体感的漢字論: 手で書く漢字とワープロを使って選ぶ漢字

自分の専門と少し離れた分野の共同研究者を持つことは、研究の幅を広げる上で欠かせないことである。知的な刺激を受けるという意味でも、それは大切なことである。


そんな楽しい驚きを、日経広告研究所が主催する「ブランド連想分析研究会」(小川座長)の例会(8月23日)で経験することになった。専門がやや遠い共同研究者とは、国立国語研究所の横山詔一教授(言語社会心理学者)のことである。
 二年前から、豊田裕貴くん(多摩大学助教授)などと一緒に、日経広告研究所でブランド連想の研究をしている。横山先生の研究成果は、『言語』「特集:言語にとって文字とは何か」(2004年8月号)に収録されている。横山詔一(2004)「文字処理の認知科学」『言語』、および横山詔一(2004)「漢字環境学と情報通信政策」(ソウル国際学術学会:漢字文化圏における漢字教育および漢字政策:予稿集」)。
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 ブランド連想研究会では、従来からの方法を踏襲して、訪問面接調査法で連想データを集めていた。その研究成果は、小川孔輔他(2002)「ブランド連想研究(上・下)」『日経広告研究所報』で紹介されている。面接調査の典型的な事例を、以下で示すことにする。
 現在進行中の研究プロジェクトでは、「携帯電話(キャリア=サービス提供会社)」からの連想語を集めている。調査員が回答者の自宅を訪問し、データを集めてくるときの質問内容は、例えば、「DoCoMoと聞いて何を連想しますか?」という具合になる。回答者からは、「携帯電話、高い、NTT,iモード、加藤あい、CM、メール、フォーマー、広末涼子(実際の順番)」などの言葉(事柄)をあげていた。同様に、競合ブランドの「Au」「Vodafone」「Tuka」にも、同じ項目を使って連想語をとっている。平均4個くらいの連想語があがってくる。ちなみに、連想数が一番多いのはDoCoMoで4.7個、連想数の最低はTukaで3.0個である(2004年6月ネット調査)。
 容易に想像できることだが、この方法には費用がかなりかかる(百万円単位)。また、調査員が記入した調査票を再度データとして入力しなければならない。手間がかかるし、分析が終わって結果がわかるまで、ずいぶんと長い時間を要する。そこで、昨年度からネット調査(InfoPlant社)を利用することにした。直近の調査では、サンプル数が500人。そのうち半分のひとには、4か月の期間(2月と6月)をおいて、2回連続してほぼ同じブランドに対する同じ質問に回答してもらっている。
 ネットユーザーに対して、ブランド(刺激語)からの連想を自由記述してもらうことに、実は心配が2点ほどあった。ひとつは、ネットユーザーの特性に関わることである。若くて情報に敏感な層に、調査対象者が偏りそうだった(この点について、InfoPlant社の場合は男女年齢が適当に割り付けられるので問題は無かった)。もうひとつは、情報機器を経由して連想語が入力されるので、いちいち面倒くさいなどの理由から、面接調査の時に比べて連想語の数が減りそうだった。
 われわれの懸念は杞憂であった。ネット調査でも、面接調査とほぼ同様な結果が得られた。それどころか、自由連想をネット経由で収集することには、「回答者が自分の言葉を直接入力する」という”参加特性”から、大いにプラスの面があることがわかった。
 ネット調査の一番の利点は、スピードと正確な漢字変換にある。面接調査では、面接員が聞き取りで書くので、途中で連想を止めてしまう場合がある。ネット調査では人が間に介在しないので、時間的な切迫感がない。その分、被験者は余裕を持って連想語が入力できる。また、日本語では、同じ読みに対してさまざまな漢字(かな)が対応している。情報機器(ワープロ機能)を通して、回答者が自分で漢字を選択できるので、変換結果はより正確なものになる。連想語を後に分類集計するときに、情報機器からのデータであることで漢字の選択頻度に不規則性(ブレ)がなくなるので有利である。
 横山先生が指摘するように、ネット調査は”書く漢字”でないという強烈な特性を持っている。想起される連想語は、視覚的な好み(形やデザインに対するなじみや好き嫌い)に左右される。”好き嫌いで選ばれる”という視覚特性を持っていることに配慮しておけば、比較的安定した調査データが収集できることがわかった。
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 横山先生の研究の一部をここで紹介してみたい。エッセンスは、手で書く漢字と情報機器を使って選ぶ漢字とでは、漢字の選ばれ方がちがうというものである。見て書ける時代の漢字文化の姿を展望した論文である。
 研究論文の中では、文化庁が毎年実施している「国語に関する世論調査」(全国標本:平成14年)と「ネット利用者を対象とした調査」(InfoPlant社パネル標本:平成15年実施の独自調査)を同じ項目で比較している。やや長くなるが、両方の調査で使用された調査項目とその結果を再掲してみたい。質問(1)は、全国の標準的なサンプル(文化庁)とネット利用者(独自調査)にたずねている。

