法政大学に川喜多喬というユニークな教授がいた。小池和男先生(経営学部→IM研究科)が、東京外大にいた川喜多さんを中途で採用した。その後、大学改革で新設のキャリアデザイン学部に移籍したのだが、学部長に就任することなく再度、経営学部に舞い戻ってきた。昨年3月に退職している。
下仁田温泉の清流荘は、その川喜多さんから教えられ、はじめて投宿したのが15年前のことである。群馬と長野の県境にある、実にのどかで鄙びた温泉宿だった。「日本秘湯を守る会」に所属していたので、一冊目のスタンプ帳には「清流荘」のハンコが残っている。朝日旅行社の「秘湯の宿手帳」は、いま6冊目に入っている。
そのなつかしい清流荘に、15年ぶりで泊まることになった。時代の流れなのか、清流荘にはHPがあった。そこから予約を入れた。当時と比べると、ずいぶんと部屋や料理のグレードがアップしているではないか!
わたしの基準だと、「離れ」をたくさんもっていて、料金が15000円を超えてしまっている宿は、秘湯の条件を満たさない。部屋にはトレイだけでなく、一部にはヒノキ風呂までついていたりする。だから、清流荘は、もやは秘湯と呼んではいけないだろう。
当時を振り返ってみると、宿泊した数日前に洪水があったらしく。そのときは露天風呂が使えなかった。群馬の片田舎の一軒宿である。どこでこんな宿を見つけたのか、外国人のバックパッカーなどが数組、泊まっていた。
そんな宿が、こんなにも立派になっている様子をみて、ちと複雑な気持ちになる。しかし、本日、マーケティングサイエンス学会の研究会(土葉会)と大学院のゼミ(二年生)が終わってから、車を運転して泊まりに行くことになっている。
清流荘に宿泊することにしたのは、翌日、甘楽町のさくらマラソン(20K)を走るためだ。
このレースは、長い距離と短い距離を二度走ったことがある。もしコースが変更されていないとすると、甘楽町さくらマラソンは、雪解け水が流れている清流の堀を横目に見ながら、桜吹雪のなかを走ることになる。適度にアップダウンがある涼しげな道を、気持ちがよく走った記憶がある。
そんな小さな町のレースだったので、10年ぶりで走ってみようと思ったわけである。10年前の参加者は、数百人規模だった。ランニングブームである。10年後のいまはどうだろうか?
今回は、東京マラソン以来の公式レースになる。記録はまあどうでもいい。復帰後の第一戦である。1時間50分を切りれば、御の字だろう。
そういえば、この宿を紹介してくれた川喜多教授は、大阪の生まれで茨城県牛久に居住している。川喜多さんは、わたしの顔をじろっと見ると、いつも「秋田の小商人(わたしの実家は呉服屋だった)が、純朴な農民をだましている」と言っていた。本当にそう思っているらしかった。
もともと彼は、わたしとはちがって、あまり体が丈夫ではなかった。いつも春先はぜんそく気味で、関東地方に低気圧が近づくと授業が休講になる傾向があった。「前線到来休講?」というのが学生達の噂だった。
本当に体の調子が悪いのか、それとも、単に病気を理由にサボっているのか。よくわからないところがあった。さて、その川喜多先生の宿に行く。清流荘がどんな風に変わったのか、見るのが楽しみだ。