昨夜は、セントラルローズの大西隆さんご夫妻と、飛騨古川温泉の八ッ三(やっさん)館に泊まった。奥様の由美子さんが、農業関係の研修会でここを使ってから、気に入ってご夫婦や友人としばしば宿泊している宿だそうだ。明治37年の大火で、古川の町の90%が焼けてしまったのち、一年で復旧した建物を今でも使っている。飛騨の大工の匠の技が造らせた明治の建物は、雰囲気が独特だ。地元産の太い材木をふんだんに使っている。
この町の建造物は、酒屋さんも旅館もローソク屋さんも、二階の上に天窓を持っている。暗闇の中で生活をしてきた江戸時代の人たちが考えた、明かり取りの工夫である。この宿の旧館にも天窓があって、ここはなかなか趣のある宿になっている。
大西さんご夫妻は、旧館二階の部屋を指定したらしいのだが、手違いで新館の部屋になってしまった。夕飯の席に現れた女将が、部屋の手配の手違いを謝っていた。何度か泊まっている大西さんによると、旧館は少し広めで、部屋には囲炉裏が付いていたりするらしい。
旧館は招月楼、新館は観月楼。部屋の名前が洒落ていておもしろい。新館は、月の呼称になっている。ちょうど12部屋あって、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走。わたしたちは水無月の部屋に、大西さんご夫妻は霜月に荷物をまとめた。
ちなみに、新館の呼び名は、おめでたい七福神になっていた。恵比寿、大黒、布袋、毘沙門、弁天、福禄寿まで6部屋。残念ながら、寿老人の部屋は見つからなかった。
この宿は冬場はそれほど混むことはなく、宿のお出迎えはいつもはゆったりしているとのこと。
確かに、雪深い飛騨の小さな町の温泉宿に、平日の月曜と火曜日でそんなにたくさんの宿泊客があるのも思えない。「こんなにわさわさしているフロントは、初めてですよ」(由美子さん)。流行っているからで、商売上は悪いことではないのだろうに。でも、常連客の気持ちはまた別のようだ。
この宿の特徴は、季節ごとに館内の飾りを入れ替えることだ。ひな祭りの季節なので、2月中旬から4月3日(旧暦の桃の節句)にかけて、館内はお雛様だらけになる。珍しいこともあって、たくさん写真を撮って友人や家族に送った。
わたしたちの部屋を担当してくれた新人の仲居さんによると、お雛様が退席したあとは、端午の節句の飾りになるとのこと。一ヶ月半くらいで、部屋の飾りを順に回して行くから、季節の行事の人形をしまっておく大きな蔵が必要になるだろう。余計な心配をしてしまった。
夕飯も豪華な食事だった。別室の味処で、二家族でゆったりとした食事。全部で20品を超えるお皿を味わった。朝食も10品以上だったから、自宅で洗いの係を担当しているわたしは、この大きな宿は食洗機を持っているのだろうか?と考えこんでしまった。
懐石料理だから、変形の小鉢が多い。きっと手洗いするのだろう。洗い場の大変さを思いやったりした。これもまた余計なことだが。
明けて本日、午前中は、古川の街を散策した。素敵な街並みだった。7年前は、大西ご夫妻と下呂温泉に泊まった後、高山と白川郷を案内していただいている。著名な観光地の二箇所と比べると、古川の街はこじんまりとしている。しかし、外国人もほとんどいないから、のんびりと町歩きができた。気持ちがよろしい。
渡辺酒造店で、昨夜の夕食でも飲んだ名酒、純米大吟醸の蓬莱を購入。試飲の効果は大きい。日本で一番高い日本酒を小指ほどの容器で試飲してしまえば、お土産に四号瓶を二本、買わせてしまうのは難しいことではない。
雨の中、江戸時代から続いているローソク店にも寄ってみた。16年前、NHK朝ドラの舞台となった三嶋屋で、7代目当主が和ろうそくの作り方を説明してくれた。九州のハゼが原料とのこと。石油由来のパラフィンを原料にしている洋ローソクより、和ローソクはススが出ない。さらに良いことは、消えにくいことが特徴だそうだ。80歳は超えていはずだが、7代目は肌がツヤツヤしている。
