別れのメッセージ。「小川先生のこと、一生忘れない!」(田沢湖マラソンにて)

 田沢湖マラソンは、1時間52分37秒でゴール。20Kの部は、60歳代男子、参加者261人中50位だった。ちなみに、昨年は1時間52分20秒。昨年と偶然にもほぼ同タイムだった。台風が近くに来ていて、気温は23度、湿度72%。不得意の無風。スタート時は蒸し暑い。



 一緒に走った土屋さん(カインズ社長)は、2時間5分台。昨年は、1時間58分台だった。5分ほど遅くにゴール。それでも、無事に完走はできたようだ。3年連続で一緒に走ることに。
 後から説明を聞くと、たつこ像のあとに続く坂道の下りで膝にダメージを受けたらしい。今年も、7キロ付近まではわたしの先を走っていた(らしい)。
 今年は、土屋さんを抜いたことに気が付かなかった。わたしのほうがずっと先を走っていたとばかり思っていた(笑)。それだけ一生懸命、走っていたということだ。

 わたしはイーブンペースのランナーである。時々は原則を崩して、先走ることもあるが。土屋さんは、前半で”時間を貯金したい”タイプのランナーだ。
 練習する頻度にもよるが、とちらかといえば、後半にペースがあがるときのほうが記録はよい。個人的な経験なのだが、わたしの場合、この法則にほとんど例外はない。
 東京マラソンで4時間を切った3年前のラップを見ていても、ハーフから先もほとんどペースが変わっていない。5Kごとのラップタイムは27分~28分台。
 もっとも、ある程度の練習を積んでおいて、スタミナに余裕がないとそうした走り方はできないものだ。だから、練習量が走り方をきめてしまう。走った距離は裏切らないのだ。

 さて、ゴール後は宿までハイヤーを呼んで、いつものように田沢湖駅前の定食屋「みずうみ」にて祝杯を挙げる。ふたりとも、ほぼ予定通りにレースが運べた。田沢湖駅で秋田新幹線こまち号(田沢湖15時07分発)が来るまでは、まだ2時間ほど余裕がある。
 土屋さんとふたりで、ビールの大瓶を7本も空けてしまった。おかずに頼むメニューは、いつものミックスフライ(定食)、サバの味噌煮(ごはんなし!)、おでん二皿。
 それにしても、よく飲んでよく食べた。20Kを走った後だから、なんでも入る。そして、なんでもおいしい。

 今年は、土屋さんは娘さん(小学校5年生)と一緒で、父娘みずいらずの旅だった。わたしは、田沢湖高原のホテルに別泊したのだが、前日の夕食とレース後の宿泊はおふたりとご一緒させていただいた。
 「先生、ふたりだけだとさみしいので、こちらで夕食、ご一緒はいかがですか?」(土屋さんからの前々日のメール)。お誘いに乗って、のこのこご相伴にあずかったのだった。気をきかせてもらって、わたしにはありがたかった。
 父と娘の旅に割って入るのは、なんとなく申し訳ないようにも感じたのだが、数年前には、(土屋さんの)息子さんとも一緒に、群馬県民マラソンを走っている。そのほかにも、まだ小さいころから「赤城大沼マラソン(20K)」など、4回くらいはご家族でGRCのレースに応援に来てくれている。
 ふたりとは一緒でもかまわないだろうと思ったのだった。

 そうそう、3年前の「47都道府県・国盗りマラソン」では、息子の真継と田沢湖のフルを走った。あのときは、土屋ファミリーは4人全員が「田沢湖キャンプ」に参加していた。土屋さんはそのときもハーフを走っていた。ご家族は温泉と応援だった。
 
 フルを走った二人の実際のゴール時刻は、4時間45分(14時45分)。ファミリーが乗ることになっていた新幹線は、今回わたしたち3人が乗車した田沢湖駅15時07分発のこまち号だった。
 4時間半内のゴールを予定していたが、われわれはとうとう現れず。こまち号が到着する時刻が迫っていた。土屋ファミリーは先に旅立った。あのときは、GRC(群馬レーシングクラブ)の3人のメンバー(千田、石川、中川)に、わが元ゼミ生の大野春子とその友人がゴールで待ってくれていた。
 

 5時間をようやく切るタイムでゴールしたわたしに、土屋さんの娘さん(当時、小学校2年生の美葉ちゃん)からメッセージが残されていた。GRCのメンバーに託された言葉は、「(ゴールで会えなくて残念です。でも、)小川先生のことは、一生忘れない!」だった。
 
 それを聞いたGRCのみんなも、大野春子も息子の真継も、47都道府県を制覇したわたしと祝杯をあげながら、ひっくり返って笑ったものだった。
 とびっきりの、おませさんだ。その後の3年間、土屋ファミリーでも、あの言葉は語り草になっていたのだろう。
 昨日、東京駅の新幹線ホームで別れるとき、土屋さんに手を引かれた美葉ちゃんがわたしのところにと寄ってきた。そして、耳元でささやいた。
 「小川先生のことは、一生忘れない」
 あー、またしても、やられてしまった。