二番目のファイルは、「Ⅰ 理論編」につづいて、「文章の作法:美しい文章の書き方(Ⅱ 応用編)」になります。具体的な事例として、ふたつのファイルが必要です。参考資料は、もう一つのブログとして別途にアップすることにします。本日(2月3日)、応用編の後に<付録>を付け加えました。
Ⅱ 応用編
6 良い文章を書くためのテクニック
(1) 読みやすい文章の条件
読みやすい文章はシンプルです。また、テンポがよいので、流れるように頭の中に入ってきます。読者の脳に心地よく響いて共鳴します。それはなぜなのでしょうか?読みやすい文章には、6つの条件が備わっています。
① 文章が簡潔で短いこと、そして
② ひとつの文に、ひとつのことしか書かれていないこと、
③ 使用する単語や表現が重複していないこと、
④ 一般的な記述を具体的な表現に変えること、
⑤ 事柄の対比(コントラスト)が明確であること、
⑥ 並列する事柄(章・節・見出しなど)は表現を揃えること。
(2) 事例による解説
新田さんのオリジナル原稿(オリジナル)と、わたしの編集済みテキスト(編集済み)を比較してみます。上記の5つの条件を説明するためです。編集済みの文章を、オリジナルに後置してみます。イントロダクションから始めてみましょう。
編集のためのポイントは、①カット(削除)、②セパレーション(分離)、③トリミング(剪定)、④アディション(付加)、⑤リプレイス(置き換え)、⑥コンビネーション(結合)の6つの機能を使うことです。では、新田さんの第一段落を例示してみます。
<第1節、第1段落:オリジナル>
この本の主題であるメソッドは「今ある野菜を上手に活かしたい」という想いが原点です。私は野菜を見ると、「この野菜をどうやって食べたら美味しくなるか」ということを反射的にあれこれ妄想してしまいます。自分が食べたいものや、作りたいもののパーツとして野菜を考えるのではなく、あくまで野菜ファーストで考えています。それは野菜の多様性や美味しさを多くの人に知ってもらいたいからで、料理や商品というツールを通じて、野菜に興味関心をもってもらいたいという野菜への想いの表れかもしれません。そこが一般的な料理の仕事をしている人達と違う点かもしれません。
→ <編集済みの文章>
「今ある野菜を上手に活かしたい」
この想いが、この本のテーマである「野菜が主役の料理法」(Misako’sメソッド)の原点です。わたしは野菜を見ると、「この野菜をどうやって食べたら美味しくなるか」ということを反射的にあれこれ妄想してしまいます。自分が食べたいものや作りたい料理の「パーツ」として野菜を考えるのではなく、あくまで野菜を中心に、つまりは「野菜ファースト」で料理を考えています。
<解説>
7行から5行に文章が短くなっています。読点(。)が5つあったのが、3つになりました。どの部分がカット(機能①)されたのかがわかりますか?(*3.3.3の法則を思い出してください!)。また、どの部分が結合(機能⑥)されているのかわかりますか?
