先月の6月30日、広島県呉市にある介護施設「呉ベタニアホーム(社会福祉法人 政樹(まさき)会」を訪問した。呉ベタニアホーム(3施設)は、里村佳子さん(法政大学IM研究科卒業生、MBA)が運営の責任者をしている介護施設である。元院生の献身ぶりに頭が下がった。また、彼女が活躍している姿を見て胸が熱くなった。
里村さんは、2005年の一年間、当時開学して間もなかったIM研究科(法政大学の一年制MBAコース)に広島から新幹線で通学してきていた。大村先生のゼミ生である。大村先生ご夫妻も、最近お二人で施設を訪問されたらしい。
当時の彼女は、週の半ば(水~金)に大学生として学び、週の後半から休日にかけては、出来たばかりの呉のケアハウスで施設長を担当していた。体力的にも大変だったと思う。働きながら大学院で学び、見事に一年間でMBAを取得してしまった。
ひさしぶりに再会した里村さんに、「法政に通って一番良かったことは?」と問いかけてみた。間髪を入れずに戻ってきた答えは、「自治体のプレゼンやコンペに強くなったこと!」だった。民間が応募する補助金などの資金獲得には、企画書が必要である。
「IM研究科でたくさんプレゼンをやらされました。プロジェクト企画書を書くことになれたので、卒業後もコンペには負けたことがないです」。明るくにこやかに、「いつも一番で通過しています!」と実利を強調してくれた。
最近できた3番目の施設「ハレルヤ」(投資総額6億円)も、一番で補助金を獲得した施設である。うれしいことである。社会人が生きるのに実際に役に立つ学問・研究のスキル、世の中の役に立つ大学教育を提供できている。
里村さんの学習意欲と成果に触発された広島出身の若者が、里村さんとの面談で説得され、6年後に法政の門をたたいてきた。わたしが、日野自動車の若手社長会で知り合った、冷蔵・冷凍専門輸送会社「㈱ムロオ(本社、呉市)」の山下俊一郎くんである。山下社長は、2年間、新幹線とエアラインを乗り継いで、やはり東京千代田区の市ヶ谷まで通ってきた。
こちらは、プロジェクト研究で、お見事!優秀賞を獲得して卒業した。
それでは、青木さんのメモに従って、里村さんの仕事ぶりを紹介してみたい。わたしたち(前日の「ムロオ訪問組」と同じ元大学院生メンバー)が訪れた「呉ベタニアホーム」の概要である。
「呉ベタニアホーム(社会福祉法人)
1 理念・ミッション
(1) 理念
・「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」(聖書ルカ6章31節)
ひとびとの個別性(個々人の状況)、個々人のニーズを尊重しようとする考え方にものづいて施設は運営されている。だから、特別養護老人ホームのように、マスでの対応はしていない。手厚くケアをする。
・職員を大切に
大切にされた職員は、利用者を愛するからである。サービスマーケティングでも、これは基本である。良いサービスをする接客従業員は、会社組織から大切されている。
(2) ミッション
・1997年9月、呉市及び近郊のキリスト協会が、「高齢者のために、キリストの愛で仕えたい」という祈りとミッションで設立した施設。
・人生の締めくくりの時に、高齢者を大切にするケアを行うことをホームの使命としている。
(3)施設名「ベタニア」の由来
ベタニアは、新約聖書に出てくるパレスチナの地名である。イエス・キリストがエルサレムに入る前に滞在した土地といわれる
(*注)イエスと親しかったマルタとマリア姉妹と、その兄弟ラザロの故郷。イエスはこの地で、死んで墓に入っていたラザロを生き返らせたといわれる。
2 施設の特徴
(1)認知症に特化した施設
呉ベタニアホームは、認知症に特化している。特養介護サービスはついていない。これは、 里村さんたちの創設の理念(個別ケア)からきている。
特老の介護サービスをつければ利益はもっと出せるが、それでは自分たちが実現したいサービス(個別ニーズに対応したい)が提供でいない。たとえば、夜勤+介護を入れれば、入居者は埋まるが、それでは特別養護老人ホームと同じになってしまう。特養なら必ず儲かるのだが、作りたいのは特養ではない。
現在の流れは在宅ケアである。ケアハウスの利用者であっても、特養に入りたい人は少ない。特養の利用者は、必ずしも幸せではないと考えている。
(2)薬に依存せず、個人的なケアによる認知症緩和
薬を使わずに、ケアによる認知症緩和を目指している。「薬は最後の手段」ということで、ドクターも同意している。この部分は、基本的に思想でもある
(3)「経営よりミッション」
利用者ニーズがあり、やらねばならない仕事をする。もともと、採算度外視で、理念から始めた仕事である。最初はスタッフ3人、利用者3人だった。
利用者は人間関係の構築に困難がある人たちが多く、密接なケアが評価され、今では伸びている(最初の二つの施設は、利用者で埋まっている)。
(4)少人数の個別対応ケア
30人の大きなデイサービスの方が経営は容易であるが、認知症に特化した個別対応の必要性が世の中にはある。利用者には、「生きている実感」をもってもらうことを優先している。
たとえば、誤嚥のリスクはあっても、胃ろうは避けている(専門用語は、別に解説)。時間はかかるが、スタッフが食事を助け、最後まで生きているという実感をもってもらえるようなサービスを目指している。
個別性へこだわっている。たとえば、わたしたちが見学させてもらった施設では、お風呂も、トイレも、背の高さや身体機能の状況に応じて、それぞれみな違う仕様(長迫)になっていた。細部で、個別性へのこだわりを
(5)事業拡大は追わない
「社会福祉法人」なので、たとえ利益が出ても、職員の給料を増やすか、建物に投資するかするしかない。事業としての拡大は追わない。結局、拡大すると一時期ケアの質が低下することがある。
