2022年を振り返る:自分が所属する公式的な組織がなくなった年

 2022年は、自分が所属する組織が無くなった年だった。マラソンのエントリーでは、必ず緊急時の連絡先と所属を書くことになっている。大学を定年退職するとき、名誉教授の称号をいただいた。2022年中は、所属欄に「法政大学」と書いてきた。しかし、11月1日からは「東京消防庁」の団員になった。

 

 そんなわけで、明日の元旦からは、所属欄に「葛飾区本田消防団」と書くことにしたい。

 法政大学(教員)より、本田署防団(消防団員)の所属のほうが、足が速そうに見えるだろう。ただし、いまのところ、本田消防団に駅伝のチーム(クラブ)はない。

 冗談はさておくとして、2022年は、波乱の一年だった。移行期の静かな年になるはずが、振り返ってみると、イベントがたくさんあった。

 

1 3年ぶりで東京マラソン2021を完走した。ただし、ゴールタイムは、6時間を大幅に超過。27KM過ぎからは、関門時間を気にしながら、皇居前広場まで歩いてにゴールイン。2021年の足腰のケガか治り切れず、最後は完歩だった。

2 10月に、第5回かつしか文学賞に応募した。応募作品のタイトルは、「わんすけ先生、消防団員になる」で、葛飾区高砂に移住してからの家族との4年間を描いた私小説である。3月8日に、最優秀賞(賞金100万円)の発表がある。

3 去年12月から「富山わさびプロジェクト」がスタートしている。SKフロンティア(澁谷社長)の方式=温室栽培で、富山でわさびを栽培してくれる生産者を探す一年だった。ようやく、黒部市の事業者が手を上げてくれそうになっている。

 

4 複数の組織から、新規事業研修の仕事(連続セミナー)をいただいている。インテージ(東京都)、サクシード(栃木県)、JA農協全農青果センター(埼玉県)などからである。2022年は、仕込みの年になった。

5 (株)アールビーズの社外取締役の仕事が、突然中断することになった。同社が(株)アシックスに売却されたためである。年初までは、IPO(株式公開)を目指していたが、急展開で事業を売却することになった。

6 出版は、『青いりんごの物語:ロック・フィールドのサラダ革命』PHP研究所。49冊目の著書になる。50冊目は、『新版:お花屋さんの基本のき』誠文堂新光社。来月10日に、「ホームデポ」の翻訳本(米国のNO.1ホームセンター)が刊行になる。

 

7 個人経営の会社名を、「有限会社オフィスわん」に社名変更した。4月1日からは、東京神田小川町に、「オフィス(わん)」を構えた。「Barブリッツ」(岩崎秀樹社長)の森田ママが、「ギャラリー」と呼ばれる部屋のお守りをしてくれている。森田さんは、美人のママさんだ。

 

 個人的には、高砂と神戸の孫(男子)が揃って小学生になったことが、もっともうれしいことだった。3年ぶりに東京で、正月を一緒に迎えようとしている。

 ただし、孫娘の紗楽(さら)が、高砂到着の翌日(12月27日)からコロナに感染してしまった。昨日からは、かみさんが熱を出している。わたしも万全ではない。熱はなさそうだが、なんとなく体がだるい感じはする。

 楽しいはずの3家族での年越しは、戦場の様相を呈している。さきほど、寿司ダイニングすすむさんへ、年越しのお刺身を取りに行ったが、1階(うちらと神戸の長男家族)と3階(次男家族)は、合同で食事をとることが叶わない。元旦も別々のままで過ごすことになりそうだ。

 とんだ、コロナ様様である。予想はしていたが、実際になんともいえない、年の暮れになってしまった。京都のともみは、「なにかあるといけないから」と京都から動かなかったが、どうやらその判断は正解だったようだ。すばらしい!