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第10 回「セルフサービスの店 八百幸商店、開業する!」『チェーンストアエイジ』2009年2月1日号
(前号までのあらすじ)
 前橋にある松清本店(現:フレッセイ)を訪問した川野トモ(ヤオコー元名誉会長)は、スーパーマーケットこそが自分たちの生きる道だと直感した。その場でセルフサービス化を熱心に勧めてくれた植木英吉社長は、トモのために小川の町まで泊りがけで来て、義理の両親、清三・志げ夫婦を説得してくれた。そして、一夜が明けた。
 昭和33年5月、小川町本町通り、八百幸商店
 植木英吉(42歳)は、翌朝一番の電車で前橋に帰っていった。繁盛している松清本店を、2日も続けて放り投げておくわけにはいかない。すぐにセルフサービス化に結論が出せたわけではなかったが、川野トモ(38歳)は英吉に対して感謝の気持ちでいっぱいだった。
 小川町の駅まで英吉を見送ってから店に戻ると、清三(54歳)がトモを待っていた。清三の隣には、番頭の児玉勇(23歳)が立っている。清三は、トモを労いながら言った。
 「お帰りなさい。お見送りご苦労様でした。ところで、勇が松清さんの店を見てみたいそうだよ」。
 「あら、勇さんは、昨日のわたしたちの話しを聞いていたのですか?」
 児玉勇は、まじめな顔でトモの言葉にうなずいた。小僧のころから八百幸商店で働いてきた児玉勇は、今は番頭格の従業員として、荘輔(48歳)の下で青果と鮮魚を中心に小売の仕事全般を任されていた。小僧さん2人と2階の6畳間に住んでいる。寝ている部屋が同じ2階だから、昨夜は遅くまで続いていた家族と植木英吉の話し声が聞こえないはずはなかった。
 「奥さん、松清さんがスーパーに変わったのは、お店の若い人たちが言い出したことなのだそうですね。自分も一度、その前橋の店を見てみたいです」。
 意外な展開にトモは驚いた。駅まで見送りに出たときに英吉が、「何かあったら、いつでも連絡をください。電話番号は、小川町の116番でしたね。すぐにでも駆けつけてさしあげますから」と親切に言ってくれたことが現実になりそうだった。清三も番頭の児玉勇が言い出したことなので、複雑な顔でそれに応えることになった。
 「勇、トモから植木さんに連絡を入れてもらいなさい。前橋まで行って、セルフサービスの店を見てきたらいいだろう。そのうち、わたしも店を見せてもらいに行くつもりでいるから」。
 清三の気持ちも、セルフサービスの店を試してみる方向に固まってきたようだった。

 清三の決断
 万事に慎重な清三が、植木英吉の説得を受け入れるつもりになったのは、どちらの商店も鮮魚を中心に仕出しと卸売の業務が、売上全体の半分近くを占めていたことが大きかった。万が一、セルフサービスの店が成功しなかったとしても、結婚式の仕出しや病院などへの給食の卸業務で、八百幸商店には固定的な収入がある。
 新しいセルフサービスの売場も、失敗したらすぐに元に戻せるような作りにしておけばよいだろう。英吉の説得は理にかなっていた。清三のような慎重な経営者には、その言葉が実に効果的だった。
 1階の八百幸商店の方は、そのころから荘輔・トモ夫婦と番頭の児玉勇たちに任されていた。従業員たちの食堂と共用になっている台所兼食堂で、結婚式やお祝い事用に仕出し弁当をつくる作業が、清三・志げ(58歳)夫婦の主な仕事になっていた。
祝い事の代表的なメニューは、塩焼きのタイ、おさしみ、祝いものの羊羹、そして、めでたい絵柄の入った砂糖菓子。清三の実弟で順養子となった荘輔・トモの夫婦も、台所で義理の両親たちの仕事を手伝っていた。寒天から作る祝いものの羊羹が、トモの得意料理だった。
 川野家の親戚筋には、トモを特別にかわいがってくれていた前田徳次氏(故人)がいた。前田氏は小川町の有力者で、「若い人たちのために、思い切ってセルフへの転換を考えてやりなさい」と清三は説得を受けていた。
 「この際、セルフ転換後の店については、全面的に息子たち夫婦と番頭の児玉に任せてしまうことにしよう」と清三は考えはじめていた。
荘輔・トモの夫婦にそのことをはっきりと告げたのは、清三自身が前橋の松清本店を見て、東京・青山の紀ノ国屋を見学してからのことだった。

