長男の40歳の誕生日を祝って

 本日(8月2日)は、長男の由(ゆう)の誕生日。くりくり坊主の「マルコメ頭」だった長男が、大台の40歳に到達した。生まれた翌年の夏に、満一歳で米国西海岸に渡った。2年間滞在した加州バークレイ市が、由君の原風景だろう。いまは神戸の惣菜会社でメニュー開発のシェフをしているが、彼の職業選択にはふたりの人物の影響が大きかったと思う。

 

 ひとりは、バークレイ市でかみさんの料理の先生だった、マーガレット・レブハン女史。「マギーさん」(Maggie)の愛称で呼ばれていた。マギーさんはカリフォルニア大学の元秘書で、大柄なアフリカ系アメリカ人だった。サンフランシスコ湾を見下ろす丘の上の瀟洒な家に、図書館司書の女性とふたりで住んでいた。

 趣味は盆栽と料理で、毎週かみさんに米国の南部料理を教えてくれていた。レッスン・メニューは、ピザ、パエリア、ガンボー、キャットフィッシュ(なまず)のフリッター、各種の甘いケーキ類など。いまでもわが家の食卓に並ぶことがある、ケイジャン風の南部料理だ。いつか、かみさんが書くだろう『マギーさんの料理帖(Maggie’s Cookbook)』の代表的なメニューである。

 その当時に2歳だった由君は、マギーさんの太い腕に抱っこされていた。帰国後に次男の真継(まつぎ)が誕生する。次男の名前の音(まつぎ)は、マギーさんが日本語でサインをするときの表記法「まっぎー」に由来している。

 バークレイ市のアパート(Haste St.)でマギーさんが焼いてくれたピザやパエリヤで、長男の舌は鍛えられたはずだ。遠い記憶の彼方で、長女の知海(ともみ)と由くんが、バークレイのアパートの温水プールで泳いでいる。ふたりは1歳と3歳。

 

 同じころ、わが家の米国留学の準備を助けてくれたのが、斎藤さんご夫妻だった。亡くなった遠田雄志先生と一緒に、留学の前年(1981年秋)にバークレイの斎藤さん宅にお邪魔した。奥様は、武子さん。福島県出身だった。旦那さんが、ロバート(ボブ)で、ハワイ出身の日系2世だった。寡黙な人だった。

 斎藤さんご夫妻には、遠田先生のご縁もあり、留学中もよくしていただいた。なによりも助かったのは、留学前にアパートを探していただいたことだった。そのうえ、ワーゲンの中古車を帰国する日本人(静岡大学の教授)から譲り受けてもらう仲介もしていただいた。

 斎藤さんのご夫妻は、記憶に間違いがなければ、バークレイ市のCedar St.にお住まいだった。二人のお子さんがいて、シンディーとグレン。ご主人のボブは、バークレイの隣町・高級住宅地のエルセリートで、イタリアンのシェフをしていた。神戸の会社に転職する前、長男は渋谷のセルリアンタワーにあるイタリア料理店「オリ」で働いていた。働き先としてイタリアンを選択した息子を見て、わたしは斎藤さんのご主人を思い浮かべていた。

  

 運命の糸は、どこでつながっているかわからない。わたしたち家族は、長男が誕生したばかりの40年前に、マギーさんや斎藤さんご夫妻、遠田先生に助けていただいた。長男の由とその家族(奈緒さん、紗楽さん、諒くん)は、この先もいろいろな人たちの世話になるかもしれない。

 人とのご縁を大切に、そして感謝の気持ちを忘れずに、生きていってほしい。わたしたち両親から、40歳の誕生日を祝ってのメッセージになる。