その分野でトップを走っている人間にしかわからない孤独感というものがある。 先例がない、模範がない、行くべき先の広野には道標がない。
にもかかわらず、組織や業界や学会の未来がほぼすべて、自分の判断と意志にゆだねられる。成功すればみんなの手柄、失敗すれば己一人の責任。その現実と責任を引き受けなければならないリーダーは孤独である。
誰にも助けを求めることができない先駆者たちが頼りにするのは、自らの本能と直観である。知性的な部分もあるが、動物的な勘の部分が判断の多くを占める。もっとも、どちらに多く傾斜しても、状況への対応はうまくいかないような気はするけれど。
わたし個人について言えば、孤独感が孤立感に変わることなく、幸いにもこの一年間をどうにか無事に過ごすことができた。見捨てずに協力をいただいた周囲の人たちのおかげである。だから、もうひとつ危機的な状況を乗り切ることができる要因をあげるとすれば、それは、味方になってくれる人間をどのくらい多く抱えているかという「後方支援力」かもしれない。
以下は、あらゆる局面(大学:法政大学、学会:マーケティングサイエンス学会、業界:日本フローラルマーケティング協会)で立ち止まるわけに行かなかった一年間の経験から得た、わたしなりの結論である。
しばしば言われるように、事業計画なるものは・・・「ミッション・ステートメント」(企業の使命を端的に表現した言葉)を作成することにはじまり、内部状況(自社資源の強みと弱み)と外部状況(環境と競合)を分析して、それからビジネスの実行計画を練る・・・ということになっている。しかしながら、これは本当のところは大ウソかもしれない。とりわけ、新規の事業分野に乗り出すとき、もともと先例がないのだから、いわゆる客観的な状況判断などできるわけがない。
現状分析などはかえってやめてしまったほうが良い。なまじっかの中途半端な知恵など、ほとんど役立たずになるからである。そういえば、つい数日前も、絵に描いたような事業プランが、現実の前に無惨にもずたずたになる様を見てしまった。ある大手企業の新規事業の結末である。
大切なことは、事前にシナリオを描いておくことではないだろう。まったくの新しい試みには、状況依存的なシナリオ構築は無意味である。無理に筋書きを作らないことのほうが重要である。事前に計画を立てないことが効果的なことすらあるのは、往々にして具体的に見える実行計画を練ってしまうことで、現実と向き合う現場対応力をそいでしまうことになるからである。
そうではなくて、外れる確率が99%ならば、何が起こっても対応できる組織作り、とくに、成員たちの心構えを醸成しておくほうが賢いだろう。何はなくとも、臨戦態勢を整えておくことである。
たとえば、学部長の仕事をはじめるにあたってわたしが最初に実行したことは、逆説的ではあるが、いつ教授職を辞めてもよいという覚悟を決めたことである。最悪の場合を想定して、まずは退職金をチェックしてから事を始めたわけである(笑い)。ちなみに、海外から講師を招いて開催している国際セミナーでは、招聘した講師がキャンセルした場合の事態を想定して企画を構成している(やはり最悪のシナリオは描いておいたほうがよさそうではある?)。
そうした親分の雰囲気は、たぶん部下にも伝染するはずである。私利私欲に走っていない(と本人は信じている)から、本当に怖いものなど何もなかったのである。ずいぶんといろいろなハプニングがあったが、この一年間、サポートしてくれたひとたちとの絆は、さらに深まった気がしている。そんなわけで、引き続き、来年もよろしくお願いします。