村上春樹はわたしの2つ年上である。昭和24年の生まれだから、彼は今年59歳である。マラソンをはじめたのもわたしより若く(30歳)、フルマラソンのベストタイム(3時間弱だったかな)もわたしより断然によろしい。でも、走りながら考えていることは、実によく似ている。
親しいマラソンランナーに、走っているときの気持ちをまじめにたずねたことがなかった。走ることについてである。しかし、「あー。お前さんもやっぱりそうだったのか」と納得することが、この本のなかにはいっぱい詰まっていた。自分と思っていることが相似形である。そんなランナーは多いのではないだろうか?
学者と作家という職業の違いはあるが、ほとんど一日中、下手をするとひとりでいることになる。時間を自分でコントロールしなければならない。最初はいいが、しごとが煮詰まってくると、これは案外たいへんである。一人の作業が苦手で苦痛な人は、わたしたちの職業には向かない。
書くことは、孤独な作業である。ほんとうに、誰も助けてくれない。だから、走ることに固執することになる。走る時間で気分を調整しないと、毎日の生活が単調に推移してしまう。考えがうごかない。そう考えを揺らさないとおもしろい発想は生まれない。村上春樹は、作家らしく、そのことを別のかたちで表現していたが、言わんとしていることは同じである。長く走ることとモノを書いたり、世界を分析したりすること、あるいは、自分で物語や法則を作ってしまうことは、長距離走のスタミナがないとできない作業である。
本日、村上氏をまねて、朝方7時に、彼が走る同じ時間帯に、ほぼ同じ距離9キロを走った。気持ちが良かった。これも彼をまねて、そのあと、午前中に集中して、原稿の直しを半日ほどかけてやった。村上氏とはちがって、わたしは仕事を始めると、とまらなくなるタイプである。そのまま、夕方4時まで、昼飯もそこそこにして連続して作業が続いた。
お昼に自分でチャーハンをつくった。厳密に言えば、フライパンで暖めた。左手にもったフライパンの取っ手に触れて、指を大やけどした。氷で冷やしたが、いまだに、親指の皮がやけどで硬くなっている。
『マーケティング入門』第11章「価格の決定(2):価格決定の実務」の直しが、研究開発センターから電話がある前に終わった。高瀬君(西武文理大学准教授)が作った24ページのテキストを、読みやすい日本語に直して、節の編成を再編集した。
全部で7時間で校了したことになる。この調子で、一日一章分を仕上げていけば、10日でこの本は完成を見る計算である。
しかし、そううまくは行かないのだ。マラソンと同じで、長距離走だから。日本のマーケティングでは一番の長編、なんと450ページのテキストだから。