関西学院大学での学会が終わって、JR西宮北口駅から新大阪まで出た。新幹線に乗って京都駅で途中下車。そのまま、五条の大黒町にある町屋に向かった。目標は、京都五条の”五軒ういろ”(有名な老舗菓子店)。タクシーにその場所を告げると、一方通行の通りをぐるり回って、表家の前で停めてくれた。
五軒ういろの前で「女将見習い」の林まやさんと合流するつもりが、「サウナ」という看板がある場所にタクシーが停まろうした。そこは、本当は銭湯らしい。わたしのほうが先に到着してしまうことになった。
表の家は、一方通行の表通りに面している。オーナーの長谷川さんが所有しているのは、3軒続きの真ん中の家。左側の家には、「草月流」の看板がかかっている。「着付け教室」とも書いてある。着物を着たきれいな先生が畳に座って、お稽古をしている様を勝手に想像してしまう。外壁も屋根もリフォームしてあるからきれいだ。ところが、右側の家には人が住んでいる気配がまったくない。屋根も黒壁も荒れ放題だ。
表家の一階の右側は、裏の家(訪問先の町屋)に通じる細長いトンネルになっている。つまり、1Fの一部分が”がらんどう”なのだ。黒い板壁の暗がりを抜けると、古い町屋がその先に数軒、横方向に並んでいる。砂利道の突き当りは、さらに狭い路地になっていて、そこにも、裏の家と同じサイズの古い町屋が10軒ほど、両側に長屋のように並んでいる。
「夕方になると、かわいいおばあさんたちが、どこからともなく出てくるんですよ」とまやさん。まるで小人の国の話のように、まやさんが夕涼みの路地裏の風景を話してくれる。
路地の最初の角地に、リフォームが完了したばかりの小さな二階建ての町屋があった。目的地の裏家だ。ほとんど作り変えてあるから、新築物件と同じだ。
辺りには懐かしい空気が漂っている。こどもの頃に、パッチ(メンコの秋田弁)やビー玉や缶けりをした場所だ。50年前のむかしにタイムスリップしたような気分になる。風景の錯視なのだが、髪を三つ編みにした妹や、どてらを来た体の大きな従兄弟たちが、「兄さん、ずるい。いま(ビー玉)動かしたでしょ」という抗議の声が聞こえてきそうだ。
そうそう、いつも道子には怒られたものだ。いまでも、電話をしてくると、怒った風な声で話す。全然、変わらない。
裏の家は、総ヒノキ造りの贅沢な家だった。建坪は16坪と小さいが、総二階である。ずいぶんと作りが凝っている。
まやさんと靴を脱いで、通用門から裏家の中に入る。上り框が、坪庭風になっている。ウッドデッキの仕様で、通用口には欄間がかかっている。
新しい家の匂いがする。それもヒノキの香りで快い。夜中に、仕事を終えた娘のともみが、タクシーで裏家まで遊びに来たが、家に入った彼女の第一声が、「木の香りがする!」だった。たしかに、「五条の森」の中に入っていく気持ちになる。
まやさんが最初にわたしに見せてくれようとしたのは、お風呂場だった。施工主(大工さん)は、浴槽をユニットバスにするつもりだった。ところが、床のフローリングも天井も総檜造りにしてしまったものだから、欲が出てきたらしく、浴槽も「まき」の木で作ってしまった。
「洗い場がないのが、これって泣きどころでしょ。狭いから脱衣所もないのよ」(まやさん)。だから、いったんなみなみとお湯を張って体が温まってから、「西洋式」に、木製の風呂の中で、じゃぶじゃぶと石鹸をつけてシャワーを浴びるしかない。でも、木の香りがするから、この風呂はけっこうくつろげる。
町屋のリフォームの醍醐味は、旧家をどのように保持するかだろう。この家は、土壁の素材を昔のままで使っている。デザイナーさんによると、いろいろと薀蓄を語ることはできるらしいが、ともかく、家の中が自然な匂いがするのは、木と土で壁ができているからだろう。
一階は、住空間のすべてが、オープンキッチンのリビングダイニングで占拠されている。残りのスペースに、トイレと浴室と埋め込み式の食器棚があるだけ。
細い階段を上がった二階に、書斎と寝室がある。板の間(書斎空間)と畳の間(寝室)の二部屋。住空間としては、つながっている。
おもしろいのは、板の間の書斎に、和風のベランダが付いていることだ。隣家の屋根は、京都によくある瓦葺である。ベランダの障子には、上下に細いスリットが入っている。この上下の隙間から、隣家の瓦が障子の模様になって見える。デザイン的な借景である。写真を見せられないのが残念。
林夫妻と知海が自宅に帰っていったあと、一晩、ひとりで和室に泊まってみた。とにかく、静かだ。物音ひとつしない。虫の声も人の声もまったくしない。もちろんお地蔵さんも出てこない(この家には、お地蔵さんが祀ってあるのだ)。
一晩、新築の町屋でぐっすり眠って、朝6時にまやさんが京都駅まで送ってくれた。
京の町屋@大黒町。しばらくは、「試験運転的」に宿泊ができるそうだ。宿泊をご希望される方は、小川まで(笑い)。カップルに最適だが、最大4人くらいまでは泊まることができる。食事は、ちかくに祇園の飲食店が多数。朝はケータリングかな。