【短期ブログ連載】 「なぜ地方の小さなかばん屋が、日本一のランドセルメーカーになれたのか?(その2)」

 短期ブログ連載の(その2)を暫定的にアップする。池田屋の静岡本店が、今週新装開店でオープンする。開店準備作業でお忙しそうなので、池田社長の原稿チェックには時間がかかりそうだ。そのため、本日まで書き終えた原稿を、続きをお待ちの皆さんのために早期に暫定公開することにした。

 

「なぜ地方の小さなかばん屋が、日本一のランドセルメーカーになれたのか?(その二)」

 文・小川孔輔(法政大学大学院・教授) *この原稿は暫定版(V1:20181008)です。

 

 <縮小市場の中で、工房系だけは販売が増える>
 その年に生まれる新生児の数が、2016年に戦後はじめて100万人を割り込んだ(97.7万人)。昨年も出生数は減り続けて、新生児の数は94.6万人。合計特殊出生率(女性が一生に産む子供の数=1.43)がやや持ち直しているとはいえ、この先も生まれてくる子供の数が増えるとは思えない。
 1980年代前半の第二次ベビーブームころ、年間で200万本も売れていたランドセルの数がピーク時の半分になる。5年後には100万本を切ることが確実である。「その年に生まれた子供の数=6年後のランドセルの販売個数」なのだから、当然のことである。この先も、需要が回復する見込みはない。
 ところが、少子化の中でも、「工房系」と呼ばれるメーカーのランドセルだけは、販売数を増やし続けてきた。工房系とは、大量生産で安価にランドセルを作っている量産メーカーに対して、手作りで丁寧にランドセルを作っている池田屋のような小規模なメーカーを指す。
 全体のパイが縮小していく中で、着実に需要を伸ばしてきた工房系メーカーは、全国に20社あると言われている。代表的なメーカーは、「土屋鞄」(東京都)、「鞄工房山本」(奈良県)、「中村鞄製作所」(東京都)の3社である。これに、小売出身の「池田屋」(静岡県)と保育用品卸から出た「神田屋」(東京都)が加わりトップ5社を形成する。工房系の強みは、品質とブランド力である。通常のランドセルの3~4倍の値段(5万円から14万円)を支払ってくれるプレミアム市場をつかんできた。
 ちなみに、年間の販売本数は概算で、「当社(池田屋)が約3万本、土屋さんが4万本、山本さんが2万本、神田屋さんが1万本くらいですかね」(池田さん)と推測されている。全体で100万本強だから、工房系の上位5社を足し合わせても、シェアは10%にようやく届くくらいである。

 

 <工房系メーカー、大手の躍進で苦境に陥る>
 工房系が市場を拡大してきたのには、偶然と不思議な巡りあわせがある。というのは、各社ともに、順風満帆に商売を拡大してきたわけではないからである。
 ランドセルの市場に変化が起きたのは、2003年にセイバン(兵庫県)が「天使のはね」を発売して、一大ブームを巻き起こしてからである。同社の開発者が、「重心を上げればランドセルが軽く感じられる。子どもの負担を減らすために肩ベルトを立たせてみたらどうか」。そう考えて軽量のランドセル開発し、「天使のはね」という絶妙なブランド名を当てた。ピーク時には、セイバンの天使のはねが、市場全体の約半分のシェア(65万本/130万本)を握っていたこともある。
 それと前後して、総合スーパーのイオンが「はなまる24(24色のランドセル)」を2001年から売り出した。トップバリュなど、自社仕様のPB商品が出回り始めた時期でもある。価格は約3万円。選べるカラーランドセルを大々的にプロモーションするようになってからは、量販店の各社が春先のランドセル市場を席巻するようになった。
 割安でデザイン性に優れた大手企業が台頭したため、ランドセル専業メーカーの土屋鞄や鞄工房山本は、従来からの販売先を失ってしまった。苦境の中から見出した新しい販路がEC市場だった。

 

