【講義録】 鳥越淳司氏「成熟市場でのイノベーション」(IM研究科2016年度「マーケティング論」)

 2016年度「マーケティング論」の<特別講義1>の講義録を公表します。鳥越社長には、これまで2回も講演をお願いしています。「日経MJヒット塾」(2014年)と「JFMA新春セミナー」(2014年)。今回の授業が3度目になります。

 また、今年の秋に生産性出版から刊行される予定の書籍(環境メディア現象)では、SNSによるヒットの情報拡散プロセス(「ザクとうふのケース」)で、お忙しいにもかかわらず、中畑さん(朝日大学)と小川のインタビューを受けていただきました。
 なお、本文中に掲載されている図表は、カットしてあります。ただし、講義録の原本(カラー版)は、小川研究室に請求していただければ、コピーにて無料で差し上げます。あるいは、メールに添付してファイルを差し上げます。

法政大学経営大学院 IM研究科 2016年春学期「マーケティング論」
特別講義1:
「成熟市場でのイノベーション
 成熟市場の中で、9年で売上高5倍、前人未到の歩き方」
 相模屋食料㈱ 代表取締役社長
 鳥越 淳司 (とりごえ じゅんじ)氏
日時:2016年5月19日11時10分~12時50分
於:法政大学経営大学院101教室

講師紹介
鳥越 淳司 氏 
1973年、京都生まれ。大学卒業後、雪印乳業へ入社。2002年、相模屋食料に入社し、2007年に代表取締役就任。相模屋食料を、中堅企業から売上高201億円(2016年2月期)の業界トップ企業に導く。自らの発案で、「焼いておいしい絹厚揚げ」、「ザクとうふ」、「マスカルポーネのようなナチュラルとうふ」など、自由な発想で新スタイルのとうふを相次いで打ち出し、とうふという超成熟市場において、革新を続けている。
著書:『「ザクとうふ」の哲学-相模屋食料はいかにして業界No.1となったか』(PHP研究所、2014年)。

会 社 概 要
会社名:相模屋食料株式会社
代 表:代表取締役会長 江原 寛一
代表取締役社長 鳥越 淳司
所在地:群馬県前橋市鳥取町123 芳賀西部工業団地
設 立:1951年10月
事業内容:大豆加工食品製造および販売
資本金: 8000万円
従業員: 560名
売上高: 201億円 (2016年2月)
*104億円 (2010年2月)
出典:講演資料

講 演 
1.自己紹介
(1) はじめに
相模屋食料は、とうふの製造販売の会社である。本社は群馬県前橋市にある(詳細はパンフレット参照)。小川先生とは、「日経MJヒット塾」の連載で取り上げていただくなどのご縁があり、今日、法政大学にお招きいただいた。今回は、「成熟市場の活性化」というテーマで、とうふの世界で私が行ってきたことについて話す。とうふは伝統食品と言われ、超成熟市場でもうこれ以上変わりようがないと思われてきたが、そんな中でこそ変えられることがあるのだ、ということを示したい。

(2) 自己紹介
簡単に自己紹介をしておきたい。私は、京都生まれで、大学卒業後、雪印乳業に入社した。雪印の後、2002年に相模屋食料の3女と結婚して、地場の中堅とうふメーカーだった相模屋食料に入社した。
雪印乳業は、ご存じのように、2000年に大規模な食中毒事件を起こし、1万人以上にわたるお客様にご迷惑をおかけした。社員がお客様を訪問して謝罪して回り、メディアでもお詫び行脚として報道された。私は当時25~26歳くらいで、営業担当者として、お客様を回り、ひたすら謝り続ける毎日だった。私自身、多い時には1日13回も、土下座をして回っていた。土下座の経験がある人は、今は少ないだろう。全然かっこいいものではない。何度も土下座していると、そのうち、頭が真っ白になってくる。
それまで、雪印社員として誇りを持っていたが、こうした経験を通じて、「プライドなんてものは、最初からなかったのだ」という当たり前の事実に直面することになった。それなりの大学を出て、いい会社に入り、そこでちょっとした評価を受けることで、「自分はすごい、おれってできるじゃん」と思い込んでしまっていた。ところが、「雪印」という看板が外されると、そんな小さなプライドはズタズタになり、なくなってしまった。
 ここでネガティブに考えれば、自分には存在価値がないのだという気持ちになるだろう。ところが、物事をポジティブにとらえなおすと、プライドを自ら捨てられる人間というのは、実はものすごく強い。そして、ポジティブに考えられれば、物事は変わる。
 

