【近況・心境】「即断即決から、一呼吸を置く」

 生来せっかちなわたしは、即断即決の人だった。物事を決めるのに、とにかく待つことができない性格である。若いころから、物事を瞬時に処理して、どんどん先に進めていくことが当然だと思っていた。自身の成功体験が、そうした傾向に拍車をかけてもいた。若いころに育った日本の高度経済成長という時代背景も、一瞬の判断の優位性を後押してくれていた。
 ところが、60歳を過ぎた辺りから、風向きが変わったように思う。わたしたち世代の社会的な役割が終わり、次の世代にバトンを渡すタイミングが来たからである。人生設計と事業構築の両面で、わたしたち世代は終活の時期を迎えようとしている。物事を瞬時に判断して行動に移す時期は終わった。あらゆる場面で、一呼吸を置いて考えるようになった。
 同世代を生きてきた仲間たちもまた、わたしのように感じているのではなかろうか?過去を振り返ってみると、即断即決のメリットは、3つの環境要因と関係していたように思う。
  
(1) <失敗費用の回収> たとえ瞬時に下した決定がまちがっていたとしても、失敗の体験は将来の成功によって回収できてしまうからである。長期的な視点で考えると、失敗を避けるための費用はほとんど無視することができた。
(2) <競合と投資機会> 若いころ、成長の機会は豊富に存在していた。そうした環境下では、じっと待つことは得策ではない。美味しい成果は、考えている間に誰かに奪い取られてしまう。投資案件を慎重に考慮する時間も限られていた。
(3) <残された時間> 20代~30代の若者にとって、物事を判断するときに残されている時間を考慮する必要がない。未来は輝ける機会に満ち満ちており、そこから得られる収益を楽しむ時間にも制限はなかった。
 
 ところが、年齢を重ねることで、これらの環境条件(1)~(3)は反転してしまう。失敗を取り返すための再チャレンジの時間と機会は限られる。だから、もはや決定的な失敗は許されない。そして、成功の果実を楽しむための余裕と時間は、この先は先細りになる。
 日本国がいま置かれている環境与件も、わたしたち世代の現況と無縁ではない。人口減少ボーナスの成長段階を終えた日本は、モノやサービスに対する需要の減少に苦しんでいる。他方で、農業や製造業の分野でも、商業部門でも担い手が不足している。
 だからと言って、外国人の補助的な投入には限界がある。ヨーロッパの先進国が経験してきた悪い経験(凶悪犯罪や雇用機会の喪失)が、将来的に不足であろう労働力供給に対しても見通しが立たない。
 一方で、日本は国際的な競争力も失いかけている。競争相手は、若いアジアの新興国である。他方で、かつては投資機会であり競争相手でもあった中国や韓国も、人口構造的に年老い始めている。次世代の供給を担うのは、どの国になるだろうか?
  
 一昔前ならば、わたしは、瞬時に仮の未来を見通して(プロジェクションして)、その対応策を論じることができた。しかし、正直に告白すると、いまや世界の在り方やその未来の姿について、想像力を掻き立てられなくなってしまっている。すべてに対して、一呼吸を置いてしまうのである。
 いまや即断即決の必要を感じない。また、すぐに動くことができなくなってきている。同時に、とても悲しいことなのだが、未来に対して興味と希望を失い始めている。そうなのだ。わたし自身がこれまで存在してきた未来の時間と場所に属していないのかもしれない。喜びも悲しみも、遠い場所にあるように感じてしまっている。

*このエッセイは、ずいぶんと気分が落ち込んでいるとき(2026年10月13日午後15時40分)に書かれている。投稿のタイミングもよろしくない、苦笑。気を取り直したら、文章を書き換えるか、全文を削除することのなるかもしれない。

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