(作業#1)
最初の文から「今ある野菜を上手に活かしたい」の部分を抜き出して、「見出し」にしてしまいました。重複しないよう、続く文からは「見出しの部分」をカットしてあります。
(作業#2)
「それは野菜の多様性や美味しさを ~ 」の文章はすべてカットしてあります。前半と後半は同じことを言っているからです。
<第1節、第2段落:オリジナル>
私が食や野菜に関わる仕事を初めてから約20年経ちました。単に野菜を食べるのが好きというだけでは、ここまで長く関わってこなかったと思います。野菜の面白さや奥深さに惹きつけられて、ここまできました。なぜこんなにまで魅了されたのかというと、野菜は、人間と同じように、「世界にひとつだけのオンリーワン」の生き物だからです。そして野菜との出会いは「一期一会」だと思っています。
→ <編集済みの文章>
食に関わる仕事を初めてから約20年経ちました。単に野菜を食べるのが好きというだけでは、ここまで長く野菜に関わってこなかったと思います。野菜の面白さや奥深さに惹きつけられて、ここまできました。なぜこんなにまで野菜に魅了されたのかというと、野菜は、人間と同じように、「世界にひとつだけのオンリーワン」の生き物だからです。そして野菜との出会いは「一期一会」だと思っているからです。
<解説>
第2段落では、大きく手を入れた部分はありません。しかし、文章がシンプルになっています。細かなトリミングの作業が施されているからです。
(作業#3)
最初の文に登場する単語の「私」をカットして(機能①)、「野菜」をトリミングしています(機能③)。「私」をカットしたのは、主語の「私」は既知だからです。余計なものを省くと、文章はきれいになります。
(作業#4)
「野菜」をトリミングしたのは、「農と野菜」は並置してはいけないからです。なぜなら、概念として違うレベルのもの(農と野菜)を並置すると、文章に違和感が起こるからです。「&」で結ばれる概念は、かならず水準を揃えましょう。
つぎに第2節に移ります。ここは、起承転結でいえば、「承」に該当します。そのあとの節は、「転」の連続になります。
<第2節、第1段落:オリジナル>
欧米文化
私は1歳からずっと東京都港区白金台で育ちました。シロカネーゼという言葉がありオシャレで高級住宅街というイメージですが、私が小さい頃は商店が立ち並び、魚は魚屋、肉は肉屋、鶏は鶏肉屋、野菜は八百屋で母は買い物をして、私はよくついて言っていました。特に鶏屋さんが好きで、ひき肉を注文するとその場で挽いてくれて、お肉が小さい穴からニョロニョロと出てくる様子や、もも肉を注文すると、みごとな包丁さばきで美しく肉を開く様が印象的で今も焼き付いています。
→ <編集済みの文章>
欧米食文化の洗礼
私は1歳からずっと東京都港区白金台で育ちました。「シロガネーゼ」という言葉があります。白金台はオシャレで高級住宅街というイメージですが、私が小さい頃は商店が立ち並び、魚は魚屋で、肉は肉屋で、鶏は鶏肉屋で、野菜は八百屋で母は買い物をしていました。私は母についてよく買い物に行きました。特に鶏屋さんが大好きで、ひき肉を注文するとその場で挽いてくれて、お肉が小さい穴からニョロニョロと出てくる様子を喜んで見ていました。もも肉を注文すると、店主がみごとな包丁さばきで肉を開く様が今でも目に焼き付いています。
<解説>
第2節の第1段落では、2番目と最後の文は、3つに切り分けて分離しています(機能②)。また、文章の表現を微妙に変えています(機能⑤)。
(作業#5)
「シロカネーゼという言葉があり ~ 私はよくついて言っていました。」は、二つの点で具合がよくありません。長すぎることと、ひとつの長い文に複数のことが書かれています。良い文章の条件①(短く簡潔に)と②(複数のことは書かない)に反しています。改善の結果は、白金台はお洒落、昔は庶民的だった、買い物についていったを分割しました。
(作業#6)
最後の文は、二つに分解しています。直した後の文章は、「特に鶏屋さんが大好きで、ひき肉を注文するとその場で挽いてくれて、お肉が小さい穴からニョロニョロと出てくる様子を喜んで見ていました。もも肉を注文すると、店主がみごとな包丁さばきで肉を開く様が今でも目に焼き付いています。」となっています。
