『法政オンライン(読売オンライン)』に、本日(3月1日)「農産物グローバル調達の終わり:農と食はローカルに回帰する」が掲載されます

 法政オンラインへのアクセスは、http://www.yomiuri.co.jp/adv/hosei/history/index.htmlです。なお、この記事は、12月に書いた3つの論考(食品商業、ダイヤモンドCS、AFP)をまとめたものです。最初の部分を紹介しておきます。詳しくは、直接のアクセスをお願いします。



 <飽食の時代が終わりかけて>

日本人の食生活を豊かにしてきた原動力は、近代的な食品スーパーマーケットの成長と飲食店チェーンの普及である。わたしたちの学びのモデルは、20世紀初頭の米国で発明されたマスマーケティングの仕組みとチェーンストアの理論だった。先頭を走っていた米国のフードシステムでは、農産物や加工食品の鮮度を保つために、冷蔵・冷凍技術を発展させ、鮮度保持剤や食品の保存剤を開発した。そして、小麦やトウモロコシなどの穀物や野菜を大量に効率よく生産するために、農薬と化学肥料を大量に投入する農法を開発した。

農業生産の技術革新を担ったのは、モンサント(Monsanto)やシンジェンタ(Syngenta)のようなグローバルに事業を展開する農業コングロマリットである。米国は国土が広くて物資の輸送距離が長いので、農産物の品種選択で重視される基準は、輸送効率と廃棄ロスの削減効果だった。カーギル(Cargill)やドール(Dole)などの米国の食品メジャーが、農産物のグローバル調達を加速させこともそれに拍車をかけた。

生産と調達がグローバルになった結果、耕地面積当たりの収量が多くて品質が安定している品種、すなわちF1品種(交雑種)やGMO(遺伝子組み換え作物)が世界中で栽培されるようになった。単一品種を大量に栽培できるほうが、低価格で農産物を供給できたからである。ただし、効率重視の近代農法によって失われたものもある。それは、野菜や果物などが本来的に備えているはずの美味しさや香り、栄養価などである。

わたしたちがいま食べている野菜や果実は、消費者の都合ではなく、どちらかといえば流通の都合で選ばれている。しかし、飽食の時代は終わりかけている。日本人一人当たりのエネルギー摂取量の推移を見ると、それは一目瞭然である。ピークだった1961年、日本人の一人当たりコメ消費量は、現在の2倍の年間約117.4kgだった。現在(2014年)のコメの消費量は当時の半分(55.2 kg)を下回っている(図表1)。

農産物や食品に求められているのは、いまや価格より価値である。たとえば、日本のエンゲル係数は、2005年を底(22.9%)に、2014年には24.0%まで上昇している(図表2)。一部の経済学者は、この現象を高齢化が原因だと分析している。しかし、食全体に占める外食や中食(惣菜)の割合が増加していることを見れば、エンゲル係数が上昇している本当の原因は容易に説明ができる。消費者は、食に関して低価格や簡便さだけを求めているわけではない。美味しさや鮮度などの付加価値を求めているのである。

戦後の70年間、わたしたちがお手本にしてきた米国流のフードチェーンは、流通コストと生産効率を優先するシステムだった。その仕組みを根本から見直すべき時期に差し掛かっている。