法政大学に就職してから、経営学部に33年間勤務した。来年度(4月)からは、専門職大学院の専任教員として、イノベーションマネジメント研究科に移籍する。そのため、本日から実施される学部入試では、最後の試験監督を担当することになる。
昭和51年からだから、何人の受験生に、入学試験の問題用紙を配布したことになるのだろうか? 試験監督に登録しているひとは、大学の教員と職員だけではない。大学院生や、ときには主婦のかたやタクシーの運転手さんがいたこともある(わたしの記憶にまちがいがなければではあるが、、)。
市ヶ谷キャンパスにある富士見校舎の教職員食堂(試験本部)に集合するのは、午前9時半。遅れてくる人や病気で欠席の監督者が出る。なので、複数の補助員を準備している。
わたしも補助のプールにまわったことがある。この場合は、休みのひとが出ると「出撃」になる。ちょっとしたギャンブルである。風を引いて休む監督者も居る。そういえば、かつては、「試験日を忘れていた」という猛者がいた。
そのころから、三々五々に受験生が大学の正門にやってくる。わたしたちは、出席登校をチェックしてもらい、試験監督のリボンを受け取る。試験本部だと、数十人もの監督者が教職員食堂に居並ぶことになる。壮観である。
一時間目の英語は、10時半に試験が始まる。監督者は、開始の20分ほど前には教室に入って、試験会場をチェックする。暖房が効きすぎていたり、逆に寒すぎないように、神経質になっているだろう若い受験生たちに気を配る。昼から(13時10分)は、国語と選択問題である。4時ごろには全てが終わる。
思い出すのは、手採点の頃である。いまでは、基本科目はすべてマークシート式になったが、わたしが就職した80年当時は、すべて手採点の時代であった。漢字の書き取りや数学の回答だけではなく、すべてが手採点である。図書館(80年館)の閲覧室で、各学部の先生たちが、「解答用紙の束」とにらめっこをしていた。100枚ずつ、どでかいホッチキスで答案用紙はまとめてある。この束をひとしめずつ「解いていく」のである。
英語や歴史の先生などは、何日間も採点日が続く。そのうち、しだいに先生たちは、採点に飽きて来る。気分転換に雑談がはじまる。
法政大学に就職してから、さまざまな学部の先生たちと知り合った。それは、主として、入学試験の採点を通してであった。大学のシステムもしだいに変わりつつある。自動化すると、人間的な接触がなくなってしまう。それはちとさみしいことではある。
そろそろ自宅を出て、第一日目の「全国入試」の監督に出る。今年の入試監督は9日までになる。4回分を担当する。センター入試の試験監督をやらなかった分、いつもより担当回数が2回ほど多い。最後は、いつもながら感慨が深い。