思い切って予言してみたい。現在、日米などのトップが主導しているTPP(環太平洋パートナーシップ協定)は批准されないだろう。米国で「ノー」となれば、日本の議会で審議が終わっても、この協定が実効性をもつことはない。日本人は空騒ぎをしているだけということになる。
この一件を、後世の歴史家は「TPP騒動」と呼ぶことになるだろう。はじまりは2011年だった。民主党政権のころで、首相は野田さん。事実を振り返ってみれば、恐ろしいことに、民主党はTPP推進派だった。民進党に党名が変わって、知らぬままに立場が変わってしまったが、その事実は覆しようがない。
もっとも野党時代の自民党に至っては、地方・農村票が大切だから、大方の地方議員はTPP反対派に組していた。ところが、逆にいまは、一転してTPP推進に回っている。そもそも、TPPを推進している思想的な背景は、グローバルに事業展開する多国籍企業や商社の利益を守ろうとする古典的な経済学の公理(=国際貿易における比較優位論)である。
多くの良心的な経済学者は、「TPPの本質は、環境、労働(基準)、ヘルスケア、医療に関しての規制権を大企業に握らせるための協定であり、大企業の利益になるが環境や労働者を保護しない性格をもち、仕事がアウトソースされるために中低所得者を害する協定である」と述べている(ウイキペディア)。ノーベル経済学賞の受賞者であるジョセフ・スティグリッツ教授に至っては、「TPPを史上最悪の貿易協定である」と断言している。
筆者も、同じ立場に立っている。いまや優先すべきは、大企業の利害ではない。社会的に不利な立場に置かれている人々である。
日本の場合は、農業改革と産業競争力の向上が主目的である(あった!)。規制緩和による新産業の創出を目玉にしているが、政策を見直すべきタイミングにきている。というのは、TPP(自由貿易)を推進してきた米国の政治状況が変質しつつあるからだ。
米国の政治状況を見ると、「The Economist」(2016年4月7日)の記事が示しているように、TPPの批准はきわめてきびしい状態にある。民主党・共和党どちらの有力大統領候補も、TPPに対しては否定的だからである。このままでは、安倍政権が無理に法案を通過させてても、その努力は無駄になってしまいそうだ。
日本の政府は、この現実について先手を打っておくべきである。この時点で、米国の先回りをして、交渉をご破算にすべきなのである。「なんというバカ騒ぎを繰り返していたのだろう」と後世の人間たちは、わが世代の政治感覚を笑い飛ばすにちがいない。
なぜならば、貿易の自由化によって恩恵を受ける人たちの利益より、いまや経済のグローバリゼーションによって不利な立場に追い込まれる人々の「投票のシェア」が政治の行く末を決める時代だからである。日本のメディアは、米国の世論が変節しつつあることをもっときちんと報道すべきではないだろうか。
TPPは、おそらくは批准されないだろう。祭りはすでに終わっている。
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「米国で過熱する議論、自由貿易は是か非か 自由貿易は必要、だが”被害者”には支援を 」
The Economist 2016年4月7日(木)
米国のカントリー歌手ロニー・ダンは2011年、新曲『Cost of Livin’』を収録した。「生活費」を意味するこの作品は、職を求める元工場労働者の姿を切なく歌っている。「銀行からの電話が鳴り始めた/家の戸口には狼どもが待ち構えている」――。求人数をはるかに超える求職者が溢れる未来を感じているのか、彼の意欲的なトーンは絶望感へと成り代わっていく。
製造業において1999年から2011年の間に失われた職の数はほぼ6万にのぼった。この規模そのものは特に驚くべきものではない。動きの激しい米国経済においては、毎月およそ500万の就職口が生まれては消えていく。だが米国の主要大学の経済学者たちが最近行った一連の研究から、気がかりな結果が明らかになった。先に挙げた、1999年~2011年に失われた職の5分の1は、中国が競争力をつけたことが原因だった。
このとき失業した人々は新たな仕事を近隣で見つけることができなかった。かといって、別の地域で職探しをしたわけでもない。彼らのほとんどは、失業したか、働くのを完全にやめてしまったのである(多くの人は後者を選んだ)。就職をあきらめた人の多くは障害者給付金を請求した。現在、25~64歳の米国人の5%がこの手当を受給している。
主な大統領候補はみな自由貿易に背を向ける
こうした研究成果によって不安が高まったため、「貿易」は今回の米国大統領選において試金石となる問題になっている。共和党の指名争いで首位を走るドナルド・トランプ氏は、中国とメキシコからの輸入品に禁止関税をかけると公約している。
民主党の最有力候補とされるヒラリー・クリントン氏を相手に健闘しているバーニー・サンダース氏は、貿易協定に反対することを誇りのしるしとしている。当のクリントン氏も、環太平洋経済連携協定(TPP)に距離を置くようになった。TPPはオバマ大統領が取り組んでいる貿易協定で、クリントン氏も以前はこれを支持していた。
貿易の自由化は、第二次世界大戦が終って以降、数十年にわたって米国その他の国家に繁栄をもたらす原動力の一つとなった。であるにもかかわらず、主流をなす政治家たちは今、自由貿易への支持をためらうのみならず、積極的に反対している。これは嘆かわしいことだ。自由貿易は、今でも大きな支持を得るに値するものである。たとえ、それによって害を被る人たちへの手厚いケアが必要になるとしてもだ。
(後略)