(1)漢字に対する意識の違い
 問「あなたは漢字について、どのような意識を持っていますか?」(左が文化庁調査N=2200、右がネット調査N=512女性のみの回答率)
 (ア)日本語の表現に欠かすことができない大切な文字である(71%<88%)。
 (イ)日本語の表記を難しくしている文字である(12%>7%)。
 (ウ)漢字を覚えるのは大変なので、なるべく使わない方がよい(4%>1%)。
 (エ)漢字を見るとすぐに意味が分かるので便利である(61%<75%)。
 (オ)ワープロなどがあっても、漢字の学習はしっかりやるべきである(38%<75%)。
 (カ)ワープロなどがあるので、これからは漢字を書く必要が少なくなる(3%<8%)。
 (キ)漢字の使い方についてかなりの自信がある(9%<20%)。
 (ク)漢字の使い方にあまり自信がない(22%<40%)。
*結果の解釈(小川の主観入り):
 ネットを頻繁に利用している人は、漢字擁護論者である。漢字の大切さがよく分かっている。また漢字が好きなことがよくわかる。「漢字を書かなくなるので、ワープロは漢字への無関心を助長させる」と考えられてきた。それは間違いであった。毎日文章を書いていると(選んでいると)、「漢字へのなじみ」(横山先生の表現)が醸成されることになる。漢字文化にとっては、手で書いていたときとはまた違った「新しい感覚と文化」を生み出す可能性がある。そのように横山先生は主張している。

(2)書く漢字と選ぶ漢字
 同じ漢字ではあっても、旧漢字(異体字)がある場合には、年齢によって好きな漢字がちがうらしい。以下は、横山先生が実施したネット調査の結果である(インフォプラント社が調査実施)。
 問「以下のふたつの漢字(読みと意味が同じペア)を見て、どちらが使いたいか、ワープロで文章を書く場合を想定してどちらかの漢字を選んでください」
 1 観 觀
 2 潅 灌
 3 会 會
 4 桧 檜
 5 経 經
 6 頚 頸
 7 亜 亞
 8 壷 壺
 9 竜 龍
10 篭 籠 (以下は省略)

 答えの解釈
 1~10の選択肢の右側が「旧漢字」である。常識的に考えれば、相対的には年寄りが旧漢字を選びそうなものである。結果はそのようにはなっていなかった。括弧内は、旧字体を選択した人の割合で、左から順に20代、30代、40代、50代である。
 1 觀 ( 1% 2% 0% 0%)
 2 灌 (58% 58% 47% 36%)
 3 會 ( 4% 6% 3% 4%)
 4 檜 (68% 58% 42% 31%)
 5 經 ( 3% 3% 3% 3%)
 6 頸 (59% 58% 48% 41%)
 7 亞 ( 1% 2% 2% 1%)
 8 壺 (49% 39% 40% 23%)
 9 龍 (79% 81% 73% 69%)
10 籠 (87% 85% 71% 62%)

 「4 桧と檜」のペアに典型的に見られるように、若い人は、旧漢字の「檜」を選んでいる。新聞雑誌メディアの慣行で、常用漢字(「3 会」「5 経」「7 亜」)が存在している場合以外については、旧漢字を新聞などで使用してきた(「2 灌」や「9 龍」)。そのために、「見慣れた、なじみのある」漢字が選ばれる傾向があった。また、結果を見てわかるように、旧漢字を選ぶ比率は、年代とは逆の傾向が見られている(2,4、6,8,9,10)。つまり、若い人は意外と旧漢字を選んでいる。年齢層が高くなると、かつて書くことを強制された経験があるせいか、旧漢字を避ける傾向がある。若い世代は、デザインの好みやなじみで漢字を選択する。書けるかどうか、書きやすいかどうかにはもはや制約を受けない世代なのである。