ゼミ長の吉識くんが、4日間の災害ボランティア活動から帰ってきた。震災後は、大学の方針で学部のゼミが休講になった。休みの期間を利用して、被災地のボランティア活動に参加してほしい。学生たちへの呼び掛けに応えてくれたのが、吉識君である。現地レポートを紹介する。
「宮崎県石巻市災害ボランティア 活動報告」
(法政大学経営学部4年 小川ゼミ 吉識翔一)
期間 4月14~4月18日(実働3.5日)
交通 往路 新宿~仙台(高速バス)、仙台~石巻市(臨時直通バス、宮城交通)
復路 石巻市~石巻駅(バス)、石巻駅~仙台駅(臨時直通バス)、仙台駅~東京駅(高速バス)
活動拠点 宮城県石巻市南境新水戸1 石巻専修大学、ボランティアセンター
石巻市災害ボランティアセンター
石巻専修大学校内は被災者用の避難所。ボランティア希望者は校舎外のグラウンドにテントを張り自己完結型のボランティア参加が求められる。参加する際には、本部で直接受付を行う。現在、ボランティアセンターとしては現在一番体制が整っていると言われている。
ボランティア(被災者支援活動)の仕組み
(注:この部分に、図解で仕組みが説明してありました、省略)
活動内容
1日目:旅館内の冷蔵庫等の家財の運び出し、屋内のヘドロの除去作業。泥と重油が混ざり、異臭がきつい。倒壊の危険性有りの為、作業が出来る範囲は限られていた。
海に近く、旧北上川沿いに住宅があった為、地震発生後、依頼主のおじさんは何も持たずに急いで家族と共に車で避難した。「車か走って逃げるか悩んだが、車でなければ津波に飲み込まれていた。」とおっしゃっていた。
この地点では津波の高さは1m60cm
津波が一回引いた後は、ほとんどの家に空き巣が入ったそう。「うちは倒れたタンスがたまたま金庫の上に覆いかぶさったから、取られずに済んだ。」とおっしゃっていた。
倒壊した家の跡地に、倒壊しなかった家の家財をゴミとして積み上げている光景は悲惨だった。
2日目:床上浸水したお宅の床はがし、拭き掃除
比較的、海からも旧北上川からも離れていたが、津波の高さは70cm程度あった。
依頼主は70台後半の一人暮らしのおばあちゃん。震災時の状況を話す際に、声と手が震えていた光景が、津波の恐ろしさを物語っていた。震災時に直ぐに、隣の家の方が心配して来てくれ、一緒に近所の公民館に避難した。「ご近所付き合いが何よりも大切。」とおっしゃっていた。
震災後、2週間程度は公民館で避難所生活をしていたが、そこでの生活は非常に辛かったそう。「避難所生活は他人に気を使う事も多く、生きた心地がしなかった。」とおっしゃっていた。
3日目:家財道具、畳の運び出し、ヘドロの除去作業
完全倒壊地区に指定されていた地域で、ボランティアに参加した期間内では最も過酷な現場。
一階部分の床は簡単に抜けてしまう状況。室内からは硫黄の匂い。
1階部分の約半分が水に浸かってしまった為、ほとんどの家財道具を廃棄処分。思い出の品と思われるものも片っ端から土嚢袋に詰め込む作業はとても心が痛んだ。この家の二つ隣の家には大型のトラックが突っ込んでいた。あまりにも現実離れした光景。近所でも家が跡形もなく無くなってしまった所が多く、「自宅から普段見えない景色が見えるようになった。景色が変わってしまった。電柱も津波に流され、空が広く感じるようになった。」とおっしゃっていた。
依頼主の息子さんは、津波発生時に車を運転していた所、津波に飲み込まれた。幸いにも電気系統が生きていて、車の窓を開け泳いで難を逃れたとおっしゃっていた。現在は避難所で生活をしているが、ボランティア中に避難所の移動指示があったらしく、現在でも落ちつかない生活を余儀なくされていた。
ボランティアの作業終了時にちょうど水道が復旧した。しかし、蛇口を開けっ放しにして避難所で生活している被災者の方も多かったようで、各家々から水漏れが発生。ドアが壊れていて入れる場合には蛇口を閉める等の作業も行ったが、車での帰路の途中には道路が30cm以上水に浸かってしまった場所もあった。
4日目:半日作業。ボランティアセンター内の大型テントの片づけ。午後はバスの出発時刻まで津波被害の大きい海沿い地区を歩いた。
(写真:省略)
ボランティア活動を終えて
初めての災害ボランティアという事もあり、正直どのような心構えで参加すべきか良く分からなかった。しかし、震災からあっという間に1ヶ月経ち、「このままでは震災の事実さえいつか忘れてしまうのでは?」と思った時に恐怖を感じ、直接自分の目で現実を見ておきたいという思いが強くなった。正直、現地の状況を理解出来ていない私としては、災害ボランティアに参加するにあたり、被災者の為というよりも自分の為に行くことを決意してしまった気がする。
しかし、現地において全国から集まった長期間ボランティア活動を行っている方々が過酷な生活環境にもめげず、笑顔を絶やさず、全力を出して復興に向けて作業を行っている姿を目にして、自然と私自身も被災者の為に頑張ろうと思えるようになった。石巻の災害ボランティアセンターには現地のスタッフと、ボランティア参加者との言葉では表しにくい、一体感のようなものがあり、過酷な環境には違いないが非常に居心地が良かった。
過酷なボランティア活動には「モチベーション」が必要不可欠である。しかし、現地にはいくらでもモチベーションを高めるキッカケがあった。復興に向けて一致団結する仲間がいる事は何よりも心の支えになるし、ボランティア活動を実際に行った家の方々には心から「ありがとう」と感謝して頂ける。一人暮らしのおばあちゃんから涙を流して「本当にありがとう」と感謝の言葉をもらえた時は本当に嬉しかった。
私自身もそうだったが、現代の若者にはボランティア=偽善というイメージが正直強いと思う。しかし、偽善でも何でも実際に自分で現地に行って、被災した方々から感謝して頂ければそんなイメージはどうでも良い事だと思った。私はこのボランティア活動を通じて、誰かの役に立っていると心から感じられる事が、自分の喜びにも繋がるという事を強く実感する事が出来た。
石巻市では自衛隊の不眠不休によるライフラインの整備により、物資も届いていて食べ物に困るといった状況は解消されつつあると私は感じた。今後、石巻市でより必要とされるのは被災者一人一人の住宅環境整備を可能にするボランティア活動にシフトしてくると思う。若者のボランティア活動によって、生活環境を整えるお手伝いを行うと共に、一生懸命に明るく作業を行う姿を被災者の方に直接見て頂く事で、「明るさや、元気」を取り戻してもらう事が、復興には必要不可欠である。
<小川の感想>
吉識くんからは、現地石巻市から、がれきで覆われた街の写真が送られてきていた。「空の見えかたが変わった」というのがよくわかる写真だった。わたしも子供のころ、能代市で大火を経験しているので、街並みが無くなってしまった後に出現する、あっけらかんとした広い眺望がよくわかる。
それにしても、若者たちの現地での連帯感には感動させられる。それぞれに、ボランティア活動の経験は異なるのだろが、そのよき経験が日本の未来を救うのだと思う。ボランティアに参加されたみなさん、ご苦労さまでした!