シンガポール、マレーシアなどを中心に積極的なアジア事業展開を進めていた伊勢丹は、93年に外国資本としてはじめて中国に百貨店を開店した。当時は国営百貨店しか存在せず、「お客様に商品を購入していただく」という顧客重視の視点は、経営者にも従業員にも皆無であった。
サービス精神が欠如していた経営風土の中で、上海に2店舗と天津に1店舗を開店し、売上高を約130億円に伸ばした上海伊勢丹の成功は、店頭接客技術とショップマネジメントシステムを自社で構築してきた成果であると言える。
<ブランドショップの構成>
ブランドショップに詳しい学部ゼミ生の斉藤充子に、「上海梅龍鎮伊勢丹」(上海2号店)と「新宿伊勢丹本店」のフロアレイアウトを手渡して、入店しているショップをつきあわせてもらった(図1:上海梅龍鎮伊勢丹)。テナントショップの構成を調べて、日本と中国のファッションテイストのちがいを比較してもらいたかったからである。赤ボールペンでマーク(共通のショップ)が入った資料を抱えて、研究室と同じ18階にある産業情報センターの閲覧室から戻ってきた彼女の感想は、以下のようなものであった。
(1)「新宿伊勢丹と比べて、上海の店は入店しているショップの数が少ない」
<解説> 両店舗では売場面積が大きく違っている。新宿伊勢丹本店が64,296㎡(本館とメンズ館の合計)に対して、上海梅龍鎮伊勢丹は15,000㎡である。箱の大きさで約4倍の開きがある。案内のパンフレット(2004年1月)に掲載されているショップの数は、新宿本店では約300である(B1食品売場を除く)。それに対して、上海梅龍鎮伊勢丹(2003年12月)は106しかブランドショップがはいっていない。上海梅龍鎮伊勢丹から見たときのブランド重複率は、4分の一強の約27%(29ブランド)である。ただし、中国内への輸出入権に制約が課されているため、自由にブランド導入ができないという事情がある。
(2)「両方に共通しているブランドは女性ファッション衣料が多い。ただし、化粧品は欧米メーカーがほとんどで、日本の有力ブランドが入っていない」
<解説> 階層ごとのブランド重複率を見ると、2階(6ブランド)、3階(5ブランド)、4階(6ブランド)、6階(5ブランド)で入店比率が高い。男性ものを扱っている5階では、日本と重複しているブランドがひとつもない。また、一階の化粧品売場は、資生堂があるだけで、欧米ブランドのLANCOM、SK II、Dior以下で占められている。皮肉なことに、台湾系の「太平洋百貨店」やマレーシア資本の「百盛百貨店」(パークソン)などでは、日本の化粧品会社(KOSE、SOFINAなど)が主流で、場所も入り口のいちばんよい所に置いてある。
(3)「日本で人気のブランドショップより、日本で教育を受けた中国人の新進デザイナーのブランドを取り入れている」
<解説> 彼女が指摘してくれたブランドの中で、わたしでも知っているものに、ツモリ チサト、トリコ コム・デ・ギャルソン、カバン ド ズッカなどがある。上海の店には日本で人気のこれらのブランドが入っていない。その代わりに、上海梅龍鎮伊勢丹の島森豊司総経理が注目しているのは、日本で教育を受けた中国人デザイナーのショップである。OTT、M.TSUBOMI、DECOSTERなど、上海梅龍鎮伊勢丹の3F婦人服売り場には、たとえば、文化服装学院出身(DECOSTER)のデザイナーが自身でブランドショップを展開しているといった例がある。
「欧米や日本のデザイナーだけでなく、中国人の彼女たちを今後とも積極的に育てていきたい」(島森総経理)。
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上海伊勢丹の事業を、歴史を追って詳しく説明する前に、以下では、上海市の百貨店市場とその競争環境を概説しておくことにする。
<百貨店の顧客と競争環境>
上海の百貨店は、大きく3つのタイプに分けることができる。それと呼応するかたちで、上海市内の商業集積(CBD)は、核となる主要百貨店の地理的な配置によって4つの商圏に分類できる。上海梅龍鎮伊勢丹の島森総経理は、これを「上海4大商圏」と呼んでいる(図2:上海市内の代表的な商業集積)。
