37年目の同級会@新橋: 東大45LⅠⅡ12Bクラス会(文系ドイツ語)

 新橋駅前で別れるとき、「ぼくたちの時代は終わったな」と感じた。昨日は、5年ぶりで東大のクラスに出席した。45年入学組・58名中13名が参加した(2名は故人)。わたしと同様に、ほとんとがすでに還暦を迎えている。社会の中心で活躍している人はもう少なくなっている。

 クラス会は、土曜日の午後5時から、新橋の中華料理店(新橋亭)ではじまった。宴会が始まる前に、15時ごろに数人が集まって、3年前に亡くなられたクラス担任の信貴先生の墓参りを済ませていた。生涯独身だった先生のお墓は、都内の芝大門近くにあるらしい。
 墓参り組は、そこから新橋まで歩いてきていた。宴席の話題は、家族や病気のことが多い。時間の過ぎたことを強く感じたのは、そうした挨拶の中身のせいだろう。東日本大震災やタイの洪水、オリンパスや大王製紙のスキャンダルなど、世の中の変化についての話題は出るが、とりたてて深刻な話にはならない。どこか他人ごとのように、同窓生のみなさんは淡々と話している。
 年齢を重ねたせいだろう。13名中、すでにリタイヤーしているのが数名。大手銀行や商社に就職した連中は、ほとんどが関連会社に移籍している。法学部出身者には役人も多い。弁護士になるか、官僚になって、いまやほとんどが天下っている。財団法人や省庁関連の金融機関だったりする。

 わたしは、今回は、スピーカー(話題提供者)に指名された。前回は花産業の話で、これで二回目である。東京海上の玉井専務からの依頼だった。JCSI(日本版顧客満足度指数)の開発の話を30分ほど。それなりの関心はもってもらえたようだが、まあそんなものだろう。ごくやさしい質問が数件(笑)。
 みなさんもはや「現役」ではない。質問もぎらついていない。もともと淡々とした、余裕のある性格のひとたちである。生活程度ももともと上級である。とりわけ毎年、同級会にやってくる連中にはその傾向が強い。
 誰かが言っていたが、卒業から37年が経過して、名簿がこれほど完璧なクラスはないだろう。現職、現住所、電話番号(個人と職場)などが、これほどしっかり記載されたクラス名簿などは見たことがない。
 当日は欠席した幹事役(現役当時はクラス委員)の阿部君(弁護士)と佐藤君(神奈川県庁職員)がしっかりと継続してくれていたからだ。世話役のご両人が、今回はともに病気で休みとなっている。病気で手術している同級生が多い。まじめな二人は心配である。阿部君はたしか独身だったと。

 5年前のクラス会では、8時に終わってから、二次会に繰り出した。わたしが出席できた、さらに、その前前のクラス会(10年前)では、数名が午前様になるくらい遅くまで飲んでいたものだ。
 永瀬(東進ハイスクール)や関沢(弁護士)など、現役でばりばり仕事をしている連中がいたからだろう。二人は昨日は休みだった。そろそろふたりとも引退の年齢である。後継者は育っているのだろうか。いつまでも地位にしがみついていると、読売のネベツネのように、なんともみっともない最後になるよ。
 昨日は、一次会が8時に閉会になったあとも、誰も二次会に行こうと誘わなかった。「また来年もよろしく。元気でね、ご苦労さん」。新橋駅でみんなが淡泊に別れた。考えてみれば、すでに全員が59~62歳。還暦をすぎて、遅くまで飲む元気もないのだろう。そのモチベーションも体力もない。
 わたしは、しばらくぶりである。翌日のレースは10KMとごく短い距離なので、二次会に行くつもりになっていた。しかし、そんな話は、新橋の駅頭で吹き飛んでしまった。体も心も、皆さんすでに引退気味である。それほど暗くも寒くもないのにね(笑い)。

 おかげさまで、本日は、これから神宮外苑で10KMレースに参加する。昨夜は深酒をしなかった分、良い記録が期待できそうだ。ここ数年は、全国制覇のために、地方のレースで同級会に参加できなかったのだ。
 神宮外苑の銀杏並木を、4周するらしい。例によって、案内のパンフレットは全く見ていない。はがきにしたがって、集合場所になっている国立競技場の前(JR千駄ヶ谷駅)まで電車でいく。
 銀杏が黄色に色づいて、すこし異臭がする外苑の周回路を走る。気持ちはよさげである。