2. 伝統食品=超成熟市場における革新
 (1) とうふ市場
日本食は、米と大豆の文化だと言える。とうふ、納豆、味噌、魚にかける醤油、すべて大豆からできている。大豆の筆頭格はとうふで、食用大豆の6割はとうふに使われており、とうふは和食の代表格だと言える。
とうふの市場は、約6,000億円である。4,000~8,000億円まで、市場規模については諸説ある。とうふ製造施設は、ピーク時には5万軒あった。現在の全国のコンビニと同じくらいの数だ。それが、現在は8,000軒になっている。後継者難などが理由で、1年に1,000軒近く消えている。
ここまでは、よくある話だ。伝統がだんだん廃れていき、いつか途絶えてしまう、そういう市場の典型例である。伝統というと、「継承するもの」、「守るもの」であり、絶やさず次世代に繋ぐことが大事で、「衰退をどう防ぐか」という発想がまず先に来ることが多い。「伝統は、もうこれ以上変わりようがない」と、誰もがそう思い込んでしまっている。
ネガティブに考えると、やっていても仕方がないように見えるかもしれないが、ポジティブにとらえ直して、皆がそう思っているところで何か新しいことをやれば、成功率が高いとも言える。伝統食品市場は超成熟市場だ。誰もがレッドオーシャンと思って、わざわざ取り組まない。だからこそ、超成熟市場は、ブルーオーシャンに転じる可能性を秘めているのである。

(2) 相模屋食料の成長
相模屋食料は、2016年の2月決算で売上高201億円を突破した。2008年度以来、とうふメーカーとしてトップの座にある。この10年間で、売上高は5倍になった。とうふ業界では、「とうふ屋とできものは、大きくなるとつぶれる」と言われていた。おとうふが評判になり、どんどん売れると、人を雇ったり、機械を入れて大きくなる。売上高40~50億円くらいまでは、家族経営で何とかやっていけるが、それ以上になると、組織や体制を抜本的に変えなければ、対応できなくなる。そこで破たんするというのが、それまでのとうふ業界のパターンだった。実際、売上高100億円を超えたとうふ屋は、相模屋食料が初めてである。100億円を突破した頃は、「明日は潰れる」などと言われたものだが、その後も当社は成長軌道に乗っている。

相模屋食料は、本州、四国、九州に営業網を広げており、2016年の3月から群馬に新工場、4月からは神戸工場も稼働している。本社のある群馬県内には5つの工場があり、全国最大のとうふと厚揚げの生産拠点としては全国最大で、1日当たり100万丁、最大で150万丁のとうふを生産販売している。

業界のデータ(2015年)を見ると、当社が1位で、続いて太子食品工業、タカノフーズ、朝日食品(スーパー子会社)、さとの雪という順で、売上高が50億円を超えている企業は、これくらいである。この中で、とうふ専業は相模屋食料だけだ。太子食品やタカノフーズは納豆の会社、朝日食品はスーパー子会社、さとの雪は機械や包装資材のメーカー(四国化工機)の食品事業という位置づけである。

(3)「木綿と絹」:基本を徹底的に追及する
① とうふの基本は木綿と絹
 とうふの基本は、木綿と絹である。この2つがとうふの王道だ。私は王道を徹底的に強調することにした。とうふは、誰でも知っていて、誰でも食べたことがあるマスの市場で、業界の誰もがもう変わりようがないと思っている。しかし実際には、やるべきことはたくさんある。
 木綿と絹のとうふを追求すれば、とうふ作りの基礎も確立できる。相模屋食料はここで確固たる基礎を作ったうえで、マーケットを広げてきた。

②「焼いておいしい絹厚揚げ」
「焼いておいしい絹厚揚げ」は、発売以来6年連続で大ヒット商品になっている。毎日、16万パックを生産出荷している。もっちりした新食感が特徴である。もちもちしているのは、タピオカ澱粉を使っているからだ。とうふ業界では、「とうふというのは、大豆、水、にがりでできているもので、それ以外はとうふではない」という考え方が根強い。「焼いておいしい絹厚揚げ」を発売したとき、業界では、「澱粉入りは邪道だ」「こんなのは厚揚げではない」と、さんざんな反応だった。
 これは、伝統食品に典型的な「作り手発想の落とし穴」だと思う。お客さんが望むのは「おいしいもの」のはずだ。これは私の想像だが、おそらくある時、お客さんがとうふ屋に、「お宅のおとうふは、なぜおいしいのですか?」と聞いたのだろう。とうふ屋は、「とうふというのは、大豆、水、にがりで作るもので、おいしく作るには腕のいるものです」というように答えたのだろう。そこから、作り手と客との乖離が始まったのではないか。「おいしい」というところが大事だったのだが、次第に作り手のこだわりの方が先に立って「俺の作ったこの難しい製法の、俺のこのとうふが…」というふうになっていき、作り手の頭から「おいしい」が消えていってしまったのではないだろうか。
「焼いておいしい絹厚揚げ」は、業界ではいろいろ言われたが、お客さんは、澱粉入りはおいしいということを評価してくださり、今では年間28億円の大型商材に育っている。単品の売上としては、とうふ市場初のことだ。「焼いておいしい絹厚揚げ」の成功により、絹厚揚げは、サブ・カテゴリーからライン・カテゴリーに変わった。

