表題は、「ミステリ小説や映画の感想、小演劇やダンスの鑑賞、イヌやネコの写真、東京湾や横浜港のクルーズ、デジタル一眼レフやフィルムカメラのこと」と続いています。ただし、2013年7月11日以降は記事がアップされていません。ご本人が病気になられたとか、なんとなく気になっています。
どなたか、筆者をご存知のかたがいらっしゃらないかと思い、錦糸町の暗渠(竪川)の記事を紹介することにしました。竪川(たてかわ)は、いまわたしが住んでいる森下の地名(立川)の旧地名です。以下の記事に登場するように、ほんとうの表記は、「竪川」だったようです。東京西地区にある立川(たちかわ)とは、読み方もちがいます。
実は、2011年の7月8日の記事「錦糸町の埋め立てられた川の上で佇む」(
暗渠とは、「地下に埋設したり、ふたをかけたりした水路。暗溝」のことです。東京の下町に住みはじめてから、戦後に開発が始まった東京の街には、暗渠がたくさんあることに気がつきました。錦糸町辺りもその一つです。以下がその記事なのですが、筆者のその後が気になっています。
「時層地図」というのがあるのですね。地図を時間を超えて重ねて比較したものです。暗渠もその昔は川の流れだった跡ですから、時間軸で地図を重ねると、昔の川がよみがえるわけです。いまと過去とが同じ場所に存在している。不思議な感じです。
時層地図を見ると、錦糸町の駅は、むかしは「本所駅」と呼ばれていたことがわかります。駅の場所は、いまよりも少し西側にあったとか。そういえば、劇作家の別役実さんの童話に、「黒い郵便船」というのがありました。同じように、時間を跨いで過去にいくと、そこには古い場所が重なって現れるというモチーフの童話でした。
気味の悪いファンタジー。このモチーフになんとなく引っかかりながら、このごろ、隅田川の際を走りながら、そこから続いている暗渠を眺めていることが多くなりました。暗渠に吸い込まれて、地下に潜っていきそうな、、、
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錦糸町の埋め立てられた川の上で佇む
2011年7月8日(金曜日) 23:07Category : 日常Tags: 社会見学
今日は会社の定期健康診断で、朝イチから錦糸町に立ち寄ってきましたですよ。
JR錦糸町駅から歩いて検診会場に向かっていると、その途中に上を首都高速が走っている場所があるのですね。
この首都高速の下側が、実は前々から気になっていたのです。
どうも川を埋め立てたような、そんな雰囲気がプンプン漂ってくるんです。
首都高速の下の川を埋め立てたような雰囲気のところ
もともと首都高速は、開業を東京オリンピック開幕に合わせるため、ゆっくり用地買収する余裕なんてなかったと聞きます。
だから、誰の土地でもない川の上に道路を走らせちゃったり(日本橋の“フタされた川”でおなじみの光景)、また川を埋め立ててそこに道路を作っちゃう(都心環状線の新富町から宝町)といった、今となっては信じられないほどのアイデアを詰め込んだかなりのウルトラCワザが編み出されているんですね。
まあそんな状況なので、この首都高速だって、建設される前はきっと川が流れていたに違いないと思ったんですよ。
そんな訳で、どんな川が流れていたのかなー、早速、iPod touchに入れてある「東京時層地図」で調べてみました。
ちなみにこの地図アプリは本当に面白いんですよ。
今いる場所を、現代はもちろん、昭和30年代から明治初期まで時代を遡って見ていくことができるんです。
「地層」ならぬ「時代(時間)の層」で、“時層地図”とは素晴らしいネーミングです。
惜しむらくは、東京篇しかないところ。
やっぱり横浜に住む人間としては、ぜひ、地元でも昔はどんな様子だったのかを見てみたいものです。
そんな遊べることまちがいなし!のオススメアプリです。
さて、その「東京時層地図」で現在の錦糸町周辺を見てみると、このようになっていますね。
地図真ん中辺りに、真横(東西)に走っているの首都高速7号線(小松川線)で「錦糸町」と描かれているあたりが、さっきの写真の場所です。
(後略)