昨日の夕刻5時に、洞戸村に無事到着しました。前日までは、私立大学連盟主催の「FD研修会」で浜松グランドホテルに2泊3日拘留されていました。3時間半のドライブの後、「観光やな」と「おとり鮎」の看板を目印に、迷いながらもどうにか洞戸村に到達できました。
洞戸村は人口約2千3百人。岐阜県の北西部にある過疎の村です。かつて、美濃紙と呼ばれる和紙の産地で、桑の栽培と養蚕で栄えていました。換金作物の集散地だった大正時代は、いまの倍の人口があったそうです。いまは、キウイフルーツとおいしい水の産地に変わっています。
来年4月に洞戸村は関市に編入されることが決まっています。残念なことに、素敵な「洞戸村」という地名がなくなります。
洞戸村は、東海北陸自動車道の美濃加茂インターチェンジを降りてから車で約20分ほどのところにあります。名前がそう想像させる通りに、村は杉と檜に覆われて緑に恵まれた場所です。ただし、標高はそれほど高くありません(100メートル?)。今朝方、洞戸村内を走ってみたのですが、案外と湿気があって気温が高いのには参りました。日本のスイスと呼ばれている板取川上流にある温泉地は、それに比べて結構涼しい感じがしました。
この村に一ヶ月の長逗留を決め、村役場裏の2DKのアパートを借りてもらいました。滞在理由については、いずれ明らかにします。昨日は、岐阜県森林組合連合会(「高賀の森水」の製造所)の事務所を訪問し、久しぶりで中村隆春さんと再会しました。アパートの鍵を手渡されて、雑貨屋さん(コンビニ)や飲食店(レストラン)、スーパーの場所の説明を受け、洞戸村での生活が始まったことを皆さんにご報告します。
とても不安なスタートです。というのは、抱えて来た課題がそれほど差し迫ったモノではないからです。いつでも良い宿題ですので、それだからこそ時間管理と自己管理が問われます。仕事のプレッシャーから、ともかく逃げてきたというのが本音です。ストレスとアルコールで身体もだいぶんとガタガタになっています。洞戸の生活は、心身の修復作業もかねています。
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今朝はさっそく、地元洞戸村の名士、桑原製材(株)代表取締役・桑原和男さん(法政大学経営学部昭和42年卒業)と朝6時に村役場の前で待ち合わせしました。桑原さんは、地元のランナーズクラブの代表者で、岐阜県体育協会のメンバーです。高橋尚子がシドニーオリンピック・女子マラソンで優勝した年、岐阜県森林組合連合会がボトリングしている「高賀の森水」を千葉県佐倉市にある積水化学の合宿所に贈ることに貢献した方です。
ご存じ方もいらっしゃると思いますが、高橋がベルリンマラソンで当時の世界最高記録を打ち立てたとき、走行中に飲んでいたスペシャルドリンクは洞戸産の森水でした。高橋がレースを走るとき、10キロおきくらいにボトル入りの”冷却水”を内股にかけることに気がついている方は少ないと思います。あの水が「高賀の森水」です。後にこの水がブレークするきっかけになりました。
毎年11月の第4日曜日(今年は11月23日)に「洞戸キウイマラソン」が開かれています。全国のマラソン大会を細かくチェックしているので、洞戸で10Kと5Kのレースに毎年約2千人が参加していることを知っていました。今朝は、桑原コーチに先導されて一緒に10キロコースを走りました。タイムは52分17秒でした。
桑原さんはふだん、10キロレースを40分くらいで走るそうです。わたしのベストは、43分43秒です。それも30歳の時のものですから、本当はわたしなど追いついていけないくらいの走力をお持ちなはずです。わたしの体力が許せばのことですが、明日は洞戸走友会のメンバーにくっついて、洞戸から岐阜まで18キロを走りたいと思っています。毎週金曜日に、洞戸から走るのが日課だそうです。遅れたランナーはマイクロバスに拾われるのだそうです。一キロ5分のペースだそうですから、理屈の上ではわたしも走れるはずです。高富の中華料理屋さんが終点だそうです。さて、明日はどなりますことか。
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村の人たちはとても親切です。そのことから、33年前を思い出しました。地下鉄丸ノ内線の東高円寺での生活でした。18歳で秋田から上京したとき、新生活を始めるに当たって、そういえば、洗剤や洗濯用のタライや洗濯ばさみを買き込んだことを思い出しました。何も生活の基盤のないところから始めるのは不安でしたが、何となく当時は先にはとても明るい希望がありました。なぜだったのでしょうか?
村にはコンビニもどきの雑貨屋さんが一軒あります。そこには、大手コンビニでは絶対に置いていない商品が揃います。わたしが奥さんに「やかんあります?」とたずねると、旦那さんが「やかんはないけど、アルミ鍋ならあるよ。はい」と差し出してくれます。コーヒーをドリップするためだったのです。だから、インスタントラーメンも出来そうな「手鍋」で充分です。せっかくのおいしい水のそばにいるのに、本格的なコーヒーはしばらくおあずけのようです。
中村さんに同席して頂き、洞戸村の武藤末彦村長さん、武藤好美総務課長さんから、「高賀の森水」ができるまで、ほぼ10年間の話をざっと伺いました。週末にかけては、船戸行雄元県会議長さんの生涯について、親族の方達にインタビューを予定しています。