50年ぶりの同期会、能代第二中学校

 「能代第二中学校同期会開催のご連絡」という封筒が、6月15日の消印で白井の自宅に届けられた。先月、友人の加藤祐悦君(能代市役所元職員)が上京して、二中時代に副会長だった青山顕君と再会した。青山君はミキモトを退職して、船橋の自宅で病気療養中だった。ちなみに、生徒会長がわたしで、副会長が青山君と武田幸子さん(故人)だった。

 

 同期会の<案内文>は、つぎのようになっていた。

 

 期日: 平成30年8月11日(土) 18:00~

 場所: プラザ都

 会費: 6000円(当日持参)

 *今回は帰省期間に設定しましたので県外の方も参加をご検討ください。

 追伸: 池田清一さんは参加します。梅田和彦さんが本年亡くなられました。

 

 梅田君は洋服屋の次男坊で、専門商社の蝶理に勤めていたはずだ。中学時代は、バレーボールをやっていたように記憶している。わたしは即決で、今年の同期会に参加することにした。同窓会の案内は、柿崎君からの宛先になっていた。状況を聞く意味で、まずは加藤君に電話してみた。

 6年前の還暦の同期会のときは、仕事があまりにの忙しくて、同期会に参加する余裕がなかった。梅田君のように、この先は今回を外すと一生会えない友人も出てくるはずだ。縁起でもないが、これが最後と覚悟を決めての参加になる。

 そういえば、何人かの秋田の友人たちからは、「生徒会長(こうすけ:わたしの愛称)が来ないのはどうしたことだ!」と、のちに人づてに聞くことになった。副会長の武田さんも、件の青山くんも、そのときは別の事情で出席できなかったらしい。しかし、後の祭りだった。

  

 人生にはいろいろな出来事が起こるものだ。わたしたち夫婦は、青山君に足を向けて寝られない立場にある。東京銀行の人形町支店に勤めていた20歳の下町のお嬢さんと、26歳の法政大学講師が駆け落ち同然で結婚した。1979年、寒空の2月のことだ。

 結婚式は、板橋区の常盤平にあるバプティスト教会で執り行われた。秋田からも親しい友人たちが数名、わざわざわたしたちのために上京してくれた。素敵な結婚式と、近所のお寿司屋さんの二階で行われた披露宴を企画してくれたのは当時、銀座ミキモトに勤めていた青山君だった。

 仕事の関係で知り合った、バプティスト教会の松下牧師さんに仲介を依頼してくれた。わたしたちはキリスト教とは何のゆかりも円もない。いわんや信者でもない。そのふたりのために、常盤台の教会で結婚式を挙げることができたのは、青山君のおかげだった。

 新婚旅行は、伊豆の大沢温泉へ。つつましやかな二泊の旅。そして、半年後の7月11日に長女の知海(ともみ)が無事に誕生した。かみさんの母校、都立江戸川高校近くの川柴病院でともみは生まれた。あれから無我夢中で過ごして40年が経過した。しかし、恩人の青山君はいまは病気療養中の身である。

 

 加藤君が西船橋駅で再会を果たした青山君に、「今度の夏に同期会を開くけど、アキラ、秋田には来れないのかな?」とたずねた。というより、66歳になったわたしたちは、これが無事に会える最後の機会になるかもしれないからだ。

 病気が進行している青山には、暑い夏の帰省はどうやら無理らしい。だからこそ、ダダ一人、健康でいられているわたしは、今回は多少の無理をしても、同期会に参加する義務があるように思った。

 ところが、今朝から検索しているが、「羽田~大館能代区間」あるいは「羽田~秋田区間」の往復航空便が満席で予約できない状態にある。なんとかしなければならないのだが、最終的な手段は、東北新幹線の乗り継ぎになるかもしれない。

 とにかく、みんなに会うために、今回はどうにかして帰省するつもりでいる。

 

<追記>

 昨日、どうにかJALの特典航空券で「羽田~秋田間」、8月9日の早朝便(往路)と12日の最終便(復路)が予約できた。