③ 新しい常識を創りあげた「なめらか木綿 3個パック」
絹の3個パックは昔からあるが、木綿とうふの3個パックは、当社が始めるまで、業界では長いこと不可能だと言われていた。絹はパックにそのままとうふを充てんすればよいのだが、木綿は、凝固剤で固めた豆乳を一度崩し、木綿で水分を絞って再び固めてからパックしなければならない。工程が多く、手動でパックしている普通の工場では、大きく手間が増えることになる。製法、コスト、賞味期限などさまざまな理由で、皆ができないと信じ込み、それが「常識」のようになっていた。
 ある席で、「なぜ木綿の3個パックはないのかと、お客さんから怒られた」という話が出た。私はそこで考えてみて、「できるはずじゃないか」と思った。即断即決で、翌日には「木綿3個パック」特別チームを結成し、企画からわずか1か月半で発売までこぎつけた。
確かに、昔の技術ではできなかっただろう。しかし、研究開発が進み、技術的には可能になっていた。とうふ業界が、できるようになっていることに気づいていなかったというだけの話だ。
こうした思い込みの聖域は、とうふ業界にかぎらず、伝統的な市場や超成熟市場には偏在している。OSと同じように、「できない」という常識についても、アップデートしていかなければいけない。

④ 新商品群を支えたプロセス・イノベーション
 とうふは日配品である。消費期限が短く、在庫が持てないうえ、特売時には納品量が通常の10倍にも跳ね上がり発注量に波がある。しかも、売れ残れば値引きか廃棄になる。私は、こういう難しさを逆にとらえて、「おいしいおとうふを安定的に生産供給できるメーカー」として、木綿と絹の王道を極めようと考えた。
日本のメーカーでは、製造工程は、とうふを切った後は手作業でパック詰めをしている。相模屋食料では、製造工程を全面的に機械化することにした。手作業では、人の手で触れられるように、とうふの温度を下げなければならない。時間も人手もかかるうえ、温度を下げれば味も落ちる。機械化すれば、あつあつの状態でおとうふを容器に詰めることができるうえ、あつあつなら雑菌が繁殖しにくく、賞味期限も長くすることができる。
そこで当社は、世界初の完全自動化とうふ製造システムを開発した。高速で動くロボットアームにより、おとうふにパックをかぶせて、暖かいままパック詰めする。この新しい製法を、「ホットパック製法」と名付けた。2005年、この新システムを備えた第3工場の稼働にこぎつけた。新しい機械は非常に高価で、第3工場建設には40億円という大規模な投資を要した。当社がまだ年商30億円だった時代のことである。こうして、とうふは究極の設備産業となった。
 木綿3個パックを短期間で開発・発売できたのも、工程が自動化され、パックに人手をかけずに製造できるようになっていたからである。
当社は、即断即決の実現スピードを身上とするが、スピードとともに、こうした革新の連続ももう一つの強みとなっている。
(編注:④項は下記資料をもとに、小川研究室で補足。参考:鳥越淳司(2014)『「ザクとうふ」の哲学-相模屋食料はいかにして業界No.1となったか』PHP、第3~4章、相模屋食料 ホームページ https://sagamiya-kk.co.jp/index.html

3. ザクとうふ:新しいカテゴリー、新しいターゲット
(1) 「ザクとうふ」
① ガンダムが好きだから始めた
とうふの可能性の象徴として、「ザクとうふ」を紹介したい。「ザクとうふ」でとうふの考え方、カテゴリーが変わった。カテゴリーができたのは、「ザクとうふ」がきっかけである。
 「ザクとうふ」は、4年前(2012年)に発売し、大ヒットした。発売当時、私のようなスーツを着た40代男性たちが、スーパーに並んで「ザクとうふ」を買っていく姿が、そこかしこに見られた。いろいろなメディアからインタビューの依頼を受けたが、「なぜ作ったのか」という質問に対する私の答えは、「ガンダムが好きだから」、「私自身が欲しいから」、ただそれだけだ。趣味と仕事は一緒にするなというが、中途半端でなく必死にやれば認めてもらえる。好きなことがあれば、仕事でも圧倒的に取り組むといい。