かみさんは、ローソクを二本買った。長いのが一本、短い五本入りをひとセット。宿に戻って荷物をピックアップしてから、大西さんが運転する日産シーマで、お昼ご飯を食べに高山方面に向かった。
ホテルアソシア高山が建っている坂道の途中に、季節料理の店、「肴」はあった。店主は今井速雄さん、59歳。実年齢よりはかなり若く見える。和室で準備している様子を見ていて、わたしは彼を40代後半と思った。8年前に、自宅の敷地に飛騨季節料理の店を開いた。赤字が続いて、ようやく5年目に儲かるようになったらしい。
今井さんは、京都で料理の修業をしてから、30歳代で地元高山に戻っている。そのあと、高山市内に三店舗の和食レストランを開業。酒菜、あてや、もつやの三店。いまは四店舗を株式会社ロハスが運営している。
店主は、趣味と実益を兼ねて、山菜や川魚を自らの足で歩いて山採りしてくる。店頭にはちいさく、「山採りの仲間募集」と山採り人の募集広告が貼られていた。「ここでしか食べられない食材を提供できる調達力が自社の強みです」と店主は力説していた。
わたしが、「神戸にいるシェフの長男が、田舎でレストランをやりたがっているのですよ」と話を向けると、「地元で食材を調達して何年か頑張れば、なんとかなるものですよ」と答えてくれた。
2時間のランチコースは、ほぼ地元の食材ばかり。メニューの中には、山を越えて2時間かけて運んできた富山湾で獲れたお魚なども入っている。ここでしか食べられないものばかり。フレンチでよく見かけるキノコだけではない。知らない名前のキノコが四種類。
今井さんが山に入って37年目で初めて見つけたというキノコを私どもにも振舞ってくれた。コリコリで美味しいが、いままで食べたことがない食感。スルメみたいな噛みごごちだった。
これでもかこれでもか、というくらい途切れない季節料理のコース。雪見障子の向こう側に、残雪を見ながらのお昼は延々と続いて行く。丘の斜面にあるロハス割烹、飛騨季節料理の肴で、最後の最後は牡丹鍋になった。値段が三段階あるランチで、由美子さんが一番高い16000円のコースを選んだ理由が、牡丹鍋が付いていたから。
これがまたどこでも食べたことのない、あっさりした牡丹鍋だった。私たちが食べたイノシシ鍋には、ジビエ料理にありがちな臭みがない。それもそのはず、今井さんは、イノシシを一頭買いしているからだった。毎年、二匹を一頭買いしている。
「イノシシを部位で買うと、履歴がわからなくなるのですよ」(今井さん)。なぜイノシシの履歴が大切か?お座敷でイノシシ鍋からお皿に取り分けながら、丁寧にその理由を説明してくださった。
イノシシはメスの3歳が一番美味しいのだそうだ。さらに言えば、どんぐりの森で育つと肉質が柔らかくて美味しく育つらしい。スペインのイブリコ豚と同じだ。2番目は、ブナの森で、その次はシイの実を食べたイノシシ。
穀物や野菜が餌のイノシシはダメだそう。最悪はみみずを食べていたイノシシで、これは食べられない。つまり、どこで何を食べて育ったかは、履歴がはっきりしないと評価不能なのだそうだ。
いまは新幹線の中で、昨日のワイドビューひだ11号のことから、イノシシ鍋のことまで思い出している。大西さんとは、同じ年のうさぎさんチーム。昭和26年生まれの67歳だ。
これまでは、一方的にご馳走になってばかりだ。だから、次は大西さんを秋田に連れて行くことを計画したいと思っている。大西さんは、私と同じ、鉄ちゃんなのだ。ランチの最後にその相談になった。
今度の行き先は、青森県境の五能線と秋田内陸縦貫鉄道。森のテラスと秋田雄和ダリア園。世界的なダリアの育種家、鷲澤幸治さんのところまで、今度はわたしが旅先案内人になる番だ。