本日は、終戦記念日(1945年8月15日) → 国際社会で「したたかに生き延びる」という選択肢

 77年前の今日、日本が連合軍に無条件降伏して戦争が終わった。広島と長崎に原子爆弾が、東京や大阪はB29から焼夷弾が投下されて、日本は焼け野原になった。しかし、この戦争からの教訓を、わたしたち忘れてしまいそうになる。民族の記憶が風化しやすいことは、大震災の教訓が東日本大震災で活きなかったことと似ている。

 

 元外務省分析官の佐藤優氏が、『プレジデントオンライン』(8月14日)で興味深いコメントを述べている。近代の戦争は、「価値の体系」と「利益の体系」と「力の体系」の3つのバランスで成り立っている。そうしたバランスの考え方を採ることなく、80年前の日本は、「価値の体系」(=錦の御旗)が勝ちすぎて太平洋戦争に突入してしまった。

 軍の上層部や政治家に、もちろん重大な責任があったことはまちがいない。しかし、根本にあるのは、この国の民が持っている価値観に危うさが潜んでいたことだろう。翻って77年後のいま、米中の対立が台湾を巡って微妙な状況にある。もし両国間の対立が現実のものとなったとき、教訓としての「価値と利益と力のバランス」を、日本は冷静に分析することができるだろうか?

 ロシアのウクライナ進攻は、わが国民にとっては、いまだ対岸の火事である。テレビ映像に映る、戦争の悲惨さを語ることは容易である。しかし、台湾情勢については、すでに対岸の火事とは言えない。日本国として、戦争と平和のプロセスに対して充分な準備ができているだろうか?

 政治(=価値)に対して、経済(=利益)と軍事(=力)のバランスよく考える必要がある。日本人は、もっと冷静に利益と力の重みをバランスを分析すべきだと思う。価値の体系に与しすぎると、国際的にうまく立ち回ることができなくなる。その備えが必要だと考える。

 

 ウクライナの現実が、わたしには体感的に理解できる。なぜなら、太平洋戦争でわが肉親たちの中から、二人の犠牲者が出ているからだ。正確に言えば、大陸から運よく生還できた珍田武蔵(伯父)も、そのうちの一人だ。3人の伯父(母の実兄)のうち、ふたりがフィリッピンと南方戦線で命を落としている。

 実父の小川久も、弘前の連隊から出陣するとき、あやうく硫黄島で玉砕する船に乗せられそうになった。運よく生き延びて、八丈島で終戦を迎えている。酔っぱらうといつも、沖合からの艦砲射撃と、ブラマン戦闘機に追いまわされた自分たちを、面白おかしく語っていた。

 いずれせよ、終戦記念日のいまも、世界大戦に至るプロセスの真っただ中に、わたしたちはいる。危機は目の前に迫っているが、それを回避する解は、経済と価値のバランスにあるように思う。緊密な軍事(力)と経済(利益)のバランスが、紛争を避ける唯一の道だろう。その答えは、価値(政治)の外にある。

 

 ふたたび、佐藤氏の指摘に戻る。欧米諸国の多くは、ロシアから撤退を表明している。しかし、ロシアのウクライナ進攻から半年になるが、ロシアから撤退した日本企業は、全体の3~5%程度である。このことは何を意味しているのか?

 中国の台湾進攻で、日本企業はどれほど即時に中国から撤退することになるのか? また、それが現実的に可能なのかどうか? 感情論(価値体系)ではなく、冷静に軍事・経済面から分析する必要があるだろう。わたし自身は、日本が中国の属国に成り下がることは、できれば避けたいと思うけれど。

 それでも、国際社会で、「したたかに生き延びる」という選択肢もあるのではないのか? たしかに、それは日本人がもっとも苦手とする生き方ではある。しかも、メディア(つまりは、民衆におもねる日本人のセンチメント)が最も称賛しない選択肢のひとつである。