 ところで、「なぜザクなのか?」と、聞かれることがある。ザクというのは、ガンダムの地球連邦軍と戦うジオン公国の主力で、モビルスーツを着た兵士である。実は、ザクととうふには共通点がいろいろある。最大の共通点は、名脇役であること、そしてお互い量産型であるということだ。

② ターゲットは普段スーパーに行かない30~40代男性
「ザクとうふ」のターゲットとしては、ガンダムのコアファンである30~40代男性を想定した。間違いなく、スーパーのとうふ売り場へは、能動的には行かない人たちである。土日にショッピングモールに奥様の買い物につき合わされ、奥さんの後ろからカートを押して付いてきているような人たちだ。どうでもいい感じで買い物していて、主にお酒とおつまみにしか興味がない。おつまみは割と高いので、カートに入れようとしても奥さんに許してもらえないが、「ザクとうふ」は200円程度で、これくらいなら大目にみてもらえる。ビールのおつまみは枝豆、冷ややっことなるところへ、「ザクとうふ」が入る。こういうイメージである。

③「モノアイ」シールはすべて手貼り
「ザクとうふ」のパックは、モノアイというザクの目に当たる位置に、シールが貼ってある。実は、パッケージで色が違うものは製造できないということで、これはすべて手貼りである。460万個のシールを張るのは、狂気の沙汰というほかない。言い出したのが社長だからこそ、できることだ。
工場は自動化しているので、検品などを除き、普段、生産ラインにはほとんど人がおらず、3人でオペレーションしている。しかし、「ザクとうふ」を作るときは、モノアイシールを貼るところだけ、36人がラインに張り付いて「機動」して、「ザクとうふ」を「出撃」させた。新入社員が研修を終えて初めてやった仕事が、このシール貼りだった。

④ シャアの声優池田秀一氏を招いて、「ザクとうふ」発表記者会見
発売時には、記者発表会も開いた。とうふ業界では初のことだったようだ。なぜ開いたかというと、ガンダムのシャアを演じている声優の池田秀一さんに会いたかったからだ。池田さんは、ガンダムファンにとっては、神様のような人である。私は、「池田さんに会いたい、どうしたら会えるか、そうだ、『ザクとうふ』の発表会にゲストとして呼べばいい」と思いついた。そして池田さんを招き、握手とサインをしていただいた。直接私に言葉をかけていただき、夜もご一緒させていただいた。これが私の自慢である。

⑤ SNS
発売記念発表会は3月27日、すぐにSNSで大きな反響を呼んだ。特にツイッターでは爆発的な反応があった。全国販売ではなかったので、「見つけた」「ゲットした」というツイートに加え、「こんな食べ方」「次は何だ」という話題で盛り上がった。これをマスメディアが取り上げ、400以上のメディア露出につながった。

(2) おとうふ「3つの初」を達成
「ザクとうふ」の成功でいちばん嬉しかったのは、おとうふの世界で3つの「初」を達成したことだ。
1つ目は、普段はとうふに縁のない30~40代男性が、スーパーのとうふ売場に殺到したこと。
次に、おとうふとして初めて、何も調味料を付けずに、そのままおとうふを味わうという食べ方が受け入れられたこと。普通、おとうふには、お醤油をかける(我々の言葉では「被弾した」と言う)が、「そのままでおいしい」とお客さんから言われたのは、革命的なことだった。そして、1丁(我々はとうふ「1機」と呼ぶ)を、1人で丸ごと食べるという食べ方をしてもらえた。ちなみに、「ザクとうふ」では、「動力チューブ」の部分から食べる食べ方もある。
 3番目に、おとうふが初めて鍋料理の主役になったことだ。ガンダムにはズゴックというキャラクターがいる。私は、水面から頭部を出し、周囲をうかがうズゴックの絵を見ているうちに、「鍋用の水陸両用タイプとうふ」というアイディアを思いついた。これがガンダムシリーズの2作目「鍋用!ズゴックとうふ」である。「鍋用!ズゴックとうふ」では、おとうふをまず入れて、その他の具材を後で加えて食べる。ズゴックでは、鍋写真コンテストもやった。生け花のような作品が、最優秀賞を獲得した。ワールドビジネスサテライトから連絡が来て、審査と発表の様子が撮影された。