 <ネット販売からラン活が始まる>
 ネット販売に活路を求めたことが、小規模メーカーに有利に働いたのは、結果論である。企業規模が小さいので、各社ともに生産量に制約を受ける。ところが、時代の風潮として、カラーバリエーションが何倍にも増えたので、生産ロットがさらに小さくなっていた。
 ランドセルの製造は、基本は見込み生産である。規模の大小にかかわらず、革の素材や金属部品などを仕入れてからまとめて生産する。われわれが「投機型」と呼ぶ生産方式が一般的である。追加生産ができないところに、とくにSNSが普及するようになってからは、ママ友たちの間で口コミがランドセルの販売に影響を与えるようになった。「売り切れ御免」のビジネスモデルが、買い物競争を煽るようになったのである。
 工房系のメーカーがネットでプレミアム商品を販売するようになってから、人気商品が早期に欠品を起こすようになった。以下は、あるネット記事からの引用である。
 「2016年は、人気の老舗ランドセル工房「土屋鞄製造所」が受注を開始した7月1日に、ホームページにアクセスが殺到してサーバがダウンしたり、店舗に長蛇の列ができたこと話題になりました。2017年も週末は大混雑し、整理券を配るなどの対応を行ったようです。ガイドの知人も2016年7月1日、ネットがつながらないため慌てて店舗に駆けつけ、2時間30分並んで長女のランドセルを注文してきたそう。その教訓から、今年の次女のラン活では、5月初旬に店舗に行き、すでに希望のランドセルを注文してきたようです。早いですね!」(https://allabout.co.jp/gm/gc/469678/)。
 ランドセルの情報収集から購買決定に至るまでの行動は、6歳児を持つ母親の間では、いつしか「ラン活」と呼ばれるようになった。
 「それ以前は10月にランドセルが売れはじめて、1、2月ごろまで続くのがふつうのパターンでした。それが、5月に情報収集がはじまり、早ければ7月にはラン活が終わります」(池田さん)。孫のために財布のひもが緩くなる祖父母たちがラン活に巻き込まれると、プレミアム感のあるモデルの値段が高騰するというわけである。
 もちろん量販品の天使のはねやフィットちゃん、イオンのカラーランドセルなどは、いまでも年末から春先まで入手が可能である。ラン活が一般化したことで、欠品で買えなくなっているのは、一部の特殊なブランドだけである。

 

 <池田屋の銀座出店>
 工房系がネット販売に活路を求める遥か昔に、EC市場の将来性に気づいた企業があった。静岡の池田屋である。インターネットが普及し始めた2000年ごろ、池田屋はいち早くランドセルのネット通販を開始していた。静岡県内で三店舗(清水店、静岡店、浜松店)を展開していたころである。
 ネット通販をはじめると面白い現象が起こった。全国の消費者から、購入者へのアンケート調査で、「池田屋のランドセルを実際に体験してから購入したい」という要望が殺到したのである。たとえば、高松に住んでいる女性からは、「転勤族でかつて静岡に住んでいたものです。知り合いのお母さんが、うちの子のランドセルを見て、池田屋の商品がほしいと言っています」というメールが送られてきた。
 池田屋のランドセルの使い勝手の良さが、ネット通販を通して全国に知られるようになったわけである。消費者からそれほどの高い支持が得られているのなら、東京都心に実店舗を構えてみたらどうだろうか?アンケートでも、地方のネット購入がランドセルを直に体験してみたいと言っている。
 池田さんは、思い切って勝負をかけてみることにした。2004年、東京のど真ん中、銀座コアビルの3Fに直営のランドセル専門のショップ店をオープンした。ただし、販売面で一つだけ問題があった。当時はランドセルが売れるのは、10月から3月にかけての約半年間。高い家賃の直営売り場なので、オフシーズンの春夏にかけて別に売る商品を探す必要があった。
 ランドセルの閑散期を埋める商品として、伝統工芸品のカバン「印傳」(本社、山梨県)を扱うようになった。鹿革で漆塗りのカバンである。これで、ランドセルの季節が来るまでの半年をしのぐことができた。銀座店の開店で、池田屋のランドセルの評判は確かなものになり、全国ブランドに躍進した。
 池田屋の銀座店の成功を見て、土屋鞄や鞄工房山本も銀座にショールームを構えるようになった。いまや銀座はラン活のメッカの様相を呈しているが、そのきっかけを作ったのは池田屋の東京進出だったのである。

 

*最終回(その3)に続く。