(6)利用者の選択の自由度を高める
個人の利用ニーズによって、サービスが選択できるシステムにしている。一律のサービスパッケージを押し付けない。「介護保険+特別サービス(別料金)」。たとえば、病院受診は介護保険ヘルパーではできないが、特別サービスとして設定している。
里村さんとしては、こうしたどこにもない「フレキシブルな」サービスを作りたかった。そして、所得に応じてサービスを提供している。これも、一律なサービスを避ける一つの例である。具体的には、年収150万円以下の人は、食事付きで月7万円で入居できるサービス。それ以上で所得が高い人には、マンション形式のサービスが準備されている。
(7)夢
「夢のあるもの」を目指して建てた施設である。最初は素人だったが、各地の施設を訪問するうち、「こうしたい」という思いが強くなった。施設のハード面にも、夢や遊び心、ユーモアなどを託している(例・長迫施設の「井戸端」など)。
*青木メモには、細かな訪問記録(5ページ分)があるのだが、ここでは省略する。
3 記事の概要
以下は、「日本でいちばん喜ばれているサービス」(予定)の事例に盛り込むべきポイントを、小川メモとして残しておくことにする。
1「個別対応」
利用者の尊厳、利用者がどうしたいかは、個別に違うので、一人一人で対応している。
宗教者でもある里村さんの思いを伝えたい。イエスの愛を伝えることをミッションに、専門性を持って利用者を支援している。
2「認知症に特化」・「認知症個別対応」
(1) 認知症ケアリーダー
里村さんは、認知症の指導者(広島県の認定者、最初のひとり)
広島県内では20数人いるが、呉市では里村さんを含めて2人だけである。他の介護施設も、ベタニア(里村さん)のところに研修に来るくらいに先行事例として注目を浴びている。
なお、里村さんは現在、広島国際大学臨床教授を務めている。弁護士など様々な分野の人を相手に、認知症についての講座で講師もしている。国際大の学生が、クリベタニアホームに研修生として入っている。
里村さんは、「認知症ケアの指導者研修」を受講するために、平成20年(2008年)に、2か月にわたり仙台で泊まり込み研修を体験した。そのときは、全国各地から20人くらいの人が推薦を受け受講していた。地域でケアの核となるリーダーを育成することが、国の方針として決まっており、その第一期生である。
(2) 認知症ケア研修施設に特化
介護スキルの高い施設は他にある(特養など)のだが、呉のベタニアは、特養施設を持っていない。その中で、認知症に特化してアプローチしたことが特徴になっている。
(3) 個別対応—認知症の人の行動の背景を理解
利用者のアセスメントを行いながら、利用者には個別に対応している。認知症の「問題行動」の背景は、「なぜ、その人がそういう行動をとるのか?」を理解してあげることにある。
暴言や暴力などの「問題行動」の背景を突き詰めていくと、その理由があることがわかる。それを汲み取ってケアすることが必要だと、里村さんは考えている。
3 あるエピソードと教訓
利用者ひとりひとりのアセスメント(理解)が必要な事例を、インタビューの時に里村さんから伺った。
あるとき、男性の患者さんが「怒って鏡を割る」という事件があった。男性の認知症入居者のかたで、ふつうは単なるBPSD(問題行動周辺状況)として処理されてしまう。しかし、よくよく状況を把握(アセスメント)してあげると、その理由がわかった。もう少し詳しく説明する。
あるとき、認知症の入居者が、怒って電話機を投げ飛ばし、鏡を割ってしまった。この行為だけ取り出すと、「問題行動」「暴力行動」と捉えられがちである。しかし、スタッフ数人のこの入居者に対する対応の違いを総合してみると、別の見方ができる。
この入居者は、奥さんによく電話していた。しかし、認知症が進行してきており、この事件が起こった時点では、自分ひとりでは電話をかけることができなくなっていた。あるスタッフは入居者の病状を把握しており、自分が代わって電話して奥さんが電話口まで出てから、その入居者に取り次いでいた。
ところが、その日に担当になった別のスタッフは、その入居者に電話機を渡しただけだった(電話をかけてあげなかった)。その男性は、電話をかけようと苦労したが、どうしてもダイヤルすることができない。つい、苛立ち、とうとう怒って電話機を投げるという行為に及んだのだった。
つまり、「暴力行動」「問題行動」と総括されがちな行動は、入居者の個人個人の症状の進行と、その変化に対する介護スタッフのアセスメント不足(無理解と状況把握不足)による対応が引き金となっていると解釈できる。
だとすると、ケアにおいてほんとうに考慮すべきなのは、認知症自体というより、BPSD(問題行動周辺症状)と呼ばれる周辺状況である。症状が進行してケアでは対応できなくなれば、薬を使用することになる。ところが、薬の副作用で足がとられがちになり、転倒してはさらに認知症が進行するという負のスパイラルを生む。
そのようなことにならないため、里村さんのベタニアでは、薬には極力頼らないケアを優先させている。だから、「施設は人が命なんですよ」(里村さん)。スタッフ次第で、利用者の人生の締めくくりが違うのである。
4 里村さんの略歴と現在
・広島国際大学講師
呉ベタニアホーム施設では、ここの卒業生が中核になって働いている。
・各地で認知症の講座を担当
・社会福祉士の実習生の受け入れ
・広島県の「認知症介護指導者」
県や弁護士の団体などから委託で、認知症に関する講座の講師も務めている
(「広島県認知症介護実践研修(実践リーダー研修)」など)
※BPSD
認知症に伴う行動・心理症状を表す“behavioral and psychological symptoms of dementia(BPSD)”日本老年医学会HPより