以下は、元大学院生の新妻さんに送信したメールである。新妻さんは、いわき市にある温泉旅館の娘さん。卒業プロジェクトが、「B&Bコンセプト」の農業体験ができる宿泊施設の運営だった。森のテラスに簡易宿泊施設が必要と思い、電話のあとでメールを入れてみた。
2012年7月8日(PM17:47、大館能代空港から)
新妻さん。こんばんは。
昨日は蛍を見るために、デッキで闇鍋を敢行しました(笑)。片付けに残ったスタッフ4人と暗闇の中での夕食。今日は、テラスの椅子に腰掛けて半日、森と庭を眺めていました。午後からは通り雨。空気が澄んで爽やかです。
片岡マネージャー(72歳、元鷹巣役場職員)と「森のテラス」の管理の話(約1時間ほど)。朝は、秋田内陸鉄道の電車と温泉(打当)で一日を過ごしました。戸沢から桂瀬まで12駅、1時間の電車の旅。
学生達はここ(秋田森のテラス)に夏合宿に来たがらなかったから、大学院生と花業界のひとたちに声をかけて、9月に合宿しようかと思ってます。ここのビジネスモデルを考える二日間にしたく。
自由気ままに、生きてますね。
大館能代空港から。帰ります。 小川(メールのタイトル:「わたしここにお墓と別荘を)
<解説>
片岡さんは、60歳で役場を退職している。実家が農業を営んでいたので、退職後は、森のテラスの隣の敷地で農業を始めることになった。主として稲作である。農業経験12年なので、ご本人は、「自分は農業初心者です!」と笑う。
秋田森のテラスは、ふだんは片岡さんを筆頭に6人で運営されている。名前を聞き忘れたが、もうひとりの男性の職業は、元きこり(マタギの末裔)である。片岡さんと森林の作業を担当している。
片岡さんによると、冬場に男性ふたりが林に入って、切りだしたナラの樹でマキを作っている。なかなか良い木質らしく、将来は、ここで炭焼きをやりたいと思っている。
シイやナラの良木がたくさんとれるから、シイタケも作れるはず。72歳の農業初心者は、ここでのしごとが楽しくてしようがないらしい。自然の中で、農作業の監督と森の仕事。農薬を一切使用していない。自然農である。
一緒に働いている女性たち4人は、ダムの移住組である。
十数年前に、森吉ダムの建設で自宅が水没して、住む場所を失った数十軒がこの場所(羽立地区)に移ってきた。彼女たちの仕事は、庭の手入れと農作業である。今年から、田圃が7反歩(0.7ha)に広がっている。
午後1時ごろ、テラスの椅子に腰かけてうたたね寝をしていた時間に、通り雨が来た。天気予報では、一日曇りだったはずなのだが。それでも、風の様子から、わたしは雨の到来を予感していた。山の天気だから、それほど長い時間、雨は続かない。
夏の午後の雨。雨粒も冷たくはないから、おばさんたちは、通り雨の中でも、ダリヤの草取りをしている。年のころは、60~70歳代。みなさん、人生の大先輩である。
カラフルな日よけのためのすげ傘は、手作りである。市販のビニール傘や竹を細工して、思い思いに工夫してあつらえたものだ。ひとりひとり、傘カバーの柄がちがっている。
森のテラスの施設は、「蔵」(作業小屋兼レストラン)といい、木道をつないだ先にある「デッキ」といい、手作り感にあふれている。森や林や水辺の景色も自然ならば、ダリヤの庭や野菜畑、作業小屋や木のトイレまでもが、自然そのものに見えるのだ。人間の手が加わっている人工物のはずなのにである。
どうしてなのかと考えてみた。森のテラスのオーナー、山田茂雄さんの考え方(魂)によるものだろう。前日(8日)、樽岱山の稜線まで、母親を迎えに来た弟と登ってみた。30分して「森のブランコ」が見つけられず、道に迷って危うく遭難しそうになった。
雄太郎さんに救助してもらったのだが、頂上までの道には簡易な標識しかついていない。わたしたちが道に迷ってしまったのは、木の枝や草を取り払っていないからなのだ。
片岡さんいわく、「(茂雄さんが、山の道も)なるべく自然のままにしておきたいから、あえて遊歩道のようには、道をつくらない(整備しない)ようにしている」。
なるほど、納得ではある。おばさんたちも、ダリヤ畑の雑草は手で取っていた。農薬も機械も使わない、完全な自然農法である。
蛍の夕べで、二晩、近所の子供たちが蛍を見に来ていた。木道のデッキから見るのだが、子供たちは靴を脱いで裸足でデッキの上を走っていた。表面に防腐剤を塗っていないから、まったく安全なのだ。
その分、デッキや木道の杉板は、早めに腐っていく。早期の補修が必要になる。それも、自然を守るコストに含まれている。