ハーフ(half)ではなく、ダブル(double)

 米国のサンフランシスコ市郊外に住んでいたころ(1982~84年)、ご近所さんにヴォーンさんという国際結婚をしたファミリーがいた。わたしが、カリフォルニア大学バークレイ校に留学していた時代である。ヴォーン家では、山本百合子(ユリ)さんがバージニア州出身のカーチス・ヴォーンさんと結婚して、ふたりの子供が生まれていた。



 ヴォーン家の長男坊ジャスティンは、わが長女の知海と同じ年(79年生まれ)。次女のジニーが、わが長男の由(81年生まれ)よりひとつ年下だった。子供たちの年頃が近いこともあって、ヴォーンさんちとはBBQなどをして交流することが多かった。
 その後、カリフォルニアの大学に進学したジャスティンとジニーは、それぞれ別の時期に、日本に留学してきた。ジャスティンは京都の同志社大学に、ジニーは、大学名は忘れたが、在学中に福島に来て英語の教師をしていた。
 ジニーの方は、いまでも横浜の中学校で教えているはずである。群馬県出身のユリさんは、しばしば子供と会うという名目で群馬に里帰りをしていた。
 成田空港から突然に電話があって、「マサエさん、迎えをお願いね」という救急出動の依頼があったりもした。ジニーやジャスティンが、まだ小さいころのことである。

 米国滞在中のある日のことである。その日は、わが家(アパート)に数家族が集まり、ホームパーティーを開いていた。わたしが何かの拍子にユリさんに、「ジニーとジャスティンは、ハーフなんですよね」と言ったことがあった。
 ユリさんの反応がおもしろかった。ふだんはスローで”おっとり刀”のユリさんが、そのときに限ってはきっぱりと言い放ったのである。「コウスケさん、(国際結婚で生まれた)ジャスティやジニーたちのことを、カリフォルニアでは、ハーフではなくダブルと呼ぶんですよ」
 つまり、わが子(国際結婚の成果)は、日本人と米国人の半分(ハーフ)ずつではなく、二つの国の良いところを兼ね備えて(ダブルで)生まれてきたという主張である。ハーフではなく、遺伝子がダブルになったとは、実にうまい表現だなと思ったものである。

 そのときの話を覚えていたわたしは、長男(由)の結婚式(2月25日)で、父親からのお礼の挨拶の中に、この着想を借りることを思いついた。
 長男の嫁さん(奈緒)の旧姓は、佐藤である。日本橋コレドにあるレストランで行われた披露宴の前に、門前仲町の富岡八幡宮でふたりは神前結婚式を上げていた。近親者の全員が式に参列したのだが、終わってから控室に戻ってくると、心なしか奈緒さんの父上が寂しそうにしていた。娘が嫁いでいくことで、大切なものを失うことの感慨をかみしめていたにちがいない。
 そんなこともあったので、わたしからの最後の挨拶は、佐藤家のために湿っぽくならないように気遣ったつもりである。挨拶の最初では、神前結婚式のあとの様子から切り出した。

 「本日は、お忙しい中、また遠くから、わざわざ若いふたりのために、披露宴に参加していただきありがとうございました。午前中に、ふたりは富岡八幡宮で無事に結婚式を挙げることができました。(中略)
 八幡宮で結婚式が終わってから控室に戻ったとき、奈緒さんのお父様は少しばかり寂しそうな様子をなさっていました。娘を嫁がせる父親の気持ちなのかもしれません。しかし、思うのですが、わたしは本日、娘がひとり増えたのでとても幸せな気持ちでいます。奈緒さんのお父さんにも、娘がひとりいなくなったのではなく、息子がひとり増えたのだと思っていただければ幸いです。(後略)」

 そんな風な内容だったはずである。そうなのだ。ふたつの家が一緒になること(結婚)で、それぞれの家庭に新しいメンバーが加わるのだ。これこそ、ユリさんから聞いた「ダブル」の発想である。
 国際結婚によって、ふたり(日米)が半分=1/2ずつになるのではない。日米ふたつの家族(二か国)が一緒になることで、遺伝子は1+1=2倍になるのである。
 日本人同士の結婚のほうも、理屈は同じことである。小川家は、今年から2(両親)+3(子供)+1(奈緒さん)=6人になる。男3+女3になるのだ。佐藤家のほうは、2(ご両親)+2(子供さん)ー1(奈緒さん)=3人になるのではない。男の子が一人加わって、2+2+1(由)=5人になるのだ。