(3) ガンダムとうふ シリーズ続編
① 第3弾「ビグ・ザムとうふ」では原点を確認
こうして、ガンダムシリーズの発売により、おとうふの新しい食シーンを次々に開拓していくことができた。ザクは冷ややっこ、小ザクとうふは、デザートシーンにも進出している。
 次の手を考えたが、第3弾は映画やドラマでも、つまらないものになりがちである。私の考えでは、2弾目まではスタッフがやりたい放題にやらせてもらえるので、とがっているのではないかと思う。しかし大ファンが増えると、やっている方は次第にファンの要望を取り入れるようになり、ファン自身がステイクホルダーのような感じになり、丸くなり、つまらなくなってしまう。そこで、3弾目に関わることになった際、私は、「そもそも、なぜ始めたか」という原点を確認することにした。
「ガンダムが好き」、「ガンプラ(ガンダムのプラモデル)が欲しい」、これが私の原点だ。
 この原点に立ち返り、ガンダムファンなら実現してみたい「if」(歴史のifのように、「もしあの時こうだったら、どうなっていただろう」と考えること)について思いめぐらしているうち、ジオン公国の兵器「ビグ・ザム」に思い至った。ジオンは、いつも地球連邦軍に負けてしまう。「ビグ・ザムが量産の暁には、連邦なぞあっという間に叩いてみせるわ」という予言があったのを思い出し、ガンダムファンとしての「if」を実現するために、ビグ・ザムのとうふを量産することにした。
プラモデルについては、おとうふ史上最大の、箱に入ったメガとうふを発表した。「組み立てて食べる」とうふである。たいへん大きな箱だった。スーパーの棚でも家の冷蔵庫でも、さぞじゃまになったことだろう。
「ビグ・ザムとうふ」では、新感覚のおとうふ食シーンとして、ごはん×とうふという組み合わせを考えた。さらに、ジオラマも考案した。ビグ・ザムとともに、ダイコンで作ったミニズゴックなどがいて、対空ミサイルまでついたジオラマだ。ご飯とおとうふに合う形をということで、ケチャップライス・タイプのごはん型抜き容器をつけ、「作戦指令所」と称する指南書も用意した。

② お中元ギフト「ソロモンセット」
この他、お中元ギフト「ソロモンセット」も作った。楽天で細々と販売したが、2週間で5,000セット売れた。これもツイッターなどで出て、「大戦果」「やっとソロモンの戦いができる」という書き込みが多かった。しかし、ほとんどの人は、ギフト用でなく自分用に購入していたようだ。

③ 第4弾「トリプル・ドムとうふ」
 第3弾から沈黙の5年間を経て、昨年(2015年)、「トリプル・ドムとうふ」を発売した。チョコレートタイプのとうふである。

(4) ヒットの理由は「仕掛け感のなさ」と「まさかの衝撃」
ガンダムシリーズのとうふがヒットした理由について、尋ねられることがある。私は一つの理由は、「仕掛け感のなさ」だと思っている。たとえば、確かに記者発表会はしたが、プロモーションというより、自分は池田さんに会いたかっただけだった。あくまで私個人の趣味としてのこだわりのみを貫いた。「ガンダムを知らない人でもわかるように」というような親切な配慮も、まったくない。
また、「おとうふ×ザク」という意外な取り合わせには、「まさか」というインパクトがあったようだ。誰もがあきれるだろうし、実際、社内でも私のアイディアに皆、唖然としていた。想像もできないものだったようだ。スーパーの人に見せると、「スゲーな、この『ロボコップ』」と言われた。
ヒットするものはえてしてそういうもので、ごく一部の人以外には相手にされず、ヒットすると「俺は最初から当たると思ってたよ」と言う人が出てくる。誰もが「いける」と思ったものは、そこそこしかヒットしない。
相模屋食料では、市場調査やモニター調査などは、いっさいやらない。ターゲットも販売もデザインも、何もかも私が自分で考えて作っている。

(5) 売れなかった「仮面ライダー 鎧武とうふ」
ガンダムシリーズのヒットで私も調子に乗り、この後に出して大失敗した例が、「仮面ライダー 鎧武とうふ」である。これはまったく売れなかった。バイヤーに見せると、「これはいいよ、うちにどれくらい回してくれる?」という反応があちこちから来た。初回出荷は36万個だったが、99%は残ったのではないかというくらい、売れなかった。

