ようこそ、驚きのブルーな新世界へ

 白内障の手術が終わって二日目。自宅療養をしている。右目の視界には、青い海の際から新緑の森の景色が広がっている。昨日は曇天のはずだったが、三田病院の窓からは東京タワーが明るく輝いて見えた。対照的に、5日先に手術が予定されている左目の視界は、セピア色に静まり返っている。



 右の目と左の目を交互につぶると、60年をかけて少しずつ劣化してきた自分の眼球の歴史を知ることになる。遠い昔のままに放置されている左目の濁った世界と、生まれ変わったばかりの右目の人工レンズからのぞき込む鮮やかな澄み切った風景の対比。
 友人の被験者たちから噂には聞いていたが、戦前と戦後のふたつの世界にこれほどのちがいがあるとは。驚き桃の木である。自分の目の部品は、サイボーグとして生まれ変わっているのだった。
 視界が美しく切り変わったことで、意識や行動が変わってしまう気がする。たとえば、マラソンの練習やレースで、走り方に変化が生まれるのではと期待している。もちろん、ポジティブな方向にである。

 手術後に自宅に戻ってびっくりしたのは、料理の食材の色が鮮やかに見えるようになったことだった。忘れていた、というよりも、今まで知らなかった美しい色を取り戻した感じなのだ。
 なんの変哲もない野菜や、昨日までふつうに食べていたマグロやホタテの刺身の色が、これほどまでに美しかったとは。冷凍庫からパッケージを取り出して、自然解凍させながらホタテの表面に包丁を入れた。すると、空気中に漂っている水分が、冷凍されていたホタテの断面に霜のように付着するのがわかった。いままで気がつかなかった食材の自然な変化だった。
 食べることは人一倍好きなつもりだったが、昨夜の夕食は、これまで経験したことのない感動だった。ひじきの黒い色、焼きそばに付いてきた紅しょうがの鮮やかな赤色、鮭の切り身の細かな筋の造形のみごとさ。明るい蛍光灯の光の下で、食材のすべてが美しく見えた。

 そうそう、来週、左目の手術が終わるころには、土手の桜がほころび始める。
 アルカディア市ヶ谷の二階レストランから、外堀通りの桜を見下すのが楽しみだ。桜が満開になる前に、走りはじめることができるだろうか。ランナー仲間の小林さんと、東京各所の桜を見ながら、下町を「江戸花見ラン」する。楽しみがまたひとつ増えたようだ。
 夏になったら、房総の海で泳ぐことも叶うだろう。今度は、空と海の色がまるで変わって見えるかもしれない。夏休みには、トレールランに行こう。奥多摩や森林公園の緑も、去年までの風景は上書きされてしまっていることだろう。
 都市から自然の中へ。そうそう、友人たち七人の侍と、今年4月から千葉の八街に農場を借りた。新しく視界を取り戻したことで、この先は自分の行動が大きく変わってしまいそうだ。

 さて、新しくなった右目をこれ以上、疲れさせてはいけない。
 投稿はこの程度にして、そろそろ画面を閉じることにする。でも、入力画面も、いままでにないほどくっきり輝いて見えている。きっと、わたしの文章の表現の仕方も、この先はちがってくるように思う。 
 それでは、、、、