自分を変えられる能力: 3年ぶりの柳井正

 当初の事業目的を達成した後で、次のステップに進むためのごく小さな壁が乗り越えられないでいる経営者は少なくない。彼らが共通して抱えている問題は、「自己を肯定的に否定する能力」を失ってしまうことである。


先週(1月7日)、3年ぶりに(株)ファーストリテイリングの柳井正会長にお会いした。場所は、渋谷のマークシティウエスト13階にある東京本部。渋谷駅に到着したのが面会予定の30分前、午後4時を少し回っていた。
時間に余裕があったので、伝言や連絡などでいつもお世話になっている秘書席の武藤さんに、「青山フラワーマーケット」(東横店)で花束を買って届けることにした。プレゼントしたのは、チューリップと白いスプレイマムを組み合わせたブーケであった。
柳井会長と久しぶりにお会いして、うれしかったことが二つあった。手紙やメールではときどきやりとりがあったし、直属の部下の方たち(例えば、エフアールフーズの柚木社長)とは、クラス討議や調査取材などを通してしばしばお会いする機会があった。ところが、ご本人にお会いするのは、「チェーンストア・エイジ」の連載取材のために、99年の暮れ、クリスマスイブに山口の本社を訪問して以来であった。3年ぶりのことで、ちょっと緊張していた。
 うれしかった第一の理由は、柳井会長がわたしの訪問を待ってくれていたことが、ご本人の顔を見てすぐにわかったことである。社長時代の柳井さんからは想像がつかないほど柔らかな対応であった。人間が変わったのでは?と思うほど、ニコニコ顔で迎えてくれた(参考までに、当時の柳井さんの印象を伝えるために、本HPの「リサーチ&レポート欄」にユニクロ・ブームが始まる直前に書いた原稿を再掲する)。
 2ヶ月前に、上海のユニクロ店舗観察記録(本HP既報)をメール送信してあったからだろうか?わたしの提案に対する柳井会長本人の感想が聞きたかった。秘書の武藤さんには、新しく連載が始まることになる「中国への日本ブランド移転物語」のためということで、柳井会長へのインタビューを申し込んであった。
 2番目にうれしかったのは、わたしの意見に対して、柳井さんが途中からノートを出してメモを取り始めたことである。取材される側のトップ経営者が、途中からメモを取りはじめるという場面には出会ったことない。その光景にとても驚いたわけである。(原稿を中断)
 柳井さんが筆記をはじめたのは、中国におけるユニクロの事業展開について、わたしが送付済みの資料を補足しながら意見を述べ始めた瞬間であった。その動作は、フラワーショップの店舗展開の説明を終えるまで続いていた。花店を展開するアイデアは、FRフーズの柚木社長が野菜の販売事業を始める前に、新規事業の候補として私の方から提案していたものであった。今回も、「たとえば、ユニクロの店舗と同じ立地にフラワーショップを併設したほうが、現在のユニクロの事業形態に適合しているのでは?」という提言をしてみた。朝令暮改を悪としない、即断即決の人であるから、また、プライベートな理由から柳井さん自身が花き産業とは無縁ではないから、近々、ファーストリテイリングが花店を展開することはあり得ない話ではない。
 約80分間のインタビューを終えての印象である。2歳年上で大きな成功を収めている経営者に対して、少々生意気な言い方ではあるが、「この人はまだ飛躍する余地がある」という感想である。それは、わたしのような学者の意見に、率直にきちんと対応しようとする柔らかな心の在りようである。
 短期間で成功を収めた経営者にありがちなのは、たまたま運が良かったから達成できたかもしれない成果に自己陶酔してしまうことである。自己の能力と業績を相対化できなくなると、苦言を呈する側近の進言が疎ましくなる。耳障りのよいことしか言わない側近に囲まれているうちに、自分がいつしか「裸の王様」になっていることに気がつかなくなる。
 柳井さんは、その後の成功にも関わらず、この点に関しては3年前とまったくスタンスが変わっていなかった。相変わらずクールに自己を分析している(マスコミにはときどき誤解されてしまうようだが、あれは「地」である)。口癖のように言うのは、「自分は商人には向いていなかった。それでもここまで来ることができた。だから、若い人を育てて大きな仕事に挑戦するチャンスを与えたい」
 同じ内容のことを言いながら、しかし、3年前のクリスマスイブと明らかに違っている点があった。気づいたのは、発話のトーン&マナーが、わたしたち教師と似てきているところだった。昔の柳井さんの物言いには、どこかとげとげしいところがあった。いまは、強いことにかわりはないが、言葉のどこかに優しい響きがある。
 原宿に出店してからのジェットコースターのような業績のアップ・ダウン。無知で無責任なマスコミからの毀誉褒貶。最高経営者として過ごした孤独な3年。その後で会長職に退いて、いまは悟りに似た境地に到達したのだろうか? ファーストリテイリングの会長になった柳井正が、いまだ変身する力を保持しつづけていることをかいま見ることができた。