4. ナチュラルとうふ:新しい“価値観”を創る
(1) ターゲットはF1層  20-34歳の女性
 ガンダムシリーズのとうふのヒットで最大の収穫は、とうふ市場で初めて、ターゲットを絞ったおとうふがヒットしたということだ。それまで、とうふというのは、老若男女が「いらない」とは言わないオールマイティな商品でなければいけないと思われていた。それが、30~40代の男性というニッチなところで売れた。こうして、セグメンテーションして、新しいカテゴリーを創出できる素地ができた。
次のターゲットとして取り組んだのは、F1層と呼ばれる、20~34歳の若い女性たちである。ダイエットのためにとうふを食べている層だ。おとうふについては、まずくはないが、おいしくもないと感じており、「機能」で食べている。そして、「おいしい」という価値軸がなかった。

(2) ファッションショーの晴れ舞台に、おとうふを
一昨年(2014年)の春、初めて「東京ランウェイ」というファッションショーに行った。会場で2万人近い女の子たちの姿を見て、びっくりした。F1の若い女性というと、情報がたくさん入っていて、少しスレていて、同性には厳しい人たちというイメージを、私は持っていた。しかし、ショーで見る彼女たちは、舞台上の女性モデルたちを割れんばかりの歓声で迎えていた。
企業PRステージも驚きだった。会場にはステージの他に、企業ブースが出ている。F1層はPRでも、テレビショッピングのような反応はしないだろうと、私は穿った見方をしていた。しかし、いざステージが始まり、皆がモデルを凝視している熱い雰囲気の中で「VICYACLADY(ビキャクレディ)」(編注:MTGの製品で、美脚を作るバランスサンダル)を見ているうちに、この私ですら買いたくなった。実際、私と一緒にいた男性は、「VICYACLADY」を購入してしまった。
私はこの熱狂を見ているうち、「ファッションショーのあの晴れ舞台に、おとうふを登場させたい」、「女の子たちからキャーキャー歓声を浴びながら、おとうふを見てもらいたい」と思った。
この私のアイディアに対して、周りは大反対した。社内からは「社長は騙されている」、「一緒にいる外部の人は怪しい」という声が上がり、ファッション界からは、「ファッションをなめているのか」という反応が返ってきた。
皆反対だったので、この企画には私1人で、思いのままに取り組むことができた。味方はいらない。

(3) 商品開発
① F1層を自らリサーチ、キーワードは「ナチュラル」
F1層をターゲットにするにあたり、まず、「F1層とは何か」を考えた。リサーチ会社は大手の会社が使うもので、私たちは中小企業であり、強みは機動力である。私は「表参道を歩く」、「女性誌を片っ端から読む」、「女性の集まる場所に行く」という手法で、1人でF1層のリサーチを始めた。
表参道では、パンケーキが流行っていたので行ってみると、並んでいるのは地方の子たちのようだった。F1層がいるのは、定番のチョコレートの店などである。女性誌については、年代別に別々の雑誌に分かれているのも知らないほどだったが、社員に聞きながら全部読んで、ターゲット層についての感覚を高めていった。
 女性の集まる場所にも、あちこち出向いて行った。スーツを着たおじさんがいては浮くのではと最初は心配したが、そんなことはない。というより、誰もあなたのことなど見ていない。そう割り切ると、どこでも行けるようになる。
 
 こうしてF1層の観察を重ねるうちに浮かんできたキーワードは、「ナチュラル」だった。モデルも、昔のような細いタイプは終わりで、わりと自然な体系の女性が多い。

② 新技術で可能になった、スプーンで食べるとうふ
 私は、「ナチュラル」は、「おとうふにぴったり」だと考えた。その頃ちょうど運よく、USS(Ultra Soy Separation)という新しい技術が実用化された。USSは、世界で初めて、とうふをクリームと低脂肪豆乳に分けることを可能にした特許技術である。豆乳クリームは不二製油が試作品を作っていたが、とうふについては我々が専門なので、一緒に開発に取り組んだ。豆乳クリームを使えば、大豆だけで今までなしえなかったコク、うまみ、滑らかさが出せる。
 こうして「ナチュラルとうふ」(「マスカルポーネのようなナチュラルとうふ」)が誕生した。フレッシュチーズのような味わいで、オリーブオイルをかけ、スプーンでナチュラルに食べる、新しいスタイルのとうふである。

(4) 新しい価値軸を表現する
① 新しい価値型カテゴリーを創る
「ナチュラルとうふ」で実現したかったのは、新しい価値軸である。既存のとうふは、木綿と絹を核にしている。その周辺を、製法や、形、価格などさまざまな属性が取り巻く。一方、「ナチュラルとうふ」は、木綿と絹とは別の世界のものだ。「ひとり鍋」シリーズも同じである。
「ナチュラルとうふ」では、「価値型カテゴリー」を創った。価値・機能が最優先で、「私だけ」のものを好み、価格という価値観とは希薄な方々を相手にしている。「ナチュラルとうふ」では、ターゲットの感性と、我々がやりたかったこととが、図らずもマッチしていた。

