アクセス環境に大きな変化が起こっている。このブログへのアクセスは、いまや半分がモバイル携帯からのものである。アクセス解析を使って、アクセスの経路を分析している。例えば、昨晩24時からの1時間で、ブログへのアクセスが79件あった。ほとんどはツイッターからの流入だった。
本HPへのアクセスでは、一年間で、モバイル携帯のアクセス比率(全検察中)が10%~30%に上昇している。この上昇カーブは、決して緩やかなものではない。
スマートファンへの移行がその主たる要因のようである。ただし、わたし自身は、ゲーム感覚で「検索作業」をするようになるのが怖いので、ツイッターはやらない。できれば、電車の中でも、メール送受信以外の作業はしないように心がけている。
なぜなら、そうしてしまうと、活字(書籍や雑誌)を読まなくなってしまうからである。ネットから入ってくる情報は、いまのところは「断片化」されている。解釈をしないと、それだけでは世の中の全体が見えてこない。それと、ネットワーク上の情報は、同質化する傾向があるように感じられる。
例えば、ゼミの発表のときには、かならず、発表に関連した参考資料を一点、レジュメに添付するように要求している。そうすると、ほとんどの学生は、検索が容易なネットの記事を、誰が書いたかよくわからないままに、抜き出してくる。出典が不明なことが多い。
ネットで引用されている情報は、さらにオリジナルがある場合が多い。だから、この安直な方法はあまり推奨はしていないが、それでも、学生の発表の8割はネット引用文献である。だから、ほとんどは、面白みに欠ける資料になってしまう。たいていが、中途半端な要約になっているからである。
そのため、たまに図書館から資料を漁ってきたり、街中で配られているビラに注目した報告者は、発表でも目だってくる。一次情報こそが貴重なのである。ネット上のデータ資料は、二次情報、三次情報である。
何のことは無い、ネットアクセスは速度が速いと思われがちだが、本当のところは「鮮度が悪い」のである。したがって、情報提供者の次なる課題は、ネット上の情報の鮮度を高めることである。また、オリジナリティの高い情報にアクセスできる「検索手段」を考えることではなだろうか?
単なる情報検索ではなく、情報の履歴と原典とを評価するサイト(仕組み)に、社会的な需要があるような気がする。いまのところ、ネット系の情報は、野放し状態である。そろそろ情報のアナーキズムから逃れたいものだ。皆さんも、そう思っているのではないだろうか?
専門家で無い人が投入する情報は、ほとんどが「ごみ」である。ゴミ箱から貴重な情報が抜きだせることはまれである。情報の「ごみ分別業者」が必要である。スクリーニングできれば、ごみは再利用されて宝に生まれ変わる。
ちなみに、わたしは、時間がもったいないので、ツイッター系の情報はほとんど見ない。かつてゲームにはまったことがあったが、そのときの状況が似ている。知識や経験として残ったものは、当時も少なかった。疲労感だけが残った気がする。