百貨店市場として一番下の層は、地場の百貨店で構成されている。商業集積としてもっとも古くからある「南京東路」がその代表例である。南京東路は、戦前のフランス租界として繁栄したバンドの近くにあって、浅草・上野地区のようなダウンタウンの観光地・商店街である。ここには、国営企業の「第一百貨店」がある。
買い物をしておどろくのは、こうした百貨店の内装と商品のデザインが、およそ日本の30年前のそれとおなじに見えることである。既視感にとらsわれるとともに、懐かしい羞恥心におそわれる。売り子さんは、ほとんど例外なく、腕を組んだまま客のほうを睨んで立っている。客がいるなしに関わらず、販売員同士でおしゃべりをしている場面に出くわす。説明を求めると、お客に向かって商品を「ほうり投げてくれる」こともしばしばである。
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市場の第2層は、アジア系資本の百貨店で構成されている。太平洋百貨店(台湾系)と百盛百貨店(マレーシア系)がそれである。太平洋百貨店は、上海市内に4店舗を構えているが、一番大きな店は、准海中路(銀座通りのような集積)にある。百盛百貨店もやはりこの通りに面している。上海伊勢丹の第一号店(上海華亭伊勢丹:7,500㎡)は准海中路沿いにあって、ちょうど太平洋百貨店と百盛百貨店の中間に位置している。
アジア系の百貨店のほうは、上海伊勢丹の2店舗に比べてやや大衆的である。店舗の内装、サービス水準、店員の接客は、地場の百貨店よりはきちんとしている。それでも、私語が交わされていたりはする。婦人服のフロアには、原宿ファッションのコピーと思われるデザインが少なからず目にとまる。中国語ができないので、筆談を交えて聞いたところ、オーナーは日本人ではなかった。しかし、ブランド名から日本を彷彿とさせるショップ名(たとえば、M.TSUBOMIのような名前のショップ)が、フロアには数多くあった。これらのショップが、上海伊勢丹の中にではなく、アジア系の百貨店に入店しているのが興味深いところである。
日本人の若い層からはじまった「かわいい」というファッション感覚は、中国人の若い層に対して、あるタイムラグをもって確実に到達しているようにみえる。さまざまな和製メディアを通して日本から送られてくるファッション情報が、「着倒れの街」と言われる上海のトレンドに影響を与えているのかもしれない。
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第3層には、上海伊勢丹がある。上海の伊勢丹は、顧客層としては年齢的に上の高所得セグメントをねらっている(上海市民のトップ5%)。外資系企業に勤務する25~40歳の女性がメインのターゲットである。女性比率は70%と高い。一号店の開店から10年が経過して、結婚して子供ができた上顧客に対しては、現在キッズ部門が好調である。
百貨店ではないが、さらに上層に付け加えるならば、欧米ブランドのファッションビル(「PLAZA66」)が、上海伊勢丹2号店の隣に建設された。外資系企業が入居するようになってできたビル街は、高級ホテルなどが建設されたことをきっかけに形成された商業集積である。この「南京西路」は、日本の東京丸ビルや六本木ヒルズの感覚と考えてさしつかえないだろう。PLAZA66には、グッチ、ビトン、プラダなどのフランス・イタリア系ブランドがテナントとして入居している。上海のスーパーリッチな層を相手にしている店舗は、世界水準で立派であるが、豪華すぎてあまり顧客が多く入っているとは思えなかった。商売的にはどうだろうか?
なお、第4番目の商業集積は、上海市の西南にある「徐家氾」である。ここには、太平洋百貨店があるほか、著名な専門店が軒を連ねている。日本の都市に対応させるなら、新宿・渋谷などターミナル百貨店がある専門店街のイメージである。
後編では、こうしたなかで、伊勢丹がどのようにして百貨店経営とサービスシステムを上海に移植させてきたのかについて、その成功要因を紹介する(つづく)。