JFMA顧問の坂嵜潮さんから、『自然栽培:タネの秘密』(東邦出版)という“雑誌本”を紹介された。監修は、自然栽培の伝道者、青森のリンゴ生産者の木村秋則さん。その第4号では、木村さんの「タネは記憶する」というコラムが実にユニークだった(この話は、個人ブログでも紹介したことがある)。
木村さんによると、タネは根を出して花を咲かせて実をつけると、その土を「記憶する」のだそうだ。根拠となっているのは、木村さんの以下のような経験である。木村さんは、かなり前に、山の樹々や草花たちが肥料も農薬も使わないのに立派に育っているのを見て、「山の土ならば何でも育つはずだ」と考えて、山の土に稲の苗を植えたことがあった。ところが予想に反して、ほとんど育たなかった。それでも一応は穂が出て30粒くらいのタネモミがとれたので、翌年、そのタネモミをまた同じ山の土に植えてみた。結果は、今度は立派に育って10倍の収穫量になった。どうやら、タネには土を記憶する力があるらしいのだ。タネは自然にその土地(光と水と微生物)になじんでいく。あるいは、多くのタネの中から、その土地との相性がよい系統が残っていく。つまり、在来種のタネには進化の「多様性」が埋め込まれているらしいのだ。だから、人間がタネと付き合うときは、その多様性を奪わないようにしなければならない。
この話を、千葉県木更津市で「耕す」という有機農場(30ha)を運営している富増洋右さんと話していたら、おもしろい反応が返ってきた。「この農場が何とかなっているのは、自分というタネ(遺伝子)がこの土地になじんでいるからでは?」。有機農業を実践している富増さんだが、東大卒で10年前までは大手コンサル会社の社員だった。脱サラして農場主にはなったが、実家は佐賀県で酪農を営んでいた。農家の血を引いているのである。上司(社長)は、音楽プロデューサーの小林武史氏である。どちらかといえば、理念先行型の経営になりがちである。それでも、曲りなりに有機のニンジンやカラフルな大根が収穫できているのは、富増さん自身の中に埋め込まれている“仕事の遺伝子”に秘密がある。富増さんは、在来種のタネなのである。
もしも富増さんが自分で資材を購入して自力でビニルハウスを建てることができなければ、そして、山岸会の知恵を借りて木製の鶏舎を自作できなければ、木更津農場は成立していないだろう。持続可能な農業に必要なインプットは、坂本龍一(作曲家)や櫻井和寿(歌手)、小林武史(音楽プロデューサー)が拠出してくれている潤沢な「資金の後押し」ではないのだ。一緒に取材に同席してくれたNHKの教育番組プロデューサー(木更津在住)で、ご自分でも0.7ヘクタールの水田で無農薬米を栽培している山野てるひこさんの実家も、戦前は能登半島で大地主だった。山野さんも、作業小屋を自力で改築したり、移動運搬用のトラックは、天ぷら油を燃料にしたSUVに改造できている。
これから、妥結したばかりのTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の後始末がはじまる。国が支出する農業への支援金が増えて、若手の新規就農者は増えてくるだろう。しかし、事業的に成功できるかどうかについては、遺伝子的な特性が試されるだろう。わたしは、理念先行型の(農的生活に理想を求める)人間は農業には向いていないように思う。元気に生き延びている新規参入者の共通点は、「基本的にアスリート(運動選手)ですね!」(富増さんの肉声)。山野さんの仕事の遺伝子も、実は戦前の石川県にあった。農業も、さくさんある仕事の中のひとつである。