高知県が発行している文化広報誌『とさのかぜ』(2008年6月号)に、いま滞在している「山荘しらさ」(高知県吾川郡いの町)のご夫婦の土佐移住物語が掲載されている。
山荘しらさの前からスタートする「高知のてっぺん酸欠マラソン」(9月6日開催、ハーフ)にエントリーした。泊まる宿をさがしていたら、この山荘に当たった。HPでチェックすると、山小屋風で、なかなかよさげだった。電話してみた。親切な方のようだ。
昨夜、羽田から最終JAL便で、8時40分に松山空港に着いた。レンタカー会社でも最後の客だった。満月の光でもなければ、山の中をさ迷っていたかもしれない。
宿のご主人にガイドしてもらって、くねくねの山道に酔いながら、12時過ぎにようやくたどり着いた。宿への道すがら、なんの標識もない。すれ違いが不能な一本道だった。到着は奇跡である。地元の人は、夜は危険で夜道は運転しないらしい。知らぬが仏。
宿の主は、小森隆一さん(42)と陽子さん(43)ご夫妻。縁あって名古屋から、高知の愛媛県境の山のてっぺんに移ってきた。6年前のことである。
森林を作り、守ることを自分の仕事にしたい。家族との時間を作るために、ドミノピザからの転身である。オーストラリアでスキューバダイビングのインストラクターの資格を得て働き、ドミノピザの名古屋事業の立ち上げを経験してから、13年目のことである。
ご主人は住友林業の下請けで、山から木を切り出すしごとを始めた。陽子さんは、黙ってついて来た。「どうせなら、子供が小さいうちに」。たんたんと。
海の豊かさは、森が育んでいる。スキューバダイビングで、海藻が生えない、焼けた海を見ていた。死にかけた海の原因は、健康ではない木や森にある。
森林のしごとで一人前になったとき舞い込んだのが、町営の山荘の運営のしごとだった。40年間、いちども黒字になったことがない山荘を、町から頼まれて任されることになった。まずは、ごみをかたづけた。ご夫婦は笑って答えた。
一年目は、山荘の元々の利用客が中心だった。以前とサービスと施設が変わったことを知り、口コミで利用者が増えた。二年目からは、ホームページを立ち上げて、わたしのようなランナーや自転車客が来るようになった。偶然と紹介で、6年目のいまは、どうにか経営ができている。
働くほうも、家族にデンマーク人のミカエル。そして、高知大学のインターンシップの学生が働く。「ここは、問題を抱えた学生や若者がたどり着く場所」(小森さんのご主人)。自然な生活に、山と森の環境。山のてっぺんは、夕焼けと森がきれいだ。だから、傷ついた羽をやすめて、元気になって、また都会の職場や学校に帰っていく。
稜線と満月と満天の星空。それに、森を真っ赤に染める夕日。四国の山の中に、二泊もすれば、心の傷はもとにもどる。
小森さんは言う。「ここへインターンシップでくる学生は、希望した中で20人にひとり。それだけ遠い。どうしても、どうにもならなくなって、ここにくる」。
「山荘しらさ」へのアクセスは、松山空港、あるいは、高知空港から車で2時間半。わたしが通った険しくて暗い山道を走る。
いの町は、アクセスが簡単ではないところがよい。険しい自然の中にあるからだ。楽に行けない場所である。高知のど真ん中、山のてっぺんで、石鎚山の山際に落ちていく夕焼けと、満天の星を仰ぎながら、スローな時間を楽しんでください。
予約連絡先 山荘しらさ
090-1177-5633(小森隆一、陽子)
【走る!】「山荘しらさ」の小森隆一さんご夫妻、森の生活
