群馬レーシング倶楽部の例会(忘年会)で、熱海まで足を延ばした。男子ランナーの五人が、温泉に宿泊するのは7年ぶりで、田沢湖マラソン以来になる。法政大学の同僚、大久保あかね先生(熱海在住)の案内の申し出のおかげで、はじめての熱海観光ができた。日本に唯一残されている秘宝館、熱海秘宝館を見ることもできた。
以前にブログで紹介した『熱海の軌跡』の著者(市来さん)が運営する「まるや」にも顔を出せた。ご本人はいらっしゃらなかったが、まるやは千客万来。ロビーは宿泊客でごった返していた。
GRC(群馬レーシング倶楽部)のメンバー三人とわたしは、大久保先生から丁寧な熱海ガイドの説明を受けた。いちばん驚いたのは、10年前のシャッター通りが嘘のように賑わっていたこと。とくに来宮神社から中心商店街までは、観光客がぞろぞろ歩いている不思議な光景に出くわした。熱海は山が海に迫っていて、坂の多い町なのにだ。
わたしたちが宿泊したホテル・サンミハシ倶楽部でも、エレベーターや食事処で若い女子たちのグループを何組も見かけた。昔風のバイキング料理を出す、古典的な団体客向けの宿泊所に、あれだけたくさんの若い子を見かけるのは意外だった。
先生の説明によると、熱海の街を復活させるために、二次交通(到着してからの足の確保)をどうするかに頭を痛めたそうだ。坂の多い町だから、観光客が街中を歩くことはないだろうとの想定だった。ところが、その想定は完全に外れてしまった。観光客は、急な坂道をものともせずに歩いていた。
熱海の復活は、商店街の再興と観光資源(来宮神社や梅園、ケーブルカー、秘宝館)の組み合わせによるものだろう。市来さんたちわか者と建物のリニューアルがそれを後押しした。しかし、上手な熱海のPRがなければ、来訪客が増えることはなかっただろう。
「もうひとりの立役者は当時、JTB名古屋に在籍していた木村ともえさんの企画によるものです」(大久保先生)。いま法政大学の経営大学院に在籍している木村さんが、JTB時代に企画した熱海キャンペーンが、熱海復活の導火線になった。あれよあれよという間に、女子旅客が増えたらしい。それは、わたしたちは街中のいたるところで実感させられた。
ダイヤモンド・リテイルメディアの石川社長と千田編集長も、「熱海、また来たいよね」との感想を漏らしていた。わたしは、熱海で開催されるマラソン大会をスマホで検索した。残念ながら、「南熱海マラソン大会」は、11月にすでに開催が終わっていた。参加は来年になりそうだ。
今回の熱海旅行でいちばん感激したのは、熱海の風光明媚さの再発見だった。かつては団体旅行でここに来て、ろくに景色をみることもなかった。ケーブルカーにも乗らず、ホテルでアルコール漬けになっていた。観光の仕方が変わったことも、熱海を再発見できた理由だろう。
また来たいね、熱海。