②「ナチュラルとうふ」、ファッションショーへ
「ナチュラルとうふ」は、念願かなって、東京ランウェイと神戸コレクションというファッションショーにも登場した。会場に来ている女の子たちは、最初、秋冬のショーの時は、「なぜ、とうふがここに?」という反応だった。次に春夏のコレクションに出ると、今度はたいへんな反響が返ってきた。
 まず、モデルに、とうふを持ってランウェイを歩いてもらう。そして会場のブースで、とうふのサンプリングをした。おとうふのブースは、1時間待ちの大行列になった。女の子たちに、「あのおとうふが欲しい」と思ってもらえたことが、私にはとても嬉しかった。

③ とうふのポテンシャルを広げる:ハロウィン、バレンタイン、カップタイプ、朝食
「ナチュラルとうふ」がナチュラルチーズ的な価値観で受け入れられたことで、我々は新規ブルーオーシャン市場で、次々に新製品を打ち出した。ハロウィンでは、期間限定でカボチャ風味のとうふを出した。バレンタインにはチョコ風味のとうふを発売したところ、大反響を呼び、今は「ナチュラルとうふ チョコレート味」として定番になっている。

 容器も工夫した。おとうふは、水を切ったり、器に盛ったりしなければならないので、家や料理店でしか食べられない。そこで、「ナチュラルとうふ」はカップタイプも出して、いつでもどこでもおしゃれに食べられるようにした。
 おとうふは、普通は満量充てんしている。それを、ヘッドスペースといって、容器の上部に空間を空けた。ここにソースをかけて、食べられるようになっている。実は、ヘッドスペースを空けてとうふをパックするのは、技術的には大変なことである。
  
 おとうふの使用シーンも広げた。実は、おとうふには朝の使用シーンがない。そこで、「F1層×朝食」をターゲットに、朝専用ナチュラルとうふとして、「とうふで、グラノーラ。」を開発した。神戸コレクションに出ている浦浜アリサのプロデュースで、トップモデルの朝食スタイル提案という形で、この3月に発売した。
 カルビーとコラボした「フルグラ」バージョンも出している。カルビーは、「フルグラ」というグラノーラを、ヨーグルトを食べるための素材に転換した。ヨーグルトが主役、グラノーラは従というカルビーのお友達作戦に、相模屋食料も加えてもらったわけである。

④ 植物の時代に向けて
 私は、おとうふをファッションアイテムにして、ファッションショーで女の子からキャーと言ってもらいたいと思った。その夢を実現して、おとうふのポテンシャルをファッションショーで証明することができた。成熟市場であっても、新たな探求の余地はいろいろある。それをせず、さぼっていたのは、とうふメーカーの側だということがわかった。
 「ナチュラルとうふ」の開発メンバーは、USS製法による豆乳・とうふの新カテゴリーの製品開発により、「ものづくり日本大賞 経済産業大臣賞」を受賞している。
2015年12月には、不二製油と当社の合弁で、だいずオリジンという会社を立ち上げた。これから、大豆加工品の商品開発を進めていく。
 世の中は、動物性の時代から植物性の時代に移行しつつある。相模屋食料は、すべて植物性の食品で、新しい挑戦を重ねていきたい。

5. 相模屋食料の強み
(1) 圧倒的なスピード
 当社の強みは、圧倒的なスピードだ。何かをきれいにやろうとは思わない。泥臭く、ど根性で突き進み、壁にぶつかれば、そこから修正していく。ごちゃごちゃ考えず、突き進む。カタカナの英語で話したのでは、社員には伝われない。だから私は、自分の言葉で話す。そして、何かをやると決めたら、とことんやる。
 必殺技は、最初に出す。ウルトラマンは、必殺技(スペシュウム光線)を最後に取っているが、最初から出せば、無駄にビルを壊したりせずに済むはずだ。必殺技というのはどうせ大したものではなく、また新たな技が出てくる。だから先に出し、勝ち続けることが大事だ。

