「日経本紙」の書評欄(日曜読書欄)や「日経MJヒット塾」の連載(6回)を頼まれるなど、新聞や雑誌など印刷メディアへの露出が増えている。昨日は、テレビ東京から取材の依頼があった。テレ東はコンテンツがビジネス系なので、とりあえずは取材に協力する形で電話口には出た。
しかし、テレビ出演の依頼になりそうだったので、お客さんが来ていることを理由に、取材を途中で中断した。就活に向けて、ワールドビジネスサテライトで「ホワイト企業」(文芸春秋から本が出たらしい(笑)。アイデアを違う形で取られてしまった!)の特集を組むらしい。わたしが経営者たちの「ホワイト企業恐怖症」について頻繁に書いているのが目に留まったらしい。
「先生、そんなことを言わず、(テレビに)出てくださいよ」という友人たちもいる。学生達はほんとうはもっとメディアに出演して欲しそうだ。秘書の福尾には、「バラエティ番組なら、その場でお断りして」と言ってある。問題は、NHKやテレビ東京のようなビジネス系の番組からの出演依頼である。
以前は、たとえば、「未来からの贈りもの」(シンガポール航空)や「サンデージャポン」(松川弁当店)は、時間がある限り対応するようにしていた。それでも、このごろは出演(の準備)が面倒くさくて断っている。というか、そもそも急なことでほとんど時間がない。
番組への露出を嫌うのには、二つの理由がある。
ひとつは、そもそも一般人に顔を知られたくないからだ。ブログや経済記事ならば、顔を出しても街を歩いていても識別はできないだろう。しかし、視聴率が二けたのバラエティ番組などとなると、事情は違ってくる。
安心して町を歩いたり、レストランで食事ができなくなる。このことは、弟子の八塩圭子(フリーアナウンサー)とご飯を食べにくい事例を書いたことがある。そもそも素行があまり良くないことは知られている。だから、とにかく一般人には顔の露出は控えたい。
もうひとつの理由は、取材がしにくくなるからである。いま「ホワイト企業」と「小説 坂本孝」と二冊を並行して取材しながら執筆している。いろいろな会社や個人と、一回当たり90分ほどのインタビューをする。いまのところは、インタビュー対象者にとって、わたしはほぼ無名である。有名私立大学の教授であることは、ほとんどインタビューアーとしてはネックにならない。自由に話しが聴ける。
彼らは、わたしの素性をほとんど知らずにインタビューを受ける。自分のことを記者に話するように語ってもらった方が、心理的なバリアが低いのだ。相手も話しやすいに決まっている。自分が有名になって、このような気楽な立場や関係性を失くないのだ。
当面、このスタンスは変えるつもりはない。どこかの経済小説大賞や直木賞をいただくまでは、一般世間からは無名でいたいのだ。隠れ家でこっそり遊ぶことに喜びを見出していた、こどもだったころの楽しみを失いたくはない。