タイ・チェンマイの斉藤農場訪問記

チェンマイ花博の開会式翌日(11月2日)、斉藤正二さん(66歳)が経営する「チェンマイ斉藤農場」(正式名称、セトコン・ファーム)を訪問した。



 昨年12月末に、伊藤忠商事から依頼された「バンコク新空港フラワーセンター構想」の事業化調査で訪問して以来である。今回は、JFMAのタイ花博視察ツアー(10月30日~11月3日)の団長として、メンバー12人との訪問であった。当日は、わたしたちのバスが到着したほぼ同じ時刻に、農水省の視察団(チェンマイ花博出展を兼ねての視察)も斉藤農場を見学に来ていた。
 齋藤さんのタイ風おもてなし(農場のワーカーたちが作った手作りのタイ料理)で、農水政務次官や花普及センターの畑中理事長らと一緒に、わたしたちも木陰でお昼をごちそうになった。 ゆったりとした1時間の昼食時間が、日本のお昼の倍くらいに感じられる。

 斉藤農場は、チェンマイ郊外のメートルにある。標高約400メートル、常春の楽園である。「気候がよいのでどんな植物でも良く育つ。この土地はしかも水がよい」(斉藤さん)。
 斉藤さんがタイに足を踏み入れたのは17年前のことである。わたしが招待されてチェンマイの斉藤農場を訪問したのは、1993年ごろだと記憶している。当時は、ほぼ自然の状態で栽培したクルクマ(ジンジャー)の球根を堀り上げて、日本に向けて輸出していた。
 その後、栽培品目がクルクマ一辺倒から、カラジウムなどの球根性植物を含む商品ライン(葉を楽しむ品目)に広がっていった。また、品質を安定させて大量増殖できるようにするため、一昨年からは千葉大学園芸学部の協力を得て、組織培養のラボを設置するようになった。

 出荷対象の市場は、いまやグローバルである。主たる販売市場としての日本の位置づけは、大きく低下してきている。国内の商品単価が下がっていること、円が下落しつづけていることなどがその原因である。価格が安定しているオランダや米国が、セトコンファームの主たる市場に変わってきている。
 「日本はもはや一流国ではなくなった」。やや憤りぎみに口をへの字に曲げて、このフレーズ(文句)が近頃の齋藤さんの口癖である。
 チェンマイに農場を拓いてから17年、齋藤さんにとって良いことばかりが続いたわけではなかった。日本が不景気になりホームセンター向けに開発したガーデン商材が売れなくなったり、現地のタイ人共同経営者にお金を持ち逃げされたり、ずいぶんと苦労も多かったと聞いている。
 しかし、いまでは世界中を渡り歩く第一級のプラントハンターとして、日本人だけでなく、欧米の業界関係者からも尊敬を集めている。ご本人はそれなりに満足のご様子ではある。

 斉藤農場は、訪問するたびに農地面積が広がっていく。年間の生産出荷高は約6600万円である。これはタイのバーツでの評価額である。日本の感覚では、その約10倍と考えて良いだろう。
 現地農場では、タイ人を約100人雇用している。将来的には、農場内の小高い丘に、日本人向けの長期滞在施設を建設する構想を持っている。「先生、一口(100万円)乗りませんか?」 齋藤さんからは、冗談とも本当ともつかない提案を受けている。
 わたしの性格では、こんなのんびりとしたタイの田舎生活にはとうてい向きそうにもない。なので、齋藤さんからの親切な申し出は、丁重にお断りしている。
 また、メートルの農場は水が良いので、農場の地下からくみ上げた水は、ボトリングして商業的に販売している。私たちもボトル入りの水を飲ませてもらったが、掛け値なしでとてもおいしかった。