はじめはみんな中小企業だった

「中小企業のブランド戦略の進め方」(『経営者会報』2002年5月号)
「経営者会報」(日本実業出版)という雑誌から、企画「ブランド戦略で生き残る---中小企業でもやり方次第でここまでできる」という原稿を依頼された。


cいつもの戦術で、雑誌社からいただいたテーマは勝手に解釈し直して、こちらの土俵に持ち込むことにしている。企画テーマを読みかえると、上の格言になる。
 有名ブランドもはじめはみんな無名だった。大人が昔は子供だったように、どんな大きな会社もはじめは小さかった。従業員は夫婦ふたり、それに親族とパートさんが数人。ひいきの顧客などひとりもいない、そんな状態から商売はスタートする。中小企業の経営者は、この当たり前のことを忘れている。どんな企業にも大きくなれるチャンスがある。有名と無名の境界に、それほど深い谷が横たわっているわけではない。
 溝を跳び越えさせるのは、経営者の知恵である。そのためには、他人の言うことに注意深く耳を傾けることである。そして、模範となる周囲の企業(経営者)をよく観察することである。広い意味で勉強しない経営者は、一流ブランドを創造することができない。
 ごく少数ではあるが、ある特定の企業が販売する商品は、立ち上げから数年を経ずして立派なブランドに育つことができる。ところが、その他大勢の企業やブランドはメジャーになることができない。大切なのは、そのちがいを突き詰めて考えてみることである。飛躍のヒントは、ブランドの成立条件に隠されている。

1 第1段階:知名度の向上
 ブランドが確立する最初のきっかけは、企業の名前が知られるようになることである。あるいは、ブランドそのものの認知度が高まることである。名前がよく知られるようになるのには、いくつかの法則がある。
(1)技術・ノウハウを保持していること
 かつての「味の素」(グルタミン酸ソーダ)がそうであった。際だった特許技術や経営ノウハウが、当該企業の製品を自然な形で有名にする。特別な貢献に対して、社会はプレミアム価格で敬意を払ってくれる。このとき、発明技術それ自体がブランドになる。ナイロン、セロテープ、トリニトロン、ホッチキスなど。しかし、並の中小企業にとって、製品の技術的なハード面での差別性は求めることがむずかしい。むしろ、ソフトなブランディングが有効である。
(2)視覚的なソフト・ブランディング
 製品のデザイン、ロゴマーク、色づかい、独特のスタイル(たとえば、店舗レイアウト)が、ブランドのコア要素になる。視覚的に目立った特徴を持ったブランドは、早期に認知度をあげることができる。ヴィトン、グッチ、ベネトンなど、欧州発のファッションブランドにしばしば見られる特徴である。これらの企業は、中世に起源をもつ馬具屋や染め物を扱う家族経営の中小企業であった。ブランドオーナーである創業者(デザイナー)が、伝統産業や技術、地方の文化を核にブランドを創造したのである。日本では、吉田オリジナル(吉田カバン)などがこの事例にあたる。素材と形状がブランド認知を高め、一部のマニアがクチコミで製品の良さを広める役割を果たした。そのために、意識的にファンクラブを組織することもある。
(3)メディアと仲良くすること
 独特のデザインやスタイルに最初に注目するのは、一部の限られた人々である。最初は一部のマニアに知られるブランドということでもかまわない。また、知名度を高める媒介者として彼らを利用することも有効であるが、最終的には一般人に知られるようにならないと「立派なブランド」とはいえない。ディフュージョンのために、テレビや雑誌(一般、特定分野)の記者や広告担当者などと太いパイプを作ることを推奨する。広報活動を通してのメディア露出は、無料広告である。むしろお金を支払うより効果が大きい。有名になりかけた当時のユニクロやマツキヨの売上は、半分以上がPR活動によって獲得されたものである。
(4)経営者を売り込む
 究極のブランド創造は、経営者自身をブランドにしてしまうことである。雑誌や新聞は、有名人を欲しがっている。個性的な経営者であればなおさらよい。筆者は、ベンチャー経営者の取材に立ち会うことがあるが、メディアと経営者は「ブランドの売名行為」において一心同体だと思われることがある。知名度を上げるのに、ビジネス上の禁じ手はない。小さな企業で広告予算がない場合は、経営者をブランド化することは安上がりな手法である。ただし、本業との関連に限定すること、そして、過剰な露出は禁物である。事業の多角化と同じ原則を守ることである。