(2) ベーシックな土場で強みを固める
 イノベーションを始めるときは、まず地道なベーシックな部分で、誰も取り組んでいないところを見つけて着手すべきだ。我々は、まず絹と木綿というベーシックなとうふで強みを固めた。最初に新規カテゴリーを創りたがる人が多いが、新しいカテゴリーというのは、市場全体の5%くらいの規模にすぎない。
 何かを始めるとき、特に成熟市場では、勝負は価格しかないと思われがちだが、これは思い込みにすぎない。本当のニッチは何か、考えるべきだ。業界というのは、とかく噂が蔓延しているところで、それを信じて常識にしてしまうと、落とし穴にはまる。我々は木綿と絹に徹底的にこだわり、差別化ポイントを見つけていった。
 ベーシック商材のよさは、一過性ではない強固な成長イメージを描きやすいところである。工夫次第で、成熟市場もおいしいブルーオーシャン市場に変わる。

質疑応答
(小川教授)ここで、質疑の時間を設けたい。

(質問)私は以前、真空成型品を製造する会社で働いていた。御社のパッケージは、大変優れている。金型の設計なども、社長が手掛けていらっしゃるのか?

(鳥越氏)開発は、基本的にすべて自分でやっているが、パックや金型については、業者にお願いしている。思いを共有する人と組む。パッケージは東北のメーカーで、社長は私より2歳年上だ。「リスクはまあどうでもいいから、とにかくやってみよう」という感じでやっている。「鍋用!ズゴックとうふ」のパッケージなど、大手なら手を出さないだろう。大きいパックメーカーと組むと、お金もかかってしまう。ザクとうふのシールも、段ボールのメーカーも一緒になり、担当者とチームを組んで開発した。何かあれば、電話一本で意図がぱっと伝わるような仲だ。
「ザクとうふ」も、最初の試作品は、ほとんどSDガンダムのディフォルメだった。私が欲しかったのは、「ザクみたいなもの」ではなく、「ザク」だ。そう言って、20回くらい試作を重ねたが、それくらい一緒になってやってくれる相手と組む。

(質問)そこまでガンダムが好きなら、なぜシャア・アズナブルが出てこないのか、気になるのだが。

(鳥越氏)シャアは絶対やらない。なぜかというと、ザクは量産品だが、シャアはたくさんあるべきものではない。「100個に1個くらい、シャアがあるとうれしいんだけど」と流通からは言われたが、量産はザクと決めていた。

(質問)ガンダムとうふでは、ライセンスの問題はどうだったか?

(鳥越氏)『日経ビジネス』でもインタビューがあったが、ライセンサーの方は最初びっくりして、「とうふとガンダム?」と意外に思われたようが、おもしろそうだということで、企画を温めてくださった。我々は、「ガンダムが好き」ということと、とうふの企画について話した。単に好きで、ただガンダムでやりたいだけというのは珍しいと思っていただいたようだ。

(質問)技術面では、不二製油とコラボされている。とうふでは充てんの仕方を変えたりされた。今まではできなかったようなとうふが作れるようになった、そのための工夫や技術について伺いたい。

(鳥越氏)さっき、きれいにやろうと思わないと言ったが、開発についても自分たちで何もかもやろうとは思っていない。技術的にできないことは、誰かに助けてもらう。以前、大手メーカーの社長と話していたら、「俺のところは、捨てるということができない」とぼやいておられた。私は、やらないと決めたら誰かにやってもらう、プライドを捨ててやる。私は、自分がやりたいことについて、熱っぽく語る。すると、必ず誰かが、「それなら、自分のところでできる」と言ってくるものだ。だから、社内で技術開発というより、「思い」を核に企画を進める。私が熱く語り続けるうち、「思い」に引かれて人が来て、その人が助けてくれる。私自身は、動き回りながら、技術をコーディネートする機能を果たしているのだと思う。

(質問)御社は機動力を大事にしているとのことだった。社長は非定型な業務に集中しておられるように見えたが、既存の業務との分担はどうしていらっしゃるのか? 

(鳥越氏)私はもちろん、社長の仕事や工場管理などもやっている。新しいものの開拓は、机の上からは始まらない。考えるのは、人と話している時や移動中だ。気になった時は、周りの人とホットラインでつなぐ。

(質問)商品開発についてだが、社内で他の方が開発する商品は、比率にしてどれくらいあるのか?

(鳥越氏)開発はすべて、私が1人でやっている。他の社員が開発した商品は、一つもない。私の思いを汲んで試作してくれる社員が、今、新卒で1人育ってきているところだ。不二製油には技術的に助けてもらっているが、アイディアは基本的に私から出している。
 我々は中小企業のチャレンジャーである。大手企業のように、安定を目指す段階にはなく、会社として、今はひたすら突き進むというステージにいる。

(小川教授)まだ鳥越社長はまだ42歳とお若いので、少なくとも後10年くらいは、自分でおやりになれるだろう。今日はありがとうございました。
(了)