 勇もセルフサービスにぞっこん
 翌月、番頭の児玉勇が前橋に出かけて、松清本店を見学してきた。
トモが前もって勇に話しておいたように、松清の売場は、「完全なセルフ販売」の形で運営されていたわけではなかった。鮮魚は対面の量り売りだった。青果の売場はセルフになっていたが、野菜や果物は適当な量だけをかごに入れて、レジで清算する方式がとられていた。乾物や煮物、惣菜類は、小分けをして袋詰めにされていた。なぜか精肉は扱われていなかった。
 それでも番頭の児玉勇は、すっかりセルフサービスの店に魅入られてしまったようだった。勇は魚をさばくのが得意である。鮮魚の売場が対面販売なら、新しい店でも自分の腕を存分に活かすことができる。
 トモと荘輔は、日本NCR(ナショナル金銭登録機)の成沢という営業マンから助言をもらいながら、セルフ販売に売場を変えたときの作業分担を考えてみた。松清本店と比べて精肉の部門がある分、八百幸では売場を少し広くとらなければならない。30坪を45坪に広げたとしても、レジは松清本店と同じ2台で十分だろう。
 「成沢さん、レジ係は何人必要になります?」
 「植木さんのところは、レジ1台に2人をつけていますね。わたしどもの本社で今度、何人かレジ打ちの研修を受けてみますか?」
 八百幸商店にもNCRの旧式のレジは入っていた。セルフにするときには、もっと性能の良い最新型のレジ「NCR21」を導入するつもりだった。それでも常時4人、レジ係の女性が必要になる。
 グロッサリーと惣菜の小分け作業には、専門の作業員が必要だった。松清本店でも、店の裏手で、お菓子の一斗缶を小分けして袋詰めしていた。マーガリンや食用油は、ラップした後で値づけ作業に忙しそうだった。店内の補充作業員も必要になる。結構、新しく人をたくさん雇わなければならない。在庫品を置いておくために、新しく余分な場所もいる。

 まるで、百貨店
 日本NCRの本社で、レジ打ちの研修が終わった。売場レイアウトと陳列は、基本的に松清本店にならった。入って左側にレジが2台。その壁伝いに、ビン詰めと缶詰の陳列。正面が鮮魚売場で、その右隣が精肉の対面売場。壁の右側には、惣菜と乾物。道路側の壁面と売場の真ん中は、小分けしたグロッサリー類が、特別の什器に陳列される予定になった。
 店舗の大幅な改装が済んで、暮れの開店の日を待つばかりになった。毎月9のつく日が定休日だった。トモは従業員と連れ立って、スーパーマーケット巡りに余念がなかった。前橋の松清本店はもちろんのこと、青山の紀ノ国屋か立川のいなげやに見学に出かけていた。遠くは、神奈川県の湘南逗子の鈴木屋に店舗見学に出かけることもあった。
 店名は、「セルフサービスの店 八百幸商店」とした。NCRの指導を受けてセルフサービスを導入した食料品店は、原則として「セルフサービスの店」を表看板に掲げていたからである。
 前夜は、開店の準備で全員が眠れないほど忙しかった。朝10時。小川地区ではじめてのセルフサービスの店が開店した。ものめずらしさも手伝って、朝早くからたくさんのお客さんが店の前に並んだ。徒歩客だけでなく、自転車で来店する客も多かった。
 入り口には、セルフサービスの象徴である買い物かごが置かれた。それを手にとって、買い物客は左回りで店を一周する。バスケットに商品を入れて、順番にレジで「お会計」を済ませた女性が思わずもらした言葉が印象的だった。
 「まるで、百貨店(デパート)で買い物をしているみたい!」。
それは、新鮮な買い物体験に対する感動の言葉だった。セルフサービス時代の幕開けが来ていた。
| Kosuke Ogawa | 08:35 | - | - | pookmark |

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