「チャイナ・フリー」(China free)

 中国バッシングと思われる記事が、世界中のマスメディアをにぎわせている。


例えば、Business Week(2007年7月23日号)のスペシャルレポート(Broken China;壊れかけた中国)には、”Can China Be Fixed?” (中国政府は現状の問題点を解決できるのか?)と”An Importer’s Worst Nightmare”(ある輸入業者の悪夢:中国製タイヤを販売する米メーカーの話)というふたつの記事が掲載されている。
どちらも中国製品の品質(安全)と信頼性(トレーサビリティー)を問う記事である。ダンボール餃子事件が最近起きたばかりである。製品や原材料に中国産が使われていないことを、最近のはやり言葉では「チャイナ・フリー」と呼ぶらしい。
 こうした事件や中国製品に対する揶揄の背後にあるのは、中国政府や地方官僚の腐敗であり、社会経済システムとしての「官僚資本主義」の継続性に対する懸念である。”Can China Be Fixed?”のエッセンスをまとめてみる。米国知識人の中国経済に対する評価が本音で述べられている。
 中国がアジアの経済大国・日本を凌駕し、世界の超大国になるためのハードルとして、つぎの3つの問題点が指摘されている。ひとつ目は、環境問題に対する対処の仕方である。二つ目は、投機的な株式市場のコントロール。三番目が、企業行動の監視システムである。3つとも、現在の中国官僚システムでは上手に制御できていない。将来も安定制御できるかどうかは危うい、と米国ジャーナリストは考えている。
 中国の高級官僚たちが目標設定して業績評価するときには、経済成長率(年9~10%)を達成することが第一義的と考えられている。その政策的な帰結が、環境汚染であり、経済の腐敗である。また、野放図な企業経営の姿勢である。この見解は正しいように思う。企業経営や政府の経済活動を動かすインセンティブに、ある種の社会正義(公平性)や成長率以外の評価尺度(なんだろうか?)がはいらないと、いずれ富めるものだけに所得が集中して不公平感が助長される。成長率が鈍化したとき、それはいずれかならずやってくるので、そのときに残されるものは不平不満である。
 多少強引に経済システムに手を加えてでも、経済システムが崩壊する前に早めに手を打つべきである、というのが特集の論旨である。中国の生産力と消費市場の大きさが、世界中のMNC(多国籍企業)にとってそれが魅力的であることは言うまでもない。しかし、基礎技術の研究開発力について、中国はいまのところ、ほとんど世界的には何の貢献もしていない。その点で言えば、かつて30年前、高度成長期に日本が通ってきた道筋とは方向がやや違っている。日本も一時的に成長がすべてを癒してはきたが、成長至上主義によって失われたものも多かった。
 欧米や日本は(台湾と韓国はまだ途上であるらしい)、資本主義の過酷さを投票制度によって補完してきた。昨日の参院選がどのような結論をもたらそうとも、投票による選挙制度は公平性を一定程度は保証する。経済システムが失敗しようが、最終的には、人民の自己責任に任されている。しかし、いまの中国にはそれがない。どのように、このジレンマを克服するつもりなのだろうか? かの国に、聡明な官僚はいるらしいが。