弟子や友人に会うたびに、「本を書け、単著を出せ!」としつこく言っている。わが座右の銘は、Publish or Perish!。被害者のひとりである平石客員教授がネットで連載をはじめた。テーマは、「破壊的イノベーション」。自らの事業の軌跡をつづった連載コラムである。http://www.venturenow.jp/founder/006hiraishi/
「破壊的イノベーションの軌跡」
株式会社サンブリッジ グローバルベンチャーズ 代表取締役社長
法政大学経営大学院 客員教授 平石郁生
第1回「インタースコープ創業とIPO断念」
February 28 , 2013
実際に起きたことがベスト
僕は2000年3月、現株式会社ALBERT代表取締役会長の山川さん達と一緒にインタースコープというインターネットリサーチをおこなうベンチャー企業を創業した。それから3年目の夏、僕はとある経緯により代表取締役を退任せざるを得ない状況に追い込まれていた。
結果的には、それは現実にはならなかったのだが、そのプロセスにおいて、その後の人生について思い悩んでいた僕は当時、元祖ライブドアの民事再生を申請し、清算業務を行なっていた前刀さん(その後、アップルコンピュータ日本法人の代表取締役 兼 Apple Computer Inc. マーケティング担当 Vice President に就任し、日本人で唯一、スティーブ・ジョブズ主催のエグゼクティブ・ミーティングのメンバーになった)に相談をした。
その時の前刀さんが放った言葉を僕は今でも鮮明に憶えている。
「(様々な可能性の中から)実際に起きたことがベストなんだよ」
僕が「どうして前刀さんは、どんな時も弱音を吐かないんですか?」と訊くと、一瞬、動揺した表情を見せた後、前刀さんはそう言った。
30億円(だったと思う)ものおカネをベンチャーキャピタルから調達し、要するにそのおカネをスッてしまったわけであり、普通の人なら間違いなく、精神的に参ってしまっていただろう。それにも関わらず、「 実際に起きたことがベストなんだよ」と言われて、僕は返す言葉がなかった。
IPOを断念
幾多の幸運にも恵まれたインタースコープはインターネットリサーチ業界の「御三家」と言われるまでに成長し、新興市場への上場準備をおこなっていた。しかし、2004年1月に東証マザーズへ上場し、その翌年には東証一部に移籍上場するなど、文句のつけようのない素晴らしい業績を叩きだしていたマクロミルの収益構造や利益率と比較すると、僕たちのそれは見劣りしていた。
何とか上場できたとしても「市場の期待に応えられるような成長を続けていけるのか?」というと正直、難しい状況にあった。
そのような状況を踏まえ、株主や経営陣の間で様々な議論をした結果、僕たちふたりの悲願でもあったIPO(新規株式公開)は断念し、M&Aでどこかの傘下に入る決断をした。2006年の春頃だったと思う。IPOは断念しても「そのまま続けていくという選択肢は無かったのか?」という質問がありそうだが、インタースコープはベンチャーキャピタルから億単位の資金を調達しており、それらの資金の「出口(投資家が株式を売却するところ)」を必要としていた。
僕たちの中では「IPO」を前提に会社を設立しており、IPOをしないとなると別の出口が必要だった。その選択肢がYahoo! JAPANとのM&Aだった。インタースコープは売上も利益も成長していたし、インターネットリサーチ業界の中でも先進的で個性的なベンチャー企業として認知されていたが、社内や株主との間で将来の事業展望や経営戦略に関する考えが一致しなかった。
そして、共同創業者の山川さんと僕は田部さん(山川さんの先輩で、創業時に個人株主として出資してくれていたこともあり、僕たちのバトンを受け取って社長に就任してくれた)を説得し、自分達が産み落としたインタースコープを託して、新たな道を歩むことにした。
僕は次のチャレンジをするべく、 Yahoo!JAPANの子会社となる一年ほど前、ドリームビジョンという会社を設立した。
創業から7年。ベストな結果ではなかったかもしれないが、インターネットリサーチという新たな市場を創っていくことに幾ばくかでも貢献できたという自負も達成感もあり、充実した時間だった。