昨年の予言は大きく外れた。大胆予言のブログは、「菅官房長官は、総理にはならない。むしろ、なっていはいけない。その理由を述べてみたい、、、」で始まっていた。思いついて記事を書いたのは、2019年4月12日。菅さんが「令和おじさん」になったすぐ後のことだった。
この数日の出来事のすべては、安倍さんの健康状態と派閥の力学がもたらした結果である。あのとき、つぎのようにブログに書いた。「わたしも、本心では菅総理を期待する人間のひとりだが、間違っても菅総理が誕生することはない。推察するに、本人にその気がないからだ」。
ところが、現実的にはまったく「別の目」が出てしまった。参謀がトップの座に座ることになってしまったからだ。ただし、わたしの予言で、まだ残された選択肢はある。つまり、菅さんが衆議院の解散権を握っているので、にいったんご本人が総理総裁を退任してからあとのことだ。
「菅さんにはふたつの選択肢が残されている。安倍さんに代わる総理候補を探してくることが第一案。たとえば、小泉進次郎氏とか。あるいは、安倍さんとともに院政を敷きながら、背後から新しい政権をコントロールするかのどちらかでだろう。」(2019年4月12日のブログ記事)。
しかし、いまや菅さんご自身が、最高権力者の自民党総裁=日本国の総理に上り詰めてしまった。それでも、もしかすると、そのあとがあるかもしれない。とはいえ、先がよく見えない時代。コロナの終息を最優先課題に、二番目が構造改革だそうだ。
わたしが生きている間に、まさか秋田県出身+法政大学卒業の首相が生まれるのは、確率的には1万分の1以下だったろう。その幸運(つき)を活かして、当面は安倍首相の残任期間(約1年)を全うしていただきたい。
どこかに、「躓きの石」が転がっていないことを祈りたい。昨夜は、めずらしくスマホで、菅さんの首相就任演説を聞いていた。かすかな東北なまりがある。東北出身者以外の皆さんにはわからないだろうが、素朴なアクセントが醸し出す抑制が効いた雰囲気。この時代には、案外と派手さのない抑制がいいのかもしれない。