【柴又日誌】#243:本日、とうとう後期高齢者の仲間入り

 今週は、”超ブルーな”誕生日ウイークだ。なぜならば、75歳の誕生日を迎えることになるからだ。家族や元ゼミ生たちからは、いつも以上に丁寧に誕生日を祝ってもらっている。10月20日の火曜日は、父親の命日である。だから、毎年のように誕生日が近くなると、父のことを思い出す。
 
 この日には、一緒に住んでいる家族6人と、堀切菖蒲園の「焼肉きんぐ」に行くことになった。デフォルトが焼肉きんぐである。しかしながら、わたしの誕生日とはいえど、いつものように支払いは、わんすけ先生だった(笑)。
 22日の木曜日(昨夜)は、学部ゼミ生(3人)と院生ゼミ生(3人)との混成チーム(+わたし)で誕生日を祝ってもらった。場所は、木村君(ゼミ生、元ヤオコー)が設定してくれた。文京区の小石川植物園近くの鮨やさんで、同じ日(10月23日)に生まれた初代ゼミ長の田中友紀(50歳)と一緒に誕生日の前夜祭になった。
 カウンター7席のお店だった。木村君と松尾さんが幹事で、こじんまりとしたお寿司屋さんを貸し切ってもらった。板さんが独立してから2年のお寿司屋さんである。たらふく、海のものとお寿司を食して、帰り際に誕生日プレゼントを抱えて家に帰った。めずらしく、帰宅は11時半になった。
 
 本日は、本当の誕生日(10月23日)になる。本日から、わたしも75歳で後期高齢者の仲間入りだ。そんな日が来るとは思っていなかったが、やっぱりその日はやってきた。後期高齢者になると、医療費の支払いが「1割負担」にならはずだが、わたしはそうはならないらしい。
 数週間前から、気持ちが妙にふさぎ込みことが多くなっていた。人生のその先が見えてしまったからだろう。70歳になって大学を定年退職したときは、元気で残りの人生がたくさんあるように錯覚していた。でも、健康でいられるのはせいぜい10年程度だろうとは思ってはいたが。
 その後、執筆活動(4冊出版)や消防団(4年半)、JFMA(会長)の仕事で忙しくしていた。そして、ほぼ半分にあたる5年分の時間を使い切ってしまった。残るところは、節目の80歳まで5年を残すだけになっている。う~ん、先はとても短そうだ。本日も、同年代(74歳)の村上龍が亡くなっている。
 
 先輩の老人たちを見ていると、足が思うように動かなくなっているケースが目立つ。走っている人は、例外的な頑丈なランナーくらいである。わたしも、昨年6月の美瑛ヘルシーマラソンを最後に、ハーフ(21KM)を完走できなくなった。いまはもっぱら5Kと10Kを走っている。
 同年代か、やや上の世代(80歳代)では、車いすで移動している人が増えてくる。元気な年寄りで、すたすた歩ける人は稀である。わたしは、40代から走り始めて、その後も食事など健康には気を使ってきた。実際に、年間2千キロ前後と、レースと練習を合わせて、長い距離を走って来た。
 その結果なのだろう。消防団の健康診断では、3年連続で「オールA」だった。今年は、2年振りに葛飾区の健康診断を受けた。肝臓の検査で「B判定」(許容範囲)が1カ所あっただけで、その他はすべて「A判定」だった。しかし、いつかは自分にもその日(B判定やC判定ばかり)が来るのだろう。
 なにせ、上下の奥歯の2本に、クラック(「破砕」と呼ぶらしい)が入っている。このところは、それが気になって食欲がやや落ちている。それでも、体重が落ちていないのが、せめてもの慰めにはなっている。

 ところで、今日の夜中0時からはじまり、誕生日のお祝いメールを津波のように届いている。「0時02分」が最初のお祝いメールだった。元大学院ゼミ生の女子からである。これは、去年まではなかったことだ。昼時までにすでに、友人や元ゼミ生・院生などから、50通ほどスマホにメッセージが送られてきている。
 主として、LINE経由の「祝電」である。わたしの性格上、受け取ったら即座に返礼したくなる。一人一人に名前入りでメッセージをカスタマイズする。そのため、そこそこ時間が取られる。やらなけらばならない原稿や読み物があるのだが、本日はそこまで手が回らない状態である。
 忘れかけていた研究者仲間からも、お祝いのメールがやってきた。こちらも、LINEからのメッセージ、あるいはスマホへのショートメールである。PCのメールアドレスに送られてくるメッセージは皆無である。AIの普及とともに、時代は変わったものだ。

 それでも、朝方から50通のお祝いのメッセージが届くのを、とても嬉しくは感じている。人との関係性を大切にしてきたからこそだろう。これからも、出来る限りは、友人や学生たちにメッセージを送り続けるつもりでいる。

  
 
  
  
 

 

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