決議が無記名投票で実施されている。上場企業の将来をも左右する大事な決定が、それぞれの取締役の個別の意思を確認するなく、組織内での報復などを理由に匿名で投票に持ち込んだ。こちらのほうが異常だと言わざるをえない。
以下では、約一か月間の記事を引用する。セブン&アイの社内では、内部がノーサイドになっているはずもない。これからのむずかしい意思決定の中がそれが実態が明らかになってくるだろうと思う。
FCシステム組織の内部に問題を抱えていると、対顧客や対競合、対FCオーナーへの対応に反映してくる。ワタミやマクドナルド、ブックオフなどでそれは検証されている。
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「セブン&アイ人事と社外取締役」(大機小機)
2016/04/29 日本経済新聞 朝刊 19ページ 904文字
セブン&アイ・ホールディングスの取締役会が実力派会長の人事案を否決した件は、創業家との関係など様々な臆測が流れている。だが、社外取締役が決定的な役割を果たしたことは、ガバナンスが機能した画期的なケースとして称賛する向きが多いようだ。
しかし、これには大いに疑問がある。「指名報酬委員会」が設置されたのは今回の決定をしたわずか1カ月前である。この短い期間に委員会に参加する2人の社外取締役は何をし、何を考え、どう行動したのか。重大な判断をなしえた根拠とは何なのか。
社外取締役には独立性が求められる。だから会社内部の状況や人事についてよく知らない場合が多く、重要な経営判断をリードする立場にはない。社外取締役の職責は意思決定のプロセスや目的をきちんと見て、経営判断の正当性に根拠を与えるところにある。
今回のケースなら臨時の会合を何度も開き、それぞれの主張を徹底的に聞き、社員の受け止め方や創業者の考え方、組合の見方などを十分に理解する必要がある。時間がなくて判断できなければ無理やり判断せずに、その理由を議事録に示して経営者による経営判断を尊重すべきである。
経営の状態や株価といった外形的な数値だけで判断するのなら社外取締役は必要ない。現在の経営者に潜在的なリスクがあると考えるのなら、それが何かを理解しようとする努力が必要である。そのような努力をせずに、仮に海外ファンドなどの意見に影響されたとすれば問題だろう。
指名委員会等設置会社の指名委員会には固有の決定権があるが、本来の独立した社外取締役の機能からすると過剰である。米国では経営体だった取締役会がモニタリング機関に変わる過程での過渡的な事象だ。日本で委員会設置会社が普及しないのは社外取締役の過剰な機能を嫌うためだ。
今回の例では取締役会決議を無記名投票で行ったと伝えられる。取締役は一人ひとりの見識が常に問われる存在であり、意見が異なる場合には議事録に異議をとどめて後々の責任問題に対応するものだ。重要な経営判断に過大な影響を及ぼしつつ、誰がどう投票したか分からない状況にして責任を回避した。こう指摘されても仕方ないのではなかろうか。(盤側)