2 第2段階:ブランドの価値創造
 ある程度知名度が高まったあとでは、ブランドの真の価値を消費者に理解してもらい、継続して顧客になってもらうことが必要である。この段階では、家族経営の小企業が中企業に成長しているはずである。企業としては、株式公開前後の状態であろう。以下に、ブランド経営者として心得を述べることにする。
(1)ブランドの神話を作る
 名前が世間に知れわたようになると、限定品であったときとは異なり、ブランドが通り一遍のものになる。ディフュージョンライン(普及品)が売られるようになると、消費者のブランド理解が高まるのと反比例するように、販売価格は急落していく。販売数量を減らさずに、評判を維持する唯一の方法は、「ブランド神話」を紡ぎ出すことである。このときは、注意深い編集作業が必要である。ブランド誕生の歴史、経営者が語るブランドの理念、製品・サービスに関するエピソード、ロイヤル顧客の会話など。決して大企業とは言えないが、オートバイのハーレー、GMのサターン誕生の物語が好例である。
(2)内部顧客を重視すべし
 経営者は、自分こそがブランドを体現した存在であると思いこみがちである。しかし、ブランドの創造期は別にして、定着したブランドの価値を伝えるのは、現場の従業員である。ブランドに付加価値を与えのは、従業員の努力である。だから、すばらしいサービスブランドではとりわけ、現場従業員が金銭的にも精神的にも充分に報いられる仕組みになっている。ブランドに対する尊敬や愛着は、トップ経営者以上にパートタイムが高かったりもする。ブランドを直接管理する以前に、内部顧客である従業員がブランドに関して共通の理解を持たせることが重要である。

3 ミニケース:青山フラワーマーケット
 最後に、小さなベンチャー企業ながら、ブランド創造とマネジメントに優れた成果を上げている事例として、「青山フラワーマーケット」(東京:青山)を紹介する。
 創業経営者の井上英明氏(38歳)は、イベント企画会社から身を転じて、現在、首都圏と北海道で25店舗の花屋チェーンを経営する若手経営者である。渋谷の東急東横店内にある店舗(7坪)は、一日の売上高が約60~70万円である。おそらく、花店の坪効率では日本一である。「ライフスタイルブーケ」と呼ばれる、花を飾る場所を想定して加工した「ミニブーケ」が主力商品である。これが飛ぶように売れている。
 井上社長は、早稲田大学を卒業してすぐに、米国ニューヨークの会計事務所に務めた経験がある。また、従業員が欧州の文化を現場で肌で感じて学べるようにするために、パリにアパートを借りあげて研修所にあてている。花は文化であり、その中心はパリであるという彼の信念に基づいている。作る技術もさることながら、ブランドのコア要素は「文化」である。
 本社((株)パークコーポレーション)を青山に置いたのも、ブランド戦略の一環である。池袋でも新宿でも赤坂でもない、花のイメージにふさわしいブランド名として、店舗名に「青山」を冠したかったからである。花店をはじめて10年目に、店舗のデザインを統一することを考えた。専門のコンサルタント会社(GAPやユニクロの店舗デザインを手がけたCIA)を受け入れる前に、すでに全店(9店舗)でグリーンにベージュを配した「ストア・アイデンティティ・カラー」を用いていた。当時から、店員の制服には、オリジナルなデザインを用意していた。
 「女性従業員が主体だから、やる気を引きだすためには、着ていてかっこよくて働くことに誇りがもてることが重要」(井上社長)。それで、作業着ではないおしゃれなデザインを考えたという。包装紙には、自然素材のものを使用している。ブランドアイデンティティ作りのために、ラッピングしたあとに、青山フラワーマーケットのロゴマーク入りシールが貼られている。このシールには、数十種類のデザイン・カラー素案を考えたが、いまでも少しずつよいものに絵柄を改良している。
 こうしたブランドのマネジメトは、すべて井上社長本人アイデアと発案によるものである。メディアへの露出も巧みである。東京FMの番組パーソナリティを引き受けたこともあるし、花以外の媒体に、自らがしばしば登場するように努力している。自らがブランド(スター)になろうとするのは、フランスのブランドデザイナーの流儀に通じるところがある。