無名のころの石田作品を何冊か読んでいた。10年ほど前のことだ。当時は高校生だった長男が、はじめのころから石田のファンだった。子達と一緒にリビングで、そのころはいつも数冊、石田や白石や村上の文庫本や、ちょっとは売れていた「せかちゅう」の単行本などが、そこここにちらかっていた。いつも整理整頓にうるさいわたしだが、こと本については、ちらかろうがどうしようが無頓着である。
40代のはじめは、しごともたいしてタイトではなかった。企業との共同研究やコンサルが年1~2本、社会人の大学院教育がはじまったばかりであった。わりにひまだったので、リビングにあったクリーム色の弾力のある無印のソファーにねっころがって、そのへんに転がっている「文学作品」を拾って読んでいた。
読後感をリビングで交わすことを、娘やかみさんはおおいにいやがった。テレビ番組についての評価でも、たがいに論陣を張ることを、なぜあれほどいやがったのか不思議である。わたしが、あれこれうるさかったからだろう。
おねえちゃんの知海が、漫画・コミックからなかなか外に出られなかったのに、ふたりの息子たちは、そのころからどんどこ「通俗小説」になけなしの金をつぎ込んでいた。中学・高校時代に、あれほど活字から遠い男の子ふたりがである。男たち3人は、それなりに貸し借りした本について、コメントを交わすことはあった。男のほうが無邪気だからかもしれない。
自作のドキュメンタリー「小川町物語」の執筆で、連載第一回から強烈なスランプにおそわれている。ものを書くことで、これほどピンチになったことは数年間、経験した記憶がない。半年のディープな取材が、まったく自信にもたよりにもなっていない。自分の筆の動きも、登場人物のストーリー展開もおもわしくない。そんなわけで、他人の小説をのぞいてみようと思ったのである。
この春からたくさんの小説本をかかえて、長男が白井の自宅に帰ってきている。わたしの本棚はいっぱいなので、自分の部屋にあらたにイケアから書棚を多量にかいこむらしい。渋谷でシェフをしているので、かなり忙しそうだ。本棚の組み立てがおわるのはいつのことか?
友人の結婚式に参列しに行くので、どのスーツを羽織るかでそわそわしている由に、気晴らしに図書推薦を依頼してみた。夏になってもリビングから消えない「コタツ」のうえに、長男は石田作品を数冊抱えてきて、「ほいよ!」と置いていった。ひさしぶりに直木賞作家の小説などを読んでみることにした。
ひらがなが多いことにびっくり。全体にページが白いのである。かんたんな言葉なら、漢字表記はさけてある。ほとんどが、ひらがなでの表記だ。そうか、見てくれを大切にするなら、なるべくならふんわりとページを作るべきなのだ。いちおうは、なっとくである。いまこうして書いている表記は、いつもの自分とはちがって、空間がのっぺりしているはずである。よみやすいだろうか?やりすぎかも。
最後に、作品「夜の桃」について、ちょっとだけコメントする。前半150ページで、後半のあらあらの筋書きは読めてしまう。だから、結末について、読者のきもちに違和感はおきないのだろう。予定調和のなかで、ストーリーはすすんでいく。最後には、適度な感覚で落ちている。
たぶん、いまこのわたしの文章をよんでいるかたは、石田作品など手にとることはないだろう。「夜の桃」は、時間に余裕があるひとが、寝酒の代わりに手にとってよい読み物である。それ以上でも、それ以外でもない。う~に、まあ、「とがき」の書き方はまあ参考にはなったかな。