そんな生き方もあったのか、、、故郷で実家の簡易郵便局を継承したO君のこと

 3日ほど前のこと、自宅の郵便受けに背景がグリーンの可愛いはがきを見つけた。幸せそうな家族三人が写真に収まっている。元ゼミ生のO君からの転居通知で、「転居しました。お近くにお越しの際には、ぜひお立ち寄りください」。”お近く”の住所は、鹿児島県I市。どうみても、簡単に行けそうな場所ではない。

 

 引っ越しの挨拶文の横に、手書きで一言が添えられていた。黒のボールペンで、「実家の簡易郵便局を継ぐことになりました」とある。O君の筆圧が高いのはいつものことだが、今回はしっかりした筆が将来への希望の高さをあらわしている。実家の郵便局の建物と赤いポストの社員が、引っ越しはがきの背景になっている。

 「簡易郵便局」とは、民間に業務委託された郵便局である。全国に約24,000局ある郵便局のうち、約4,000局は地域で業務委託をしている簡易郵便局なのだそうだ。わたしの友人の何人かも、ご実家が簡易郵便局を運営している。たとえば、食品スーパー、ヤオコーの元常務の犬竹さんのご実家など(埼玉県日高市)。

 むかしは地方の名士が郵政のサービス業務を受託していたはずで、O君の実家もそのひとつらしい。ハガキの文面の続きには、「母と経営していく○○○郵便局です」と、郵便局名が書き添えてあった。

 

 O君は、学部小川ゼミの11期生か12期生のはず。卒業してから、すでに20数年が経過している。もしかして30年かも。

 法政に入るまでは2浪していたはずで、ゼミ内では最初から「おじさん」のように振舞っていた(御免!わたしの印象です)。学生なのにすでに立派な社会人の雰囲気があった。卒業後は、大手信用調査会社に就職して企業情報の分析を担当していた。わたしも何度か、企業信用情報の提供でお世話になった。

 年齢は50代前半のはずで、男のお子さんがひとり。「母と経営していく」とあるので、O君の父親が亡くなったのだと推察できる。ここからは想像だが、鹿児島の簡易郵便局を年老いた母親が一人で経営していて、本人は帰郷して手伝うかどうか迷ったにちがいない。

 

 はがきを受け取って最初に感じたのは、3人の家族が寄り添っている写真の明るさだった(母親が一緒に写っていないのが気にはなった。健康状態がちょっと心配)。写真のO君の姿には、どことなくふっ切れた印象があった。きっと決然と物事を決めて、家族とともに帰郷を決めた潔さがそう感じさせるのだろう。

 しっかりと地域に根を張って仕事をする郵便局長さんに、彼はなっていくのだろう。隣に寄り添って立っている奥さんも、幸福そうに見えた。そんな生き方もあるのだね。久々に、すこしほっこりするハガキを見る思いがした。