この修正作業には、ドラマチックに場面を表現するために、場面転換がわかるよう「文章を区切る」という原理を応用しています。その場の光景がわかりやすくなります。短い文章を重ねると、経験的にテンポがよくなります。なお、生活の場面が具体的にイメージできるように、言葉を付加する手法(機能(④)を使っています(「店主が」を付加、「好き」に「大」を加えて「大好き」にしてある)。
(作業#7)
この節は、見出しにも手を加えています。オリジナルの原稿では、「欧米文化」でした。これに「食」と「洗礼」という言葉を補って、「欧米食文化の洗礼」としてあります。この見出しのつけ方は、新田さんの序章全体を通して、一貫性を持たせてあります。彼女の人生行路を「動詞」で表現することで、有為転変がより鮮烈にできます。
例えば、各説の見出しは、つぎのように表現を変えてみました。いずれも、トリミング(③剪定)と④アディション(付加)の機能を適用しています。美しい文章を書くための条件(④具体的な表現)を満たすためです。
・欧米文化 → 欧米食文化の洗礼
・牧場のおかみさん → 牧場のおかみさんになる
・食の仕事をしたい → (同じ)
・教える → 野菜料理を教室で教える
・コンサルタントに → コンサルタントに転身する
・畑と食卓を繋ぐ → (この項はカット)
・経営大学院へ → 経営大学院の門をくぐる
・Misako’sメソッドの誕生(新たに加える)
7 おわりに
美しく簡潔な文章を書くコツを挙げれば、切りがありません。文章が上達するためには、とにかくたくさんの文章を書くことです。あなたたちの先輩は、3年生になりたての頃は、2回に1回に「再提出」になっていました。
ところが、隔月で6本の感想文を書き終わるころには、わたしからたくさんのシール(A+、S)をもらえるようになります。皆さんも4年生に進級するころには、まちがいなくわたしから合格の「よい子シール」をもらえるまで成長しているはずです。
<参考資料>
新田美砂子「はじめに:「野菜が主役」の料理法(Misako’s メソッド)が誕生するまで」
オリジナル(新田さん)と編集済み原稿(BY小川先生)
<付録>「書き方のコツ」
文章を書いていて迷ったとき、たとえば、
①なんとなく文体がしっくりこない、
②ピッタリの言葉や表現が出でこない、
③想いや感情が伝わっているかどうか不安、
④説明が論理的にできない。
そんな時は、次のような対処をしてみてください。
1.転置(①の対処法):文章の前後を入れ替えてみる
よく起こるのは、①因果関係(原因→結果)や②時系列(過去、現在、未来)で出来事を記述するのに、しっくりこない場合です。対処法は、「原因→結果」の順ではなく、結論を初めに書いてしまうことです。「結論ファースト」とも言います。後者の場合は、未来や現在の出来事から過去に遡る手法があります。小説や映画でよく使われる「回想」のテクニックを使うことです。
2.置換(②の対処法):置き換える
日本語の便利なところは、漢字、かな、カタカナ、英語(外国語)から言葉を選べることです。たとえば、「物語」を表現するのに、「ストーリー」と英語にしてもよいですが、口語的に、「お話」「語り」と言い換えもできます。また、「単位」を英語で「ユニット」と置き換えることもできますが、「まとまり」「塊」「クラスター」と表現してよい場合もあります。
これは、語彙を豊富にするしかないかもしれませんが。とりあえず、役に立つ本や美しい文章を出来るだけたくさん読みましょう。
3.視点の転換(③の対処法)
読み手に自分の気持ちがうまく伝わらないことがあります。原因は2つあります。
①自分視点に偏りすぎる
書き手が伝えようとする方向が、自分を向きすぎている場合です。相手の気持ちにならないと、この問題は解決しません。プレゼンの時に、パワポのスクリーンばかりか見ている人がいると思います。これと同じ状態です。目線を、読み手(オーディエンス)に定めるべきです。同じことは、文章を書く場合についても言えます。「憑依」という言葉があります。読み手の懐に入り込んで、相手の気持ちになり切ることを指します。
②文章がまどろっこしい
書きたいことが整理されていないからです。あるいは、たくさんのことを伝えようとするからです。対処法は、シンプルです。ひたすら表現や言葉を削ぎ落とすことです。そのための方法については、本編をご覧ください。美しい文章を書くためには、禁欲と忍耐が必要です。
4.視覚化(④の対処法)
書く以前の問題として、頭の中が整理されず、ごちやごちやしているからです。「マインドマップ」というツールがあります。KJ法に似た手法です。いずれにしても、頭の中に転がっている部品やアイデアを絵にしてみましょう。部品の関連性については、理論編で説明してあります。文の間の3つの関係性で、マップを整理できます。
5.補足
上記の4つ以外に、シンプルで感動的な文章を書くためには、もう一つ大切なポイントがあります。それは、なるべく接続詞を使わないことです。それぞれの文は、書き手の独立した主張になっています。接続詞を省くと、読み手は文と文の関係を自分で処理することになります。なので、全体のまとまりとして、自然な流れが生まれるのです。
筆者が書いたエッセイの実例を挙げてみます。「味噌の請け売り、かつしか小町」というブログです。ほとんど、接続詞を使わず、文を重ねることで文章が構成されています。流れるように文章が読めるはずです。
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【柴又日誌】「#27: 味噌の請け売り、かつしか小町」
(https://kosuke-ogawa.com/?eid=5206#sequel)
小雨が降りしきる土曜日の朝。田沼商店の正面玄関に車を横づけした。気温は8度で、かなり肌寒い。雨が雪に変わりそうな気配だ。京成青砥駅から徒歩7分のところにある酒屋さんに、かみさんと味噌を買いに来ている。店主は田沼キンさん(仮名)で、御年86歳。わが家の朝食に出てくるみそ汁の素は、田沼商店のお味噌だ。
先月まで、田沼商店の存在も、みそ汁の味噌の出どころも知らなかった。そもそもみそ汁はあまり得意なほうではない。子供のころに育った秋田の田舎で、塩っ辛いみそ汁をたらふく飲まされたせいだと思っている。ところが、このごろ朝食のみそ汁を美味しく感じられるようになった。味噌の味が変わったはずはない。加齢のせいで、わたしの味覚に変化が起こったくらいに考えていた。
ある日、わが家の食卓で、田沼商店の閉店話が話題になった。事の始まりは、近所で一人暮らしをしている義理の母が、田沼商店の姉妹から10年ぶりでお味噌を買ったことだった。高砂に引っ越してくるまで、かみさんの実家は、2駅先の京成立石駅から歩いて5分の場所にあった。隣駅の青砥駅近くにある田沼酒店まで、なぜだか母娘で連れだって味噌を買いに来ていたらしい。
かみさんの実家では、青砥の酒屋さんから、量り売りで味噌を買う習慣が50年近く続いていたことになる。それを知ったのは、今日が初めてだった。「わたしたち、田沼商店の味噌で育ったのよ」とかみさんは誇らしげに語っている。たしかに、田沼酒店の味噌は美味しい。
何かのきっかけで、義母は美味しい味噌を売っていた商店のことを思い出したのだろう。ひさしぶりで顔を出した義母のことを、田沼商店の姉妹はよく覚えてくれていた。お互いの知り合いや親せき、ご近所さんの話に花が咲いたにちがいない。旧立石在住の母と娘は、むかしのようにふたたび酒店の常連さんに戻った。
”元かつしか小町”の妹さんの方を、仮に田沼ギンさんと呼ぶことしよう。彼女は姉さんのキンさんより小柄で、御年82歳。ふたりはよく似ていて、どちらも整った顔だちをしている。さぞかし若いころは美人姉妹だったにちがいない。
傘もささずに車から降りたかみさんは、入店するなり一か月分の味噌を注文した。いつものことなので、分量を指示することもなかった。かみさんからの注文を受けたキンさんは、自慢の味噌樽からへらで味噌をていねいに掬って、販売用のポリ袋に移している。一杯、二杯、三杯。その様子をみながら、わたしはキンさんに向かって軽いノリで